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あすの空、きみに青い旋律を  作者: 陽野 幸人
第六章 再生の音色

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再生の音色 1

「――初めて会った時から……知っていました」


 最初から気付いていた。

この場所でフェンス越しに声をかけられた時から。


『セックス・ライフルズ』


 俺たちが課題曲として演奏した英国の有名バンド名をもじっている。

そのバンドよりも、人の心に狙いを定めて、綺麗に撃ち抜くという想いが込められていた。


 セックス・ライフルズのボーカリストである詩織さん。

バンド活動における名前は『シイ』


 詩織さんがセックス・ライフルズのボーカルということはファンでさえも気付かない。

人前に現れる際の彼女は、能面のような白塗り、目の周りを真っ黒に縁取る。

目尻から大きい黒雲の涙が零れ落ちて、口元は悪魔の囁きが聞こえる黒紫色をしていた。

ベーシストもギタリストも派手なメイクを施している。

体格の良いドラマーは、ひょっとこのお面を着けていた。


 パンクサウンドを主軸としたメロディアスな楽曲が魅力だ。

現代社会を風刺したり悲痛な声を代弁する歌詞。

シイが表現する『堕天使の叫び声』と評される歌声で絶大な人気を誇っていた。

本来であればメジャーシーンで敬遠されがちな歌い方をしていたけれど、

詩織さんの独特の歌声と楽曲がキャッチャーであるから若者に支持されていた。


 一年前。ギタリストの逝去によってバンドは無期限活動休止となった。


「え……知って……たの……?」


「はい……黙っていて……すみません」

 

 詩織さんが得意としていた当時の歌唱法はメタル系ジャンルで主に使用されるものだ。

グロウル、スクリーム、ホイッスルボイスなど多彩な声を出していた。

メロディを綺麗に歌い上げる箇所も太い声だ。

『天使の涙声』を出せるとは誰も思わないだろう。

彼女の歌声の振り幅は天と地を行き来する。神の調べを宿しているのだから。


 それでも俺はシイと詩織さんが同一人物だと知っている。


「ごめん……なさい……ごめんなさい……」


 嗚咽混じりの謝罪。普段の声とは違って深い痛みを俺に教える。

謝る必要なんて……どこにもないのに。震える白い手を温める者はいない。


「詩織さん……」


「私……私は助けられなかった……」


 落涙が彼女の肌を伝って夏の残り香へ消えていく。


「大詩のこと……助けられなかった……」


 セックス・ライフルズのギタリストでメインコンポーザーの大詩。

去年の夏、腹部を刃物で刺されて帰らぬ人となった。


 享年二七歳。





 俺の実兄だ。





「謝らないでください……詩織さんが謝る必要なんてないですよ」


「あの日、私が……大詩と……言い合いをしなければ……。

外に出ていくこともなかったの……」


 尋也から助けてほしいと連絡を受けた日。俺は東京で兄の亡骸と対面していた。

当時、尋也に事情を説明しなかったのは彼も兄さんのことを慕っていたからだ。

結衣奈のことで心を蝕まれた彼に追い打ちをかけることなどできない。

俺自身……言葉で出してしまえば『兄の死』という現実が視界を暗黒にする気がした。


「ごめんなさい……ごめんなさい……私……私のせいなの……」


 ホワイトアッシュの頭頂部にある黒い部分が見える。


 詩織さんのせいではない。警察官から事情は聞いている。

兄さんは俺たちに教えてくれた言葉を上辺だけではなく、しっかりと体現していた。

人として、兄として、ギタリストとして。

俺に多大な影響を与えてくれて、もっとも尊敬している。

自身の正義を貫いた兄さんは俺の誇りだ。


「義を見てせざるは勇なきなり、です」


 道理に反する悪い状況、悪い状態を見て見ぬ振りすることは、愚かで勇気のない者。


「その言葉……」


「兄さんが……俺、要、尋也に教えてくれた言葉です。

上辺だけ……汚い部分を隠して綺麗な言葉を吐く人は多くいます。

でも……兄さんは違います。いつでもそうでした。

いつも自身の行動で見せてくれました」


 兄さんが教えてくれた。

現実から目を背けて生きていくことは簡単だ。

目を背けても何も変わらない。

知っているのに、見えないふりをする。

見えているのに、関係ないふりをする。

だから、伝えていかないといけない。

だから、繋げていかないといけない。


 声帯と視界を哀しみに奪われ両手で顔を覆う彼女に話を続ける。


「いつまでも……カッコいいギタリストで俺の自慢の兄さんです。

もう……苦しまないでください。責めないでください。

兄さんのこと……泣いてもいいから笑って思い出してください」


 彼女の嗚咽は激しくなる。


「大詩は……悩んでいたのに……。

私の歌声は人に寄り添えるって……そう言ってくれたのに……私は――」




 一番幸せにしたい人の心に寄り添えなかった。




「そんなことないです。俺は兄さんから聞いています」


「え……」


「メジャーデビューが決まった後、家に報告しにきたことがありました」


 あれは三年前の風の無い蒸し暑い日。

両親と話した後で兄さんと俺は部屋で久しぶりに談話していた。


「俺たちの音、聴いてるんだろ?」


「うん、聴いてるよ。メジャー前から」


「どう? 詩織の声は」


「どうって……カッコいいと……思うけど」


「それなら今度、紹介するよ。

親に紹介するのは恥ずかしいから今回は遠慮するけどな」


「別に……俺は会いたくないよ。絶対に恐ろしい人でしょ。話とか通じなさそうだよ。

なんか……変な物食べてそう」


「はは! それ聞いたら確実に怒るな。

実はさ……詩織、もう一つの歌声を持ってるんだ」


「もう一つの歌声……?」


「まだ世には出してないんだよ。俺たちの奥の手だ。みんなを驚かせようと思ってな」


「どんな声?」


「そうだな……。天使の涙声……かな」


「天使の……涙声」


「いつも詩織の歌声に助けられてる。

苦しくて立ち止まっても……痛みに溺れても詩織の歌声が安らぎをくれるんだ」


「そうなんだ……」


「――じゃ、そろそろ迎えがくる時間だ。今度……話してみろよ。

優詩の抱えている悩みとか吹き飛ばしてくれるかもな」


「そんな高みにいる人に会ったって俺には関係ないよ」


「――高み……か。まあ、今度話してみろよ」


 兄さんは笑顔で階下へ降りていく。


 カーテンの隙間から外の様子を窺った。

しばらくするとアプローチ部分に佇んでいた兄さんに華奢な女性が走ってきて抱きつく。


 真っ赤な髪色をした詩織さんだ。

ロックバンドのボーカリストではなく一人の女の子の姿がそこにはあった。



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