終章 1
アンコールを歌い終わってから私は目を閉じた。
空に顔を向けて心の中で大詩に話しかける。
みんなと出会わせてくれたこと。もう一度、歌わせてくれたこと。
手を打ち鳴らす音を心で受け取る。
清々しい汗を輝かせるメンバーとステージに並んだ。
優詩くん、美波ちゃん、凛花ちゃん、悠馬くん。
「みんなー! 最後まで、ありがとー! 楽しかったー?」
大きい声援が私たちを抱きしめてくれる。マイクに力を込めた。
「みんなに……お願いがあります」
大詩が残してくれたものを伝えないといけない。少しだけしか伝えられないけど。
「――この世は悪意に溢れています。
それを知ってほしい。知っている人は目を背けないでほしい。
善意、好意、優しさ、弱さ、それを利用する人がいます。
傷ついた人を……さらに傷つける人がいる。
あなたたちは寄り添ってあげられる人になって。
困難に打ちひしがれたり、泣いている人がいたら、助けてあげられる人になって。
自分のことで手一杯かもしれない。他人を助ける余裕なんて無いかもしれない。
真面目に生きることで損をする、そんな世の中かもしれない。
でもね……自分だけよければいいっていう考え、その先に幸福ってないと思う。
だって……みんな繋がっているんだから」
観客は静かに私の話を聞いてくれる。
「すべての人を助けてほしいわけじゃないよ。
助けるに値しない人もいる。助けるべきではない人もいる。
そこは自分と話して決めて。自分が決めることだから。
あなたが寄り添ってあげたい人だけでいい。それで……いいんだよ。
私たちから受け取った想い……次の人に繋げていってくれたら嬉しい。
いつか……きっと……みんなに幸せが訪れることを願ってるよ!
最後まで聞いてくれて、ありがとー!」
メンバーと手を繋いで頭を下げる。一人一人の心が繋がっていく気がした。
とても温かい。私たちを包む風は気持ち良い秋の香りを宿していた。
「また、どこかで会おうね! バイバーイ!」
*
文化祭が終わった週の日曜日。
濃い緑だった景色は紅色に移動し次の生命にタスキを渡す。
私たちは、ある場所へ向かっていた。
「――あれから、すげえモテるんすよ!」
「えー、そうなの? でも、一人の子を大切にしろよー。
女の子を傷つける時点で最低な男だから。そんなクズ男になるなよー」
「いや、俺は……そもそもつうか……美波先輩、俺がモテてること気になるっすか?」
「ううん、気にならない。よかったじゃない。
女の子に好かれることが目的でバンドを始めたんだから」
「いや、いや、違うんすよ! あれは、その場のノリっす!
俺は……もっとこう……なんすかね。一人の人からっすね……」
凛花ちゃんがアスファルトに向けて小さい口を動かした。
「それ……嘘です。べ、別にモテてないです。
詩織さんのこと……先輩たちのこと聞かれてるだけ……です」
「おい……! 自分がすげえって言われてるからって調子乗んなよ!
この眼鏡根暗野郎!」
「悠馬……女の子にそんなこと言うなよ。人として良くないし、嫌われる」
「そうだよー! ひょっとこに弟子入りしたんだから師匠に指導してもらうよー!」
「それは、やめてほしいっす……!
つか、姉さんも俺のこと変態垂れ目小僧って言うじゃないっすか……!
それは、いいんすか!?」
「えー、そこには愛があるんだよ……?
嫌だった? 嫌ならやめる……ごめん……」
「いや、いや! 嫌じゃないっすよー! もっと欲しいくらいっすよ!」
石造りが整然とした場所に私たち五人は立つ。各々が供え物を手にしている。
お酒と桃を白い袋から取り出し墓前に供えた。
彼の好きな銘柄だ。琥珀色の揺らいだ液体を見ると楽しい思い出が蘇る。
ライブ終わりの楽屋で打ち上げ前にメンバーとスタッフで軽く飲んでいた時だ。
「ひょっとこさん、勘弁してくれよ!」
「バカ野郎! 最初にウイスキーだけを七分目くらいまでイッキ飲みするんだよ!
それからウイスキーボトルのほうにコーラを入れんだ!
それこそが男のウイスキーコークなんだよ!」
「無理だって! ウイスキーのイッキ飲みは!
それにコーラを少しだけって! 濃すぎるから!
そんなやり方するのは、ひょっとこさんとロシア人ぐらいだよ!」
「バカ野郎……! ウイスキーコークはアメリカが発祥だ!
コマンドサンボを使うやつらは関係ねえよ!
やれ……! 大詩! 本物の男になれよ!」
「ふふふ。その分量……コーラを入れたところで、ほとんどストレート。
極悪非道ですよ。美酒佳肴でいきたいのですけどねえ」
「やれ、やれー! ロッカーなんだからイッキだよー! 大詩!
イッキ! イッキ! 飲み干せー!」
「詩織……! 煽るなよ!」
逃げ出した大詩が、ひょっとこの頭部にビール瓶を当てたことで喧嘩が勃発した。
大詩はアリーナに逃げこんで帰宅途中のファンに助けを求める。
助けに入ったファンの男たちとスタッフ。ひょっとこ。全面戦争になった。
大詩は……その様子を見て爆笑していた……な。
ひょっとこと大詩が喧嘩すれば悲惨なことになるから、それが正解だけど。
懐かしい……そういう出来事も一つの品物から思い起こせる。
美波ちゃん、凛花ちゃん、悠馬くんの手元を見ると奇しくも同じ物を持っている。
大詩が一番好きなチョコレート菓子。
甘い物が好物ではない彼だけど、筍を模したチョコレート菓子と桃だけは好きだった。
子供の頃に大切な人と食べた、それ以来……懐かしい味がして好きなんだ、と言っていた。
「あれ、みんな同じ……なんだね」
「バス停で会った時に貰って……これ好きなんだ、って言っていました」
「俺にも帰り際にくれたんすよね。それを覚えてたっす」
「私も袋の中……CDと一緒に入っていました」
「そうなんだ……三個も貰えてよかったね、大詩」
優詩くんが線香に火を与えた。
命を燃やしていく細い棒から柔らかい煙が立ち昇る。
それぞれが香炉に置いて静かに手を合わせていく。
なにを想って、なにを伝えたんだろう。
白檀の甘い香りが私たちの周辺に漂っている。
優詩くんの前に行こうとしたけど、彼は無言で私の前に入った。
大きい背中は大詩のことを思い出させる。
一番最後だ。香炉の中を舞踊する煙の濃度を増やす。酸素を補給し墓前に手を合わせた。




