桃色の果実 11
陸に打ち上げられた男たちが息を吹き返す前に、私たちは工場から離れることにした。
亀裂が入るアスファルトの道を歩く。
「藤原……! お前、ボコボコにされてるじゃねえか!」
ニヤニヤとする悠馬くんが後輩くんを貶していた。
「あなた誰なんですか? 参加もしていないのに、ずいぶん偉そうなんですね」
「お、俺は、美波先輩と島崎を守るっていう大事な任務が……!」
「へー、それはすごいですね。
その勇敢な姿を確かめたいので、ぜひ、今度スパーリングか組手をしましょうよ」
「あ、いや……それは……」
「優詩先輩……少しいいですか?」
と、後輩くんは悠馬くんを相手にすることをやめた。手にはスマートフォンがある。
「やっぱり……尋也先輩は外道になってなかったようです」
優詩くんが疑問を付けて聞き返すと彼は微笑んだ。
「一応、俺も気になっていたので仲間にちゃんと調べさせたんです。
売春斡旋、児童買春、ヤクの売買、違法賭博などをやっているという噂のことです」
「ああ。佐藤からも聞いてるよ」
「ヤクと賭博は事実のようですけど、女性が絡むビジネスは一切やっていないようです。
そういう虚偽の話を流していた情報源が佐藤のようです」
「そうか……俺もそうだとは思ってたよ」
「尋也先輩、そういうところの線引きはできていますからね。
むしろ、女性のことは守っていたようですよ。
無理やりナンパされたりしている子とかを助けたり。
騙されて風俗に堕ちる子とか助けていたみたいです。
女性にひどいことをした人間には徹底的な制裁を加えていたようですね。
きっと……今回も呼び出すためだけで、傷つけるつもりはなかったのかと」
「ああ。ありがとな、尚人。少し安心したよ」
後輩くんが仲間に連絡を取ってくれて私たちの元へ黒いバンが到着する。
順番に乗り込んでいると「おい……!」と、声がした。
入れ墨男が頭を右手で押さえて私たちが佇む場所を目指している。
「尋也……」
心の陰りが薄まったのか、入れ墨男の瞳には細やかな灯りがある。
「優詩……悪かった……。今までのこと許してほしいとは言わねえ。ただ……」
膝に手をついて深く頭を垂らした。
「――いいよ。俺も悪かったし……結衣奈ちゃんにも言われてたから」
「結衣奈に……?」
深く下げていた頭が天空から引き上げられる。
「尋也は……強がっているけど隠れて泣いていることがある。
言葉が強くて誤解されやすいだけ。
本当は誰よりも思いやりのある優しい人だから。
自分が隣にいれない時。一人で泣いている時があったら助けてほしい、って。
俺のせいで遅くなっちゃった……けどな」
「結衣奈……」
と、工場内で現れた水分を取り戻している。
深い悲しみの中で一人だったんだ。大切な人を失った悲しみ。
悲しみは人を間違った方向に進めてしまうこともある。
一人では戻れなかった……それは私と同じなんだ。
人が人を堕とす。人が人を救う。
彼の背中を押す気持ちで私は微笑んだ。
「――泣きたい時は、いっぱい泣いたらいいよ」
「…………。お前……俺が意識失う前に膝かなんか入れなかった……か?」
「い、いれてないよ! ゆ、優詩くんのパンチが効いて勝手に気を失ったの!」
「いや……でも……お前の声が」
「小さいやつだねー、負けたからって記憶を改竄して。
負け犬の遠吠えって本当にあるんだねー。わー、カッコ悪い」
入れ墨男は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「尋也、またな」
と、優詩くんが言って、要くんが隣で指二本を軽く振る。
入れ墨男も呼応し静かに微笑んだ。
黒いバンが動き出す。窓から顔を出すと強い風で髪が乱される。
だんだんと小さくなっていく入れ墨男に声を張り上げた。
「変態入れ墨小僧ー! あの時、助けてくれて、ちょっと嬉しかったよー!
本当はいいやつなんだから、これからつらくてもがんばれよー!
あと殴ったのは私だから! バーカ! また泣かしてやるからー! じゃあねー!」
*
彼らが心を通わせた翌日、私は再度待ち合わせをしていた。
ベンチから見る公園内は無人だ。夏は引っ越しすることを渋っていた。
何かに祈るように両手を重ねて膝の上に乗せた。不安だけが私の胸を巡る。
言わないと……。ちゃんと言わないと。
そのようなことを考えていると、優詩くんが「どうも」と、言って現れた。
「あっ……う、うん……おす!」
変な間をあけてしまった。彼は私の隣に腰を下ろす。
横顔を一瞥するとスキンケアに気を遣っていそうな肌が腫れている。
「大丈夫……? 痛い?」
「うーん……口内も切れていますから、なにかを口にすると痛いですね」
「ごめんね、私を助けるために」
「違いますよ。俺と尋也の関係で巻き込んだことなので謝らないでください」
優詩くんの微笑みがいつもと違う。顔の赤みが痛みを誘って、うまく笑えていない。
「――変態入れ墨小僧、大丈夫かな?」
「わからないですけど……昨日までの尋也と決別したと思いますよ。
それに渾身の膝蹴りで改心しましたよ」
痛みがもたらす不器用な笑い。そんな彼の頬を人差し指で突き刺す。
「や、やめてください」
と、頬をへこませた指を振り払われた。
顔を労る彼に桃味の缶飲料を手渡す。私も彼も無言で甘すぎる水分を喉に流す。
言わないと……。
喉には甘味が張り付いて声を出すことを躊躇う。やっぱり……発声に良いのは水だ。
「あのね……私、優詩くんに言わないといけないことがあるの」
両手が震える。アルミ缶は震えを隠すための力を受け止めてくれた。
「私……」
怒られるかな……。嫌われちゃうかな……。
「私ね……セックス・ライフルズのボーカルなんだ……」
一際、大きい風が私たちの間に流れた。
私の声が優詩くんの耳に届いているか不安になる。
彼は予想外の言葉を口にした。
私が巡らせていた返答は異国の地へ飛ばされる。もう一度吹いた大きい風と共に。
「――初めて会った時から……知っていました」
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