再生の音色 14
ペットボトルの水で喉を潤した詩織さんはマイクスタンドに手をかける。
「みんなー! 楽しんでるー?」
楽しいよー! さいこー! ありがとー!などの返答がステージに飛んでくる。
「入れ墨小僧ー! 届いてるー? 一人じゃないからねー! もう一人で泣くなよー!」
と、目の前に向けて叫ぶ。
観客は顔を見合わせている。俺は尋也の様子を一瞥した。
表情は窺えないが苦笑しているだろう。
「次で……最後の曲なんだよね」
えー!という波がステージを埋めつくす。
「ごめんねー、私たち夏休みから始めたバンドで曲数ないんだよ。
でも、すごいメンバーでしょ? こんなに素敵な曲を短期間で作って」
声援と拍手で俺たちの心は踊っていく。
詩織さんは息を吐きだし肩を少し上げた。
「――みんな色々なことがあるよね。
生きていれば……楽しいこと、嬉しいこと、悲しいこと、泣きたいこと、悔しいこと。
過去、現在、未来、色々な困難がある。でもさ……いつだって音楽は寄り添ってくれる。
忘れないで……ね。
この先、どんなに悲しいことがあっても。助けを求めることができなくても。
音楽は……いつでも隣にいるから。大丈夫だよ」
観客は熱を保ったまま詩織さんの言葉に耳を傾けた。
お立ち台に背を向けた彼女はメンバーの一人一人に目配せをして頷く。
俺の順番になった時に小さい歩幅で近付いてくる。
「優詩くん……わかってる。伝わってるよ。ありがとう。精一杯、歌うね」
詩織さんはステージ中央へ戻っていく。
「最後の曲です。この曲はギターの優詩くんが作りました。聴いてください」
『百色の花束を』
ピアノ音が世界を静寂に包む。
秋空に夏空を思い出させる、切ない旋律が風に乗っていく。
『忍び寄る影 消えない日々 黒翼広げ 夕闇
孤独を混ぜて 見えない日々 過ぎていく人
帰る場所があるの』
『桃色のリップ なによりも痛いよ 嘘を吐いて 声を出して 傷口広げ』
『濡れ羽色の中で溺れていたよ
伸ばされた手も 黒の手に掴まれて消えた
逃げ場のない殻の中で溺れていたよ
生きること 崩れ落ちていく
退廃の空蝉に』
『照らされた頬 夜に紛れ 身を晒した 街角
必然出会い 夜風の中 笑顔を見るの 初めてだったから』
『桃色の果実 分けてくれたよね 明日をくれて 歌をくれて ひとつ大事な』
『大いなる詩が 愛してくれる
あなたがいる それだけで明日と並べるから
紡ぎ出す言葉を 歌声に乗せて
わたしは もう ひとりじゃないよ
あなたがくれたから』
『過去の傷は消えない ひとりでいないで
でも いつも 記憶の中にいてくれるから
この場所は みんなが 音を奏でるから
あなたは もうひとりじゃないよ
この歌と花を添えて』
ピアノの音色がリードしていた楽曲は空に吸い込まれていった。
最大限の賛辞は鳴り止まない。
俺に微笑んだ詩織さんの青い瞳が煌めいている。
メンバーは額に汗を滲ませ観客の顔を心に刻む。
美波と凛花が頭を下げて舞台袖へ消えていく。
足をふらつかせた悠馬の後に続いて、俺は彼の背中を追いかける。
「みんな、ありがとー! 聴いてくれてありがとー! 大好きだよー!」
飛び跳ねながら両手を振り回した後で詩織さんが舞台袖へ戻ってくる。
俺は力なく地面に腰を下ろした。自身のカバンからタオルを取り出し顔を隠す。
わからない。わからなかった。
メンバーの歓喜する声が聞こえる中で感情が内側から溢れ出てくる。
息ができないほどに頬を伝う涙が身体を侵略した。
観客が新たな楽曲とパフォーマンスを求めて声を出す。
メンバーが相談している円の後ろで小さくなっている。
視界を閉ざした俺に詩織さんの声が正面から刺さった。
「それじゃあ、あの曲でいこうよ! 私たちが初めて合わせた……あの曲で!
いいでしょ? ねっ! 優詩くん!」
声にならない。言葉は涙に盗まれている。
「え……どうしたの? 優詩くん……大丈夫?」
人前で泣くことは恥だ。歓喜、感動の涙ではない。
弱さを曝け出す涙だ。俺の中では恥になる。それでも止まらない。
「大丈夫……?」
と、詩織さんの声が続く中で野太い声が混ざる。
「おい、邪魔するぞ」
「あっ……ひょっとこ、隣人」
「久々のライブで燃え尽きないように、アンコール前の激励をしてやろうと思ってな」
「今のは虚言と見栄ですねえ。本編のライブを見て褒め称えるために来たんですよ。
大きい身体で小走りしてきたのに素直じゃないですねえ」
「うるせえ。で、アンコール用の曲は? できる曲あんのか?」
「うん。カバーだけどあるよ。でも……優詩くんが……」
「なんだよ?」
「うん……泣いちゃって……」
「泣いてる……? そう……か」
「うん……」
両肩に人の熱が伝わってくる。
「なあ……優詩、聞いてくれ。ライブの感動もあるんだろうが……大部分は違うよな。
今まで抱えていたもんがあるはずだ。言えないこと、見せられないこと。
大詩のこと……だ。
あの日から心の中で、ずっと考えていたはずだ。
兄貴のこと誇りに思う反面、死んでほしくなかった。他にも色んな想いがあるよな」
タオルの中で浅い呼吸を繰り返す。
「そりゃ……そうだよな。たった一人の兄貴だ。まして、その兄貴は大詩だもんな。
尊敬、羨望、目標、色々なもんがあったろ。そいつが……急に死んじまった。
誰にも弱音を言えなかった……違うか? でもな、これからも言う必要はねえんだ。
人には強がらないといけねえ時がある。強がって生きていくしかできねえ時もある。
ただ……その中に一人でいることは苦しかったよな」
肩を強く掴む手のひらは温かい。
「優詩……見せてやる。大詩の見ていた景色を見せてやる。
B.M.Tにセックス・ライフルズの生き様と背中を少しだけな」
「――ふふふ。立つ鳥跡を濁さず、そう言ったのは、あなたじゃないんですかねえ」
「隣人……わかってること口にするなよ。長年、リズムを刻んできた仲だ。
お前だって俺と同じ想いだろ?」
「ふふ……ひょっとこさんは老兵の暴れる様を後輩バンドに見せたいんですねえ。
僕は、まだ新米の兵士ですけど……ね」




