再生の音色 16
いくらかの軽口を繰り広げた後、ひょっとこさんが再び俺の肩に手を置いてきた。
「先に行ってる……待ってるからな」
「落ち着いてから来てくださいね。ステージの熱を戻しておきますよ。
久しぶりにリズム隊だけで絡むのも悪くないですねえ」
顔を上げられない。
観客の声援が舞台袖に飛び込んでくる。
最前列の人の声だろうか、微かな言葉が耳に入る。
「えっ……! えっ……!? ひょっとこ!?
馬だけど……ひょっとこじゃないの!? あれ、馬だけど!」
「おい、おい、あれも隣人じゃねーの!? メイクもベースも違うけどよ!」
「ひょっとこさーん! 隣人さーん!」
「可能性あるよ! シイがいるんだもん!」
疑惑を向けられる二人の内の一人が信じられない声量を出した。
「おらあ……! 久しぶりだな! ひょっとこと隣人だ!
お前らにセックス・ライフルズ最後のステージ見せてやる!
かかってこい、この野郎……!」
「ひょっとこー!」
「学生バンドに、おっさんが交じるんじゃねー!」
「今さら出てくんなよー! ひょっとこ!」
罵声というより……愛が込められた声援に感じる。
「うるせえぞ……! ガタガタ言うやつは、ぶっ殺す!
最後だ……! これで最後だからよ!」
バスドラムがキックされて、重く激しい音が会場の声援を消した。
艷やかな音を奏でるベースがドラムと出会う。
リズムが激しくも心地良くもあり人々の身体に染み渡っていく。
身体を丸める俺の隣に座った人がいた。人肌が布を介して触れる。
「優詩くん……」
心の奥底に触れる詩織さんの声だった。
「ごめんね……私、いつも自分のことばっかり……だね」
羞恥心を唾と共に飲み込んで絶え絶えの言葉を返す。
「俺が……情けないだけです」
「そんなことないよ。言えないこと……あるよね。
簡単に口にできることは、本当につらいことじゃないもん……ね。
自分で答えを探して見つけられないこともある。それも生きていくっていう一部だよ」
「俺……俺は……兄さんとの……約束……果たせましたか?」
「うん! もう一度、私に歌をくれた。歌わせてくれた。
ありがとう……すごく嬉しかったよ!」
鼻水を啜り上げると詩織さんの手が頭に乗せられた。
出会った日。髪を乱されることが嫌で振りほどいた手……今はとても優しかった。
「優詩くんがいいならさ、ひょっとこ、隣人と一緒に演奏してあげようよ」
「俺で……いいんです……か? 兄さんがいた……場所です。
兄さんの大切な……場所です」
「優詩くん以外にいないよ。きみのギターの音色、ひょっとこも隣人も好きみたい。
大詩の弟っていうだけで演奏してほしいなんて言う人たちじゃないよ。
認めてなかったら絶対に言わない」
暗さから這い出した隣には詩織さんがいる。
目の回りに付着した水分を拭き取ると眼前にはメンバーが並んでいた。
自身の不甲斐なさをなくすほどに陽の光を持っている。
「みんな……ごめん。動揺しちゃって……カッコ悪い姿で」
「カッコ悪くないっすよ……優詩先輩は、いつもカッコいいっすよ!」
「私も……そう思います。優しくて……いつも……す、す……う」
「――外村くん、演奏してきなよ。きっと素敵な演奏になる」
長く息を吐き出してから立ち上がる。四人の言葉で一つの決心ができた。
失敗したっていい。攻撃されたっていい。隣には信頼できるメンバーがいるのだから。
「行けます、詩織さん」
「うん!」
ステージへ向かうとアイライナーで真っ黒にした隣人さんの目が消える。
腕を大きく振り上げて迫力満点のドラミングをする、ひょっとこさんは大きく頷いた。
ステージ上手に辿り着くとシンバルが大きな音を吐き出した。
演奏を終焉へ向かわせる。
詩織さんからマイクを貸してもらった。
伝えないといけない。この場に立つためには必要だ。手と声が微かに震える。
「――ギターの優詩です。
突然ですけど……俺の兄はセックス・ライフルズのギタリスト、大詩です」
観客の声が揺れる会場。前列にいる顔は困惑、疑惑、驚嘆、様々な面が飾られた。
「俺が……場違いなのは、わかっています」
観客からの言葉が耳に入らないほど脳内を不安が走り回った。
唾液を食道へ流す。足元から奈落の底にでも落ちるような感覚だ。
立っていられない……そう思った時、巨躯の馬に肩を掴まれマイクを奪われた。
「うるせえぞ……! 静かにしろ! この場所に立って一人で想いを語ってんだ!
てめえらにできんのか!? ああ!?
多勢の中からしか批判の声を出せねえやつは画面越しにやってろ!
黙って聞け! このカスどもが……!」
怒号によって沈黙した観客の中から反抗した声が返ってくる。
「ひょっとこが一番うるさいよ! バーカ!」
「聞いてるのにー!」
「ひょっとこは馬になったんだから静かにしてよ!」
「がんばってー、聞いてるよー」
「大詩くん、見てくれてるよー」
「シイー、ひょっとこがうるさーい!」
「優詩くん、がんばって!」
戻されたマイクで言葉を伝える。
「このメンバーとステージに立てるのは大詩だけです……わかっています。
セックス・ライフルズのファンからしたら……納得できないと思います。
ギタリストは……大詩だけだから。
それでも……俺は……このギターを受け継ぎました。
兄さんから託された想いがあります……。
だから……セックス・ライフルズ最後の演奏をさせてください」
深々と頭を下げる。
大きな拍手がステージを包囲した。
すべての人ではないだろうが、認めてくれた人が確かにいる。
「優詩くん、曲どうする? できる曲ある? リハーサルできないけど」
「一応……ほとんどの曲は弾けます。
完全には弾けないんでアレンジも入りますけど」
「勉強熱心ですねえ。頼もしいですよ」
「はっ! マイナーな曲やってもウケねえだろ。代表曲の中で選ぶか。
俺らもリハなしでいけて……この編成で、できる曲だな」
「それなら、あれにしよ。みんな好きでしょ?」
『紅色の叫喚』
セックス・ライフルズのメンバーが拳を身体の前に突きだす。
兄さんも拳を触れ合わせていたんだ。静かにメンバーの想いを心に繋げる。
持ち場に戻ったメンバー。待ち望む観客は、お立ち台に上がった詩織さんに注目した。
瞳を閉じた彼女が晴空と秋風を一身に受けて、マイクを口元に近付ける。
美しい横顔からブレスが集音された。その刹那。
「――――――!」
堕天使の叫び声が天空へ突き上がった。
到達した音は雲の隙間から戻ってきて地上へ刺さっていく。
細かく揺れたホイッスルボイスが人々の鼓膜と感情を揺らす。




