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あすの空、きみに青い旋律を  作者: 陽野 幸人
第六章 再生の音色

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再生の音色 11

             *



 ライブ開始まで三〇分をきっている。

ひょっとこさんと隣人さんが去ってから、俺もギターの練習と準備運動を繰り返した。

ステージ横から運動場を覗くと多くの観客が入っている。

詩織さん経由で無料チケットが発行されて穴来高校の生徒は優先的に配布された。

土の上には二千人以上の顔があるはずだ。

入口を通過する観客は、門に設置された大きい箱に寄付金を入れてくれる。


 ステージに近い群衆の中に室岡の姿があった。

室岡の前には男性、女性、子どもがいる。俺は三人とも知っている。


――見に来てくれたんだ……。


 詩織さんと初めて演奏した公園で賛辞を送ってくれた人たちだった。

母と子。サラリーマンの男性。

室岡の挙動不審は変わりないが男性と女性は笑顔を向けている。

室岡とは知り合いなのだろうか。 


 彼らの隣を抜けて正装した男性が近付いてくる。


「いよいよ、始まりますね。どうですか?」


 俺が代表して校長先生に言葉を返す。


「緊張していますけど、精一杯やりたいと思います」


「楽しんでください。学生時代の行事は良き思い出になります。

今、経験すること。社会に出てから経験すること。それらは大いに異なります」


「はい。文化祭ライブを認めてくれて、ありがとうございました」


 全員で校長先生に頭部を見せる。


「私は……ある人の言葉で教育者とは何か、を再度考えさせられました。

教育者にとって、生徒を守ること、応援することは責務です。

あなたたちは様々なことに迷って、今日という日を迎えたのでしょう。

どうか、大切な一日にしてください」


 校長先生の笑顔は俺たちに安心を与えた。


 もうすぐ開演だ。メンバーそれぞれが思いを馳せている。

美波は冷静沈着を崩さない。凛花は俯いて自身の世界に入り込む。

悠馬は常に身体を動かしていた。

詩織さんも発声練習に熱が入り、最後のリップロールを終えた。


 精神を落ち着かせるために深呼吸していると、背後からシャツを引っ張られた。


「ねえ……」


「なんですか?」


「私……みんなの前で歌えるかな……」


「――怖いですか?」


「うん……本音で言うけど……怖い」


「…………」


「みんなに歌声が届かなかったらって思うと……私の歌って――」





 誰かに寄り添ってあげられるのかな。





 哀しげな表情を見た後で俺は意を決した。

無言のままテントが張ってある場所に向かう。

レジャーシートに置かれたギターケースの留め具を外していく。

内部の小物入れに自宅の机上に置かれていた白い紙『ラブレター』を忍ばせてある。


 たった一枚の紙を詩織さんに渡す。


「なに、これ。え、ラブ……レター。

えー、このタイミングで告白する? しかも手法が古いよー」


 空元気な詩織さんの声が上がった。彼女の声によってメンバーの視線も集まる。


「俺からじゃないです」


「え……どういうこと?」


 見せて良いのか、俺は今日まで思案していた。

出会った時から読んでもらうかを躊躇っている。

彼女が今より傷つく可能性も否定できなかったからだ。

それでも……詩織さんの今を優しく抱きしめられるのは他の誰でもない。





 兄さん……大詩だけだ。





「去年、兄さんが帰ってきた時……多分、みんなが兄さんと会った日です。

俺は祖父母の家に行っていたから会えなくて。

それで……兄さんが手紙を書いて母に渡したんです」


「大詩の手紙……読んでいいの?」


 静かに頷く。震える指先が手紙を開いていくが、メンバーの誰も口を開かない。


 彼女は丁寧に綴られた文字を青い瞳で追い始める。


『優詩へ。久しぶり。

手紙を書くのは初めてだな。

顔を見に帰ってきたけど、じいちゃんの家に行ったって聞いたよ。

電話とかで連絡すればいいんだけど、それだけだと日本人としての趣がないからな。

悩みとか色々あるだろうから今度ゆっくり話そう。


一つ、優詩に頼み事がある。


最近、生死について、よく考えるんだ。

生きていくこと。死ぬこと。いつも隣にある。

明日を迎える人もいれば、迎えられない人もいる。

俺になにかあったら……詩織の隣にいてほしい。

詩織は、つらい過去を背負っている。

記憶に刻まれた悪意を思い返さないように、無理に明るくしている時もあるんだ。

俺が隣にいてあげられなくなった時は優詩が隣にいてあげてほしい。

これは……優詩にしか頼めないんだよ。


詩織には大切なものを貰った。


愛とか恋は誰でも簡単に口にできる。できるからこそ、自身の心を騙す人もいる。

愛している、恋している、その言葉だけに陶酔している人も多い。

言葉本来の意味を持てない、貰えない、体現できない。

だから、どうしようもなく表面上の言葉だけを欲するんだ。

偽りでしかないと心の奥底では気付いているのに真実として心に刷り込ませる。

それは……生きていくために必要なのかもしれない。

俺も過去には、そういうことがあった。でも……その中で詩織に出会ったんだ。


人を想うこと……愛することの意味を教えてくれた。


苦しみ、悲しみ。深く知っている詩織だから笑っていてほしいんだ。

人を愛してほしい。音楽を愛してほしい。

歌を愛してほしい。歌っていてほしい。

詩織のこと頼んだからな、優詩。


俺たち二人の約束だ。


ここからは余談です。

「青春の思い出なんて一つもない! お前ら、みんな死ね!」って詩織が言うんだよ。

だからさ、母校へ凱旋ライブでもしようかなって思うんだ。

文化祭ライブとか青春って感じでいいよな? 来年なら優詩と一緒に演奏できる。

室岡とか木崎は、まだいるのか?

ライブ断られたら室岡を脅すのもおもしろそうだなー。

バンドやりたくなったら行動しろよ。行動する時に恐怖心はつきものだ。

大丈夫、優詩ならできる。良いメンバーと最高の音楽を!

今度、二人でセッションしよう。バイバイ』


 詩織さんの目から溢れる雫が頬を伝う。静けさをもっているが多くの感情が流れている。


「いつも……いつもそう……。なんなの……?

自分のこと……よりも……人のこと気にして……。

人に優しくて……人を愛していて……なんなの? 私は……私は………………」


 手紙に向けて声を出す詩織さんは呼吸が細かく乱れている。


「いつも……勝手なんだよ……私にも持たしてくれたってよかったじゃん……。

一人で持たなくて……よかったのに……。バカ……バカ、大詩……」


身体を震わせる詩織さんの肩に美波が手を回し、凛花は俯き手を握っている。

詩織さんの嗚咽は彼女たちの心に吸収されていく。


 手持ち無沙汰の悠馬が助けを求める視線を送ってきた。


 俺は瞼を閉じて二回頷く。


「ね……姉さん……! やるしかねえっすよ!

あの人にも観客にも……最高の音ってやつを届けなきゃっすよ!」


「――へ、変態……垂れ目小僧に……言われなくても歌うよー!」


 悲しみの涙はメンバーによって流されていく。

なぜか悠馬も泣き始めて、笑い声と泣き声がステージ裏を混沌とした世界に変える。



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