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あすの空、きみに青い旋律を  作者: 陽野 幸人
第六章 再生の音色

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再生の音色 2

「詩織さんが兄さんを迎えにきてたから。

だから、俺は詩織さんのこと知っているんです」


「そうなんだ……家の前までいったことある……ね」


「――あの日、兄さん言っていました『いつも詩織の歌声に助けられてる』って。

だから……もう自分を責めないでください」


「大詩……」


 彼女は青く広がった空に一度顔を向ける。


 そうしてから背中を丸め大声で泣き始めた。

『天使の涙声』でも『堕天使の叫び声』でもない。

幼い子供のように感情を泣き声に乗せる。


 兄さんのことで自身を責めて歌えなくなったこと。

凄絶な過去。兄さんとの出会い。涙に溺れる中で話してくれた。

一つの言葉にさえならない。詩織さんは一人で戦って生きていた。

黒闇の海から顔を出しても悪意に沈められて不信に溺れる。

そこに兄さんが現れて共に人生を歩んでいたのだと知った。


 兄さんが亡くなった時、俺は両親や周囲の人間から隠れていた。

部屋にはセックス・ライフルズの楽曲が流れる。

気持ちの整理はできなかったが『堕天使の叫び声』は俺の心にも寄り添ってくれた。

 

「ごめん……ね。今まで黙っていて……。怖くて……怖くて話せなかった」


「俺も同じです。兄さんの死を受け入れたつもりでした。

でも、詩織さんの口から告げられると実感してしまいそうで……。

どこかで……ギターを弾いている……そう思いたかったから」


 夏は終わりを迎えているが薫風にも似た中で疑問を口にする。


「どうして……俺のこと、わかったんですか?」


「あのギター……大詩のギターだもん。最初は同じ型なのかなって……。

でも……高校生が持てるような代物じゃないし。

最初は半信半疑だったけど……ボディの裏に刻まれたイニシャルで確信した。

大詩から弟がいるって聞いてたし……それに顔も少し似てるから……ね」


 涙に濡れる声は緩徐になっていく。


 お互いの秘密を吐露したことによって心の中には小さい花が咲くようだった。

詩織さんが泣き止むまで俺は無人の公園を見回す。


 彼女の泣き声を守るように。


「詩織さんには……いつものように笑っていてほしいです」


 詩織さんは目尻に一粒の水分を浮かべ不敵な笑みを俺に向けた。


「――ねえ、一つ聞きたいんだけど」


 裏のありそうな笑みは変わらない。


「なんですか?」


「この夏、一緒に過ごしていて、私のこと好きになった?

それとも最初に、ここで会った時に一目惚れ?」


 唐突に問われた言葉に飲み込み途中の飲料が気管に入る。

 

「な、なんですか……いきなり」


「寝取られじゃないけど、さ。

ほら、男の人が彼女と彼女の母親と関係を持つ親子丼?みたいな。

私が大詩と優詩くんとそういう関係になるのは、どうなのかなー、って思ってさ!」


 とんでもないことを口にしている。この場に美波がいなくてよかった。

貞操を重んじる彼女から俺まで軽蔑の対象としてみられてしまう。


「歌声は……世界で一番好きです」


 本心だ。初めて会った時から。この夏に過ごした中で揺るぎない真実である。

彼女からの返答はない。


「――黙らないでくださいよ」


「だ、だってさー、嬉しいけど……。初めて会った時とキャラ違う……から」


 それはバンドメンバーに出会ったからだ。

他者との繋がりが心を穏やかにしてくれた。

努力家の一面があるドラマーがバンドの話を持ってきた。

大人しい性格だが音楽に対して天才的なベーシストを誘った。

才色兼備で優しさを持つキーボーディストに声をかけた。

尊敬する兄さんに託された人物をバンドのボーカリストに据える。



 一つの行動は自身の世界を大きく変えた。



「そうだとしたら……みんなのおかげです。

バンド、文化祭ライブ。詩織さんの歌声を聴かせたかったです」


 後悔先に立たず。

あの時こうしていればよかった、こうすればよかった。

活動休止期間中に何度も頭を巡った。

二度と戻らない時間は誰にでも存在している。

だからこそ美しく儚いともいえるわけだけれど。


「そのことなんだけどさ、私考えたよ――」


 続けられた詩織さんの言葉に俺は明確な賛同を示さなかった。

傷口を広げ塩を塗り込む可能性も否定できないからだ。


「…………。いいんですか? 今よりつらいことになるかもしれません」


「うん、大丈夫だよ。私は、みんなと一緒に音楽がやりたい。

それは別に部室でもライブハウスだっていいんだよ。

でもね、きみたちが高校生として文化祭ライブを演奏することは人生の中で二度とない。

私が一度も経験しなかった青春、みんなには味わってもらいたい」


 横から詩織さんの笑顔を一瞥すると、もう一度戦ってみようと思った。

彼女には、みんなと笑っていてほしい。一人きりで泣かないでほしい。



 俺たちの夏は終わっていない。



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