人間アップデートをお願いします
『xxxx年10月1日に最新の人間バージョン13.0が利用可能になりました。現在の笹塚清美さんの人間バージョン9.25は旧バージョンとなっておりまので、お近くの区役所またはオンライン上にて手続きを行い、最新の人間バージョンへのアップデートをお願いします』
郵便受けに入れられていた役所からの通知。何度来たかわからないそのアップデート通知に私は大きなため息をつく。
超面倒臭がりな性格のせいで、こういった役所の申請とか手続きとかはいつも後回しにしてしまう。人間アップデートだってそう。ちゃんとした性格の友達は通知のたびに人間バージョンをあげているけれど、私は手続きが面倒臭すぎてずっと古いバージョンのままでいる。
「どうせいつかはしないといけないんだから、早くバージョンアップしたら? 少なくともバージョン12は神バージョンだから、すぐにあげた方がいいと思う。基底細胞の遺伝子配列に修正が入って肌のターンオーバーが爆速になるの。前のバージョンと今とじゃお肌の艶も化粧ノリも全然違う」
確かに私よりバージョンが高い友達はみんなアップデートを勧めてくるし、なんと言うかキラキラしてる感じがする。でも、やっぱりバージョンアップするには仕事のシフトとか調整しないといけないし、アップデートの翌日はほぼほぼ動けなくなるってことを考えると、やっぱりどうしても面倒臭さが勝ってしまう。そうやってずるずると時間だけが過ぎていって、次のバージョンが出て、また次のバージョンが出て、いつしか私は今では時代遅れのバージョン9.25。
でもまあ、別にこれで日常生活に支障が出ているわけでもない。それに、これは後付けの理由だけど、バージョンアップして逆に問題が起きたりするのも嫌だしね。そうやって自分を正当化しながら、私は棚の上に置きっぱなしにしている通知書を、毎日見ないふりをすることで過ごしていた。だけど、そんな私もこのままじゃダメだと痛感する出来事に遭遇することになる。
それは私がひどい腹痛に襲われて病院を訪れた時のことだった。私は待合室で自分の順番を待ちながら、痛みから気を紛らわすためにその病院のニュースレターを読んでいた。それによると、この病院で最先端の治療薬が導入されたらしく、今までは手術が必要だった重たい病気でさえも、経口薬だけで完治できるということが書かれていた。
こんなものがあるのかと思ったタイミングで名前が呼ばれ、私は看護師さんに支えられながら診察室へ入る。診察室で簡単な問診を行い、その後レントゲン写真を撮る。そして、ベッドに寝かされた状態で私はパソコンの画面を見せられ、急性腸炎ですと告げられた。
「軽いものであれば自然治癒が見込めるのですが、これはちょっと放っておくと危ないですね。すぐに手術が必要です」
「さっきニュースレターで読んだんですけど、最近導入されたとかいう治療薬は使えないんですか?」
「本来であれば手術はせず、そちらの治療薬の服用を行っていただきます。ただですね、この治療薬はもともと人体に害を及ぼす成分をもとに作られたものでして、この成分に対する耐性を持っている人にしか使えないんです。具体的には、人間バージョン11以上の方にしか投薬が認められないんです。長田さんは残念ながらそれより人間バージョンが低いので、手術で治療するしかないんです」
「そんな!」
結局私はその当日に外科手術を行うことが決まった。私は入院のための準備や周りへの連絡でひいひい言いながら、もしちゃんとバージョンアップしておいたらこんなことにならなかったのにと深く反省した。そして、手術が終わった後すぐ。私は術後の痛みに苦しみながら、人間アップデートの手続きを行った。
手続きは昔よりも簡単になっていて、アップデートを行う病院の予約などもスムーズに進めることができた。そして、アップデート当日。私は予約した病院を訪れた。人間アップデートを専門に行っている病院ということもあって、院内は同じように人間アップデートをするために来院してきた人でごった返していた。
長い長い待ち時間を経て、ようやく私の名前が呼ばれる。診察室に案内され、体調や服用している薬について簡単な問診を行った後、私は奥のアップデート室へと連れていかれる。部屋の中には真ん中に二台のベッドがおかれていて、片方のベッドにはアップデート先である新しい私の身体が置かれていた。私は看護師に指示されるがまま服を脱ぎ、空いている方のベッドで横になる。看護師が私の頭や体に色んな機器を接続していき、麻酔科医が呼ばれる。
「それではこれより全身麻酔を行います」
淡々とした説明に私は頷く。それから私は左のベッドに置かれたアップデート済みの自分の身体へ視線を向ける。あの身体にアップデートしたらまず何をしようか。そんなこと思いながら、私はゆっくりと目を閉じるのだった。
*****
「長田さん、終わりましたよ」
呼びかけにハッと意識が戻る。私の目の前には看護師の顔があった。私は左へ顔を向け、それから自分がアップデート後だということを思い出し、右側へと顔を向ける。右側に置かれたベッドには、旧バージョンの私が横たえられていた。
看護師から自己同一性を確認するための質問があり、それから異常が発生していないかの確認するためにいくつかの医療機器で検査が行われた。結局、特に問題はないという確認が取れたため、これでアップデートは無事完了だと告げられた。
私はアップデート前に着ていた服を着ながら、ベッドに横たえられたままの元の身体へ視線を向ける。そして近くで私が着替え終わるのを待っていた看護師さんに、雑談のつもりで聞いてみる。
「そういえば、あの身体ってこの後どうなるんですか?」
「ああ、あれはこの後専用の処理施設へ運ばれるんです。そこで、人間アップデート用の身体を構築する材料にするため、分子レベルに分解されるらしいです」
「へー」
雑談をしながら私はアップデート前の身体を眺め続けた。ずっと眺めていると不思議なもので、すでに中身が空になった私は、まるで安らかに眠っているだけのようにも見えた。
「アップデートのたびに思うんですが、本当にまだ生きてるみたいですよね。じっと見てると、胸のあたりとか、呼吸でわずかに上下してるようにも見えますし」
「……着替えが終わったようなので、元の診察室へ戻りましょうか」
私は看護師に案内され、問診を行った診察室へと戻る。そこで今回のアップデート内容をまとめた資料と、今後数日間の過ごし方についてレクチャされる。
「長田さんはアップデートの幅が大きいので、特に注意して過ごすようにしてくださいね」
「すみません。アップデートが大事だというのはわかっているんですが、どうしても面倒くささが勝ってしまって」
「ええ、そういう方は多いんです。なので、今回の人間バージョン13では、人間アップデートを面倒臭がらないようになるという精神面での修正が行われたんです」
そういって医者が私に詳細な説明をしてくれる。バージョン13では他にも精神面での機能追加や修正が数多く加えられたらしい。愛国精神とか儒教思想の強化とか難しい内容もあったけれど、私は医者の説明を聞きながら、これからはもうバージョンアップで悩むことはなくなるなとほっとする。
お大事に。医者と看護師が私に笑顔で言ってくれる。私は立ち上がり、ありがとうございましたと頭を下げた。そして、カーテンで閉ざされた奥のアップデート室を一瞥し、新しい人間バージョンになった私は診察室を出ていくのだった。