桃色の果実 9
三人とも恐ろしく強い。圧倒的な経験値があるのは素人の私でも一目瞭然だ。
身体の被害を最小限に抑えるために後方や横に飛んで攻撃を逃がしている。
瞬間的に身体の向きを変えたりして致命傷を受けないように工夫していた。
私がいた街でも度々、喧嘩を見かけることがあった。多くが酔っ払いの殴り合いだ。
酩酊の影響で身体が流れて、お互いに情けない攻撃をする。
仲裁する彼の背中を思い出す。
そういう場面に遭遇すると彼はきまって私に喧嘩の指導をしてきた。
一対一で殴り疲れたり劣勢になったら相手に密着して攻撃を出させるな。
ゼロ距離で効かせる技を出せるやつなんて格闘技経験者くらいだ。
多勢とやりあう場合は囲まれないように地の利を活かして戦うしかない。
もしくは一番強いやつを見抜いて、その人物を瞬殺することで萎縮させる。
優詩くんと要くんは敵からの被弾を受けて背中合わせで戦っている。
二人に多くの人間が集中したということもあるけど後輩くんは飄々としていた。
囲まれないように走っては振り返って軽やかなステップを踏む。
相手が道具で殴りつけてきても、連撃の合間を狙って華麗な足技を相手の臓物に入れる。
その度に艷やかな髪の毛をかきあげた。自身に満ちた決め顔をしている。
――ナルシスト……なのかな。
「あれー、弱いですねー。こんなもんですか?
これで俺たちを相手に勝ち目があるんですかね? ははは、弱い、弱い」
そう言いながら上段蹴りをドレッドヘアー男の側頭部に叩き込んでいる。
十五人と三人の力量差。どんどんと崩れていく男たち。
人数が互角になった頃合いだった。
入れ墨男がガラス片を踏みしめ後輩くんへ向かっていく。
さっきまで静観していた彼の歩みに私は見入っていた。
他の男たちとは身に纏う雰囲気が違っていたから。
「あれ……尋也先輩。直々にお相手していただけるなんて光栄です」
髪をかきあげた後輩くんは薄ら笑いを浮かべる。
「たまには……後輩の指導もしないと……な」
入れ墨男は頸椎を四方八方へ動かしている。
「ははは。いいんですか? 優詩先輩と決着つけなくて。
俺とやりあったら先輩負けますよ?」
「心配すんなよ……お前は強くねえ……!」
勢いよく飛び出した。
目にも留まらぬ速さで距離を詰める。
後輩くんが繰り出した足を気にせず突進したことで威力を殺された。
彼が距離を取ろうと後ろに飛ぼうとした時だ。
後頭部に腕が回されサラサラとした髪の毛の掴まれる。
後輩くんの顔面に入れ墨男の頭蓋骨が埋まった。
上体を崩してしまった後輩くんに容赦のない追撃が始まる。
血の吹き出した顔面。さらに胸椎、腹部に強烈な膝蹴りを連続で入れていく。
「おおい……どうした? 俺に勝つんだろ?
綺麗な道場技じゃ厳しいか……喧嘩にはガタイも経験も大事なんだよ。
覚えておけよ、尚人」
意識の半分が遠くの空に行ってしまっても激しい攻撃を加えている。
振り下ろす右肘が後輩くんの意識を刈り取った。
私が駆け寄ろうとした時、入れ墨男の肩を掴んだ人がいる。
優詩くんだ。
周囲を見渡すと人は立っていない。
三人だけが立っている。
煙草に火をつける要くんが私に近寄ってきた。
「大丈夫っすか?」
「うん……」
煙草を咥えた唇から内部の肉が赤く見えている。
「すんませんね、身内のゴタゴタにお姉さんを巻き込んじゃって」
「ううん」
「ま、見届けましょうよ。バカ二人の喧嘩」
「あのさ、二人は……ううん、なんでもない」
聞いてはいけない気がした。優詩くんも入れ墨男も答えなかったから。
「お互い……素直じゃないんすよ。優詩は真実を語らない。尋也は真実を知らない。
思いやりと意地がぶつかってる」
長めに煙を吐き出す要くんは二人をじっと見て笑っていた。
二人は睨み合っていて動かない。
工場内にひんやりとした風が癒やしを送り込んでくる。
今の二人にとっては安息にもならない。
「さすがだ……優詩。だから、俺はもう一度……お前らと組みたかったんだよ」
「…………。そんなことしても、結衣奈ちゃんは――」
「黙れ……お前が……その名前を口にするな」
入れ墨男の拳が優詩くんの左頬と身体を突き飛ばす。
瞬時に態勢を立て直した優詩くんは入れ墨男の腹部に前蹴りをいれる。
間髪入れず強烈な右フックを顔面に食らわせた。
入れ墨男は力なく笑い、口から鮮血が溢れている。
「は……この裏切り者が。お前が……あの時、今みたいに来てくれていたら……」
と、優詩くんの胸ぐらを掴んで殴り飛ばした。
「尋也……お前の今は『幸せ』か……?」
「幸せ……だと? くだらねえ……。
そんなものは幸せを感じているやつにしかねえんだよ!
笑わせんな! 幸せだと……? 俺には……そんなもの感じたことは……」
言葉を悲痛の中で止めた。
続きを口にしてはいけない、そういう風に見える。
優詩くんが入れ墨男の間合い入って、お互いが乱撃を繰り返す。
その最中、優詩くんが彼の右手首を掴んで自身の右腕の脇に引っ張る。
上体が崩された入れ墨男。顔を見せた肋骨に左拳が上へ突き上げられた。
さらに身体が捻転して溜め込まれた力を左肘に乗せる。
入れ墨男の顔面に強烈な攻撃が入った。
「あれは……効いたな」
と、要くんが小さく呟く。
確かに攻撃は決まったけど入れ墨男の身体が地面に伏せることはなかった。
呼吸を荒くした二人の顔面は出血で濡れている。
とても見ていられなかった。
「あい……かわらず……いい打撃だな……。一度、本気で……やってみたかった」
「尋也……もういい。もういいから……」
優詩くんが一気に懐に入り込んだ。右の拳が入れ墨男の顔面を捉える。
さらに重い右膝が鳩尾に入り、追撃の右フックが脳と心を揺らした。
「あの連撃に耐えるのは、さすがに無理だろ……」
崩れ落ちた入れ墨男の様子を見た要くんが呟く。
呼吸を荒くしている優詩くんは、その場に座り込んだ。




