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あすの空、きみに青い旋律を  作者: 陽野 幸人
第五章 桃色の果実

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桃色の果実 10

 私と要くんは彼らに近付いたけど、途中で結界が張られたように進むことを止めた。

踏み入れてはいけない、禁足地のような気がしたから。

優詩くんは入れ墨男の左手を掴み彼自身に見せつけている。


「――この指輪と……ネックレスの指輪……血で濡れてる。

結衣奈ちゃん、喜んでるか……?」


「お前が言うな……裏切り者が……! お前が……あの日、来てくれてたら……」


「違うんだ……すぐに行きたくても……行けなかったんだよ」


「言い訳して……んじゃねえ……!」


 首だけを起こして怒声を響かせる入れ墨男に、要くんがゆっくりと近付いた。


「本当だ……優詩は、すぐに来てくれたんだ」


「ああ……!? 要、てめえも……優詩を庇うのか!?」


「尋也……俺さ、あの日――」


 入れ墨男の耳元に優詩くんの口元が近付いて何かを言っている。

大きく見開いた入れ墨男の目は優詩くんの瞳と重なった。

無言のままで彼の話を聞いている。


「な……なんで……言わなかったんだ……よ」


「悪い……言えなかった。尋也に……あれ以上、追い打ちをかけられなかった。

認めたくなかった、っていうのもある」


 左手で視界を封じる入れ墨男は沈黙した。


「なあ……結衣奈ちゃんも心配する。戻ってこいよ」


「今さら……今さら戻れるかよ……。今日いる奴らは一部だ……まだ何十人もいる。

一大勢力を作って……外国に戻った、あのクソ野郎どもをぶっ殺してやる……!

警察も……佐藤の野郎……! あの野郎も必ずぶっ殺してやる!」


「佐藤のこと……知ってたのか……」


「ああ……外に出てきてから情報屋に笑われたさ……。

そんなこと裏では有名だってな……。タダで教えてくれた……よ」


「尋也……」


「結衣奈が攫われた時、通行人は通報してくれてた……。

それなら……間に合ってたはず……だ。佐藤は……サツを向かわせるのを遅らせた。

あの野郎は自分たちで飼ってた外国人が煩わしくなって……あいつらを切ろうとした。

全部、佐藤が絵を描いていたんだ……!」


 入れ墨男の口元から新たな血が垂れていく。


「そうだよ。佐藤が裏で糸を引いていたんだ」


「はっ……全部、あいつの思惑通りになったわけだ。

結衣奈が殺されたことで……外国人組織にガサ入れ。

過剰にやつらを攻撃したことで俺のこともパクれる。

それらを手土産に上に行きやがった。

それに……あの野郎は取り引きで実行犯を逃しやがった……。

あの野郎も外国に逃げたやつらも全員……ぶっ殺してやる……!」


「尋也……。それで……結衣奈ちゃんは喜ぶのか?」


 女の子の名前が入ると二人の間に必ず緊張と畏れの糸が張り詰める。


「なあ……優詩……。お前は見てねえ……から知らねえだろ。

結衣奈は……死ぬほど犯されて……血だらけだったんだぞ……。

いつも……いつも笑ってた……結衣奈が……。

あ、あの……優しい……結衣奈が……な、なんで……そこまでされなきゃいけねえ。

あいつが……なにをしたんだよ……! ああ……!?

優詩……! 答えてみろよ……! 結衣奈がなにをしたんだよ……!」


 入れ墨男は会った時から大声を上げることはない。

それが今は本心からの言葉を吐き出す。彼にも心を抉られた過去があったんだ。

話の内容を聞く限り……重く深い、とてつもない痛みだった。


「結衣奈ちゃんは……望んでない」


「お決まりの言葉だな……。復讐を望んじゃいない……ってか?

お前が結衣奈のことを勝手に代弁するな……!」


「…………」


「死人に口なしだからか……? 死んだ人のことを勝手に語るんじゃねえ……!

お前らは都合のいいように勝手な解釈しすぎなんだよ……!

自分の恨みを晴らしてほしいって、なんで考えねえ……!

復讐してくれって……! 屈辱を与えてくれって! 殺してくれって……!

なんで考えねえんだよ……!

てめえらは怖気づいて理由をつけてるだけなんだよ……!

てめえの手を汚したくねえから、それらしい理由をつけてるだけなんだよ……!

そんなのは義に反してるんじゃねえのか!? ああ……!?」


 入れ墨男の目から大粒の涙が溢れている。あまりに痛い言葉が彼の慟哭を加速させた。 


「そうかもしれない……。復讐してほしいかもしれない。殺してほしいかもしれない。

でも……一つだけわかることがある」


 優詩くんは真っ直ぐに彼を見ている。


「結衣奈ちゃんは……今の尋也を見たら絶対に怒る」


「だから……お前が結衣奈を……語るな……!」


「尋也には……笑っていてほしいと思ってるよ」


「ふ……ふざけんな……お前に……なにが……なにが……わかんだよ」


「――優しい子だからな、結衣奈ちゃん。俺たちにも、いつも優しくしてくれた」


 入れ墨男の悲痛な声が喉奥から響く。

その声は錆びたナイフで何度も喉元を切りつけるような音だった。


「指輪が血で濡れてる……二人の約束なんだろ……怒られるぞ」


「うるせえ……。うるせえ……んだよ。俺は……俺は……」


 入れ墨男は血涙の中で心から言葉を絞り出す。


「なあ……優詩……わかってんだよ……全部、自分で撒いた種だ。わかってんだよ……。

誰かに怒りをぶちまけることも……お前に怒りをぶつけてたのだって……。

間違いなのはわかってんだよ。

お前が来てくれても……間に合わなかった。わかってんだよ。

お前が……裏切るようなやつじゃないって……わかってんだよ……。

でも……誰かを恨まないと――」





 生きていけなかった。





 声を上げて泣く入れ墨男の胸をぽんぽんと優詩くんは叩く。


「尋也……もういい。あの時、助けに行けなくて……ごめんな。

一緒に背負ってやれなくて……ごめんな」


「――長すぎんだよ、お前らの喧嘩は」


 要くんが入れ墨男に手を伸ばす。

上体を起こした後で煙草を差し出している。顔が腫れた三人の笑顔はどこか清々しい。


「おい、三人揃ったのは久しぶりなんだから、優詩も吸えよ」


「中学以来、吸ってないからな……今は真面目なバンドマンだよ」


「優詩は……ボーカリストじゃ……ねえだろ」


 一つの火から三本の煙が上がる。

三人の意志が混ざり合って仲直りするには相応しく感じた。

私の知らない彼らの関係は三本の矢だったのかもしれない。

一本では脆くて折れてしまうこともあったんだ。

彼らの微笑ましい姿に私の心も和らいでいく。


 でも……それでも……。


 私は自身の疼きを抑えられない。

彼らの問題と私の気持ちは……まったく関係ない。入れ墨男の過去を私は知らない。


 軽くステップを踏んで走り出す。止まらないし、止めるつもりもない。

勢いを利用して入れ墨男の左側頭部に右膝をめり込ませた。

鈍い音がしてから彼の唇は地面を舐める。

弱っている今なら私にだって勝機があるんだ。

死角からの攻撃や不意打ちの攻撃は……よく効く、と彼は教えてくれた。


「え……え、詩織さん……?」


 優詩くんの声は聞こえていない……ふりをする。


「今のは私に触った分ね……! 次は優詩くんを殴った分!」


 背中を力いっぱいに二回蹴り上げる。


「次は……後輩くんの分ね」

と、露わになった肋骨を踏みつける。


「これは……私に触った分!」


「いや、二回目……!」

と、優詩くんが声を上げると同時に最後の攻撃だ。

倒れ込んだ入れ墨男の顔面に膝を落とす。膝と床に挟まる鈍い音。


 彼の意識は楽園か失楽園か……どこかへ消えていく。


「はっはっは! 最高じゃん、お姉さん!

尋也のやつ優詩のパンチもらっても立ってたのに完全に失神したよ!」


 要くんが手を叩いて嬉々とする。

優詩くんは苦笑して入れ墨男の顔を覗き込んだ。


「私のほうが最終的には強いんだからねー。喧嘩は腕力だけじゃないんだよ!

卑怯とは言わせないからね……! これは戦略なんだよー!

勘違いするなよ、変態入れ墨小僧……!」


 その時だった。


「こ、この……ガ、ガキが……!」


 ヒジキが優詩くんの背後で鉄パイプを振り上げた。


 危ない!と思った瞬間、ヒジキは根っこから刈られるように崩れ落ちる。

その先には鉄パイプを握りしめて、呼吸の浅い凛花ちゃんが立っていた。

隣にいる困惑した表情の美波ちゃんが彼女から鉄パイプを取り上げる。

背後には周囲を気にする悠馬くんがいた。


「わっー! 三人も来てくれたんだー!」


「危ないからって言ったんですけど……どうしても行くっていうから」


 争いが終わるまでは工場外にいるように優詩くんに言われていたらしい。


「みんな、ありがとー!

ヒジキを殴り殺すなんて……凛花ちゃんは、やっぱりパンクスだねー!」


 凛花ちゃんの身体は柔らかくて気持ち良い。タコに抱きつかれた生臭さと違う。

彼女の甘い香りは私の気持ちを爽やかにしてくれる。


「ひっ、ひいい……!」


 私って凛花ちゃんに苦手意識持たれているのかな。




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