再生の音色 15
「ちげえよ。歩んできた道と退き際を見せてやるんだ」
「ひょっとこさんが歩んできた道を行かせたら、命がいくつあっても足りませんねえ。
常人には無理だと理解してください」
冗談を言う隣人さんの言葉を流して、ひょっとこさんは俺とメンバーに伝える。
「――退き際は大事だ。
俺たちは大詩がいなくなってから、どうしていいかわからなかった。
踏ん切りがつかねえ。勇退もできなかった。
大詩が……人は、どうあるべきか言ってたな」
『生きていくこと。
なにを得たのか。なにを失ったのか。なにを伝えたのか。なにを繋げたのか』
「年少者が年長者を敬うことも大事だが、そんなことよりも、もっと大事なことがある。
年長者が年少者の道を見守って手助けをすること、だってな。
俺たちの最後を見せる……お前らが見届けてくれ」
ひょっとこさんは断続的な呼吸を繰り返す俺に続けた。
「優詩……俺も一緒だ。悔しくて……たまらねえよ。大詩は俺の弟みたいな存在だ。
初めて……あいつと会った時な、大喧嘩したんだ。
お互いボロボロになって……死ぬかと思ったな、あん時は。
結局、決着がつかねえままだよ。俺と互角に渡り合った唯一の男。
そんな……あいつが……。あいつが……負けるわけねえんだ。
相手は刃物以外にも、なにか卑怯な手を使ったんだ。
負けてねえ……あいつは負けてねえよ……」
ひょっとこさんの太い声が震えていた。
「俺も隣人も……過去に囚われてんだ。進んだつもりだったが……進めてねえ。
詩織は進んだ……俺たちにも進ませてほしい。
セックス・ライフルズの最後……優詩がギターを弾いてくれねえか?
大詩と優詩のギターで……俺と隣人に引導を渡してくれ」
ひょっとこさんの声の後に、隣人さんの穏やかな声が耳に入る。
「優詩くん。僕たちは大詩くんが亡くなってから音楽活動をしていません。
他のところで音を出すなんて考えられない、それほど大切なバンドだったんですよ。
人生……といっても過言ではない。
願わくば……もう一度、ステージで音を奏でたいですねえ。
共にできるのは……あなただけです。もちろん、あなたと大詩くんの音色は違います。
あなたの音は、あなただけの音ですからねえ。
とても心地良い音です。僕たちと一緒に演奏してくれませんか?」
「ひょっとこ……隣人……」
小さくて細い詩織さんの声がした。
「詩織、悪いな。最後に一回だけ付き合ってくれねえか。
俺も隣人も納得してねえんだ。向き合ったつもりでも向き合えてなかった。
目を背けて活動休止なんて真似をしちまった。まだ終われて……ねえんだよ」
「うん……もちろん、いいよ! ジジイの最期を見届けてあげるよ!」
「お前……この不良娘が……!」
三人の笑い声が聞こえた。
「おし、じゃあB.M.Tのメンバーには申し訳ねえが一曲だけやらせてもらえるか?」
「はい、お客さんも喜ぶと思います」
「全然いいっすよ! プロの演奏見たいっす!」
「あ……あ……わ、私も……み……観たいです」
「――悪いな、ワンマンなのに」
「あっ……! でもさ! どうするの?」
「なにがよ?」
「お面ないじゃん! 隣人のメイクも!」
「あ? ああ、そうだな……どうす……お、これ。良い物があるじゃねえか――」
誰だよ、馬なんて被るやつ。センスねえな。
「それ、私のだよ……!」
詩織さんの語気が急に強くなった。
「あ、詩織のか。ちょうどいい、貸してくれ」
「やだよー! ひょっとこが被って加齢臭がついたら、どうすんのー!」
「か、加齢臭……。俺は悲しいぞ、詩織。
娘のように接していたのに。それを貸せ……!」
「やだ、やだ! 絶対に……やだ! その馬、大詩が買ってくれたんだよ……!」
「なおさら貸せ! 大詩のプレゼントに俺の香りがついたらプレミア感が増すだろ!」
「増すわけないじゃん! 死ねー! このクソジジイー!
香りじゃなくて臭いがつくんだよ! 洗っても落ちない臭いがつきそう!」
「てめえ……! 俺はそんなジジイじゃねえんだよ……!」
俺の悲哀に微笑がもたらされた。きつい言葉を信頼関係が包んでいる。
「僕は……どうしますかねえ。
詩織さんか……お嬢さん、お二人の化粧道具ってありますか?」
「私はファンデーションとリップくらいしか持ってないですけど……」
「できたら真っ白なやつがいいんですけどねえ。
ヴィジュアル系の白塗り……歌舞伎役者みたいな色ですね」
「あ……あの……あの、私……持って……ます」
動画投稿の話をした時、俺は凛花に提案した。
濃いメイクをすれば顔出しができるのではないかと。
涙は緩やかになってきたが顔を上げることができない。
アンコールの声が疲弊したタイミングで美波の声が野外へ流れた。
「――お待たせして申し訳ございません。
今からサプライズゲストが演奏してくれるので、もうしばらくお待ちください」
サプライズという言葉に観客の声が元気を取り戻す。
ひょっとこさんのスティックが床を叩く音がする。
メイクが完了したと思われる隣人さんの滑らかなベースフレーズが心臓に響く。
「すみません……ベースまで、お借りしてしまって。
お嬢さん、お若いのに素晴らしい技術ですし、良いベースを所有していますねえ」
「い……い、いえ……」
「おい……ドラム……名前は?」
「えっ、俺すか? 俺は――」
変態垂れ目小僧だよ!と、詩織さんが明るい声を出す。
「ちょっと、ちょっと! 姉さん! 勘弁してほしいっすよー!」
「よし……変態垂れ目自慰行為野郎。ドラムの極意を教えてやる」
「いや、いや、なんかバージョンが変わってるっす! 前よりもヘビィっす!
でも、なんすか? 極意って?」
「――ウエイト……体重だ。お前のドラムは、まだまだ軽い」
「えっ、体重っすか……じゃあ、無理っすね」
「諦めんのが早えよ。この体型は無理矢理維持してんだ。筋トレと食トレもしてる」
「マジっすか!? やっぱプロは違うっすね!」
詩織さんの笑い声が二人の間に入る。
「それ嘘だよ。食トレのほうね……嘘。単純に食べすぎるだけだよ。
一食で五合は軽く食べるし。
飲み会をやると一次会だけで一升瓶を四本、焼酎二本くらい一人で空けちゃうんだよー。
化け物なんだよ、ひょっとこは。真似しちゃダメだよー」
「詩織……俺が後輩に教えてんだ、静かにしろ。あとは……あれだ。
賛否はあるだろうが、俺は静かな音や強弱が欲しくない限り、すべて全力で叩く」
「あー、そうなんすか」
「そうだ。全力で叩く。ヘッドを破壊するほどにな。
あとは……手首で叩こうとするな、身体で叩け」
「身体で……よくわからないっす。全力で叩くのは、なんでっすか?」
「その方がカッコいい音がするからだ」
「あっ……そうなんすね……」
「――おい、変態垂れ目スカトロ小僧。俺のことバカにしてねえか?」
「いや、いや、してないっすよ! それに、また変化してるっす!」




