再生の音色 12
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壮観で爽快だ。身体は熱く身震いする。
多勢から発せられる大声によるものかもしれない。
眼前に広がる景色は人で埋め尽くされている。
観衆からの声が次々にステージへ飛んできた。
「シイー!」
「うおー!」
「きゃああー!」
「堕天使様ー!」
すべて詩織さんに向けられた声援だ。
緊張から生まれた手のひらの液体はギターのネックに湿り気を与える。
どこかに飛んでいってしまいそうなほど心の臓がリズミカルに身体を叩く。
兄さんから教わっていたことを思い出す。
『ライブは間違ってもいいんだよ。それも含めてライブの醍醐味だしな。
チューニングが甘いとか言ってくる人は優越感に浸りたいだけの素人だから気にするな。
ステージの強い照明とかでチューニングは狂うから。演奏中にすぐには直せないだろ?
直すのは曲間な。曲中の開放弦が使えるところで鳴らしてみて一瞬で直すとかな』
『トラブル対処も大事だ。機材トラブルはあるものだから。
ギタリストの懸念は弦が切れることかな。切れたらアレンジしてごまかすんだ。
動揺するとカッコ悪いから平静を装って弾いていればいい。
ま、切れるのは、ほとんど一弦だし、低音弦のオクターブ奏法とかでごまかせ。
フローティングだったら……それは諦めろ』
『ライブで手元ばっかり見て弾くギタリストにはなるなよ。それと下は絶対に向くな。
恥ずかしいからって、下を向いていることが、一番恥ずかしいから。
――観客、自分、スタッフが楽しくなれるライブ。それでいいんだよ』
スタンドに左手を添えてマイクを右手で握りしめる詩織さんは目を閉じていた。
鼻から一つ長い酸素を吸い上げ瞳を観客に向ける。
「こんにちはー! B.M.Tでーす!」
透明な声が人の海へ飛ばされ声援が高波となって返ってくる。
「シイー!」
「早くやってー!」
マイクを両手で握り直す。
「バンドとして今日が初めてのライブでーす! みんなー、楽しんでいってねー!」
「かわいいー!」
「うえーい!」
「待ってたよー!」
「セックス・ライフルズでやれよー!」
「タイシ呼んでこいよ!」
――観客の声ってステージにも意外と聞こえるんだ……な。
「今……暴言吐いたやつ手あげてー」
詩織さんが細腕を上げると大海の声援は朝凪へ変貌していく。
「――みんな色々な想いがあって来てくれたこと、わかってるよ。
生きていく中で、つらいことはたくさんある。みんなも……あるよね。
だから、今日は全部吐き出して、全力で楽しんでいってね!」
詩織さんの青い瞳が美波の茶色い瞳と繋がる。
ピアノの単音が一つ一つ青空へ昇って、飴玉となった音が観客に降り注ぐ。
声を残す者は完全に沈黙した。
一曲目は凛花の楽曲だ。
『Welcome to the blue palette』
ピアノ音色の物悲しくも美しい旋律。詩織さんの歌声がバラード調で絡む。
酸素を取り込んで歌いだした瞬間、観客の身体は固まったはずだ。
周知されている『堕天使の叫び声』ではなくて『天使の涙声』が野外に響き渡る。
『そこにあるかもしれない 夏の言葉と夏の楽団
それでも わからない 見えない 止まらない 想いは濡れるベッド』
『そこにあるかもしれない 夏の宴と夏の楽団
それでも わからない 一人で 泣いた夜 壊れるほどの激情』
チョーキングで音程を上げるギターが楽曲を表舞台へ誘導する。
教会に立つような厳かなドラミング、ベースが咆哮する。
キーボードは弦楽器の音で滑らかさを出す。
『どんな時も 歩いていきたい そう感じる 怖いけど 怖くない 叫んで 叫んで
叫んでみれば もう怖くない 怖くないよ』
カウントを打ち鳴らす。
バラード調からバスドラムとスネアを打ち鳴らした軽快な8ビートが展開する。
休符を含んだベース。俺のギターと美波のキーボードが乗っていく。
オクターブ離れたギター音を指板状で走らせAメロへの道筋を作る。
『一人きりの身体 雨に打たれていた 一人きりの夏は 交わらない』
お立ち台に右足をかけた詩織さんが左手で大海に合図する。
大漁の網を引っ張り上げるように観客を煽っていく。
歌声と曲展開の困惑を粉々に壊し会場は瞬時に湧き上がる。
『狂う世界 どこにある 狂う世界 わたし 誰も関係ない 孤独に沈んで』
『ただ一人 ただ一人 泣いていた 原野の糧に奪われて
ただ一人 ただ一人 声殺す 逢魔の糧に奪われて消えた』
拳を突き上げた詩織さん。観客も目を見開いて手を上げた。
俺はブリッジミュートで明暗のある小節を支える。
『一人きりで 人の円の中にいる 一人きりの顔に 無限の声』
『狂う世界 どこにある 狂う世界 わたし 誰も関係ない 孤独に沈んで』
『ただ一人 ただ一人 泣いていた 原野の糧に奪われて
ただ一人 ただ一人 声殺す 逢魔の糧に奪われて消えた』
ドラマティックな展開に身を預けた観客に向けて悠馬の打音が一際大きくなっていく。
『どんな時も独りだった どんな時も怖かった どんな時も蔑まれて
静かに独りでいる 静かに重ねた指 静かに下を向いた 静かに声を出した』
詩織さんの歌メロの後ろでギターとベースがユニゾンする。
凛花が指示した通りにボスハンドタッピングを軽やかに鳴らす。
『叫んで一人だけだと 叫んで暗闇の中
叫んで立ち止まったけど 叫んで一人じゃない
見つめてあなたがいたよ 見つめてみんながいたよ
叫んで叫んでみて どうか……』
天使の涙声と堕天使の叫び声がミックスされた声でラストのサビを歌い上げる。
『ただ一人 ただ一人 いないでね 聖夜の声に癒やされて
ただ一人 ただ一人 いないでね 天使の声に癒やされて吠えた』
『どんな時も歩ける どんな時も歩いて どんな時も生きてね
あなたは それでいいよ あなたは それでいいよ あなたは それでいいよ あなたは それでいいから あなたは 身体を預けた』
歌声とギターの余韻が重なり合って減衰していく。
スネアの音が緩徐に消えていき会場も同様に静まる。
詩織さんが笑顔で手を振り回すと観客の絶え間ない拍手と声がステージを襲った。




