表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
あすの空、きみに青い旋律を  作者: 陽野 幸人
第五章 桃色の果実

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

49/71

桃色の果実 8

「そんな人じゃない……って、確かめたいんじゃないの?

だから、電話したんでしょ?」


「…………」


 床の埃を見つめる横顔は『悪人』と声高らかに呼べるものではない。


「――心の痛みは……なくならないよね」


「痛み……」


「そう、痛み。一度、負ってしまった深い心の傷は二度と元に戻らないから。

だから……誰かに新たな心を分け与えてもらうしかないんだよ」


 私もそうだ。今でも心の痛みが蘇る。

過擦り傷は消えても深い傷が消えることなんて決してない。

傷跡になって必ず残る。そこから血が滲むことだってある。それでも……。


 私には新たな心を分け与えてくれる人がいた。


「俺は……痛みなんか関係ねえ。その痛みを他の奴らにも味あわせてやる。

その痛みってやつを……。呆けてるやつらのせいで壊れていくことだってあるんだ。

なにもしねえから、なにも起こらないんじゃねえ。

なにもしねえから、起こることだってあるんだ。

だから……世の中のやつらに教えてやる」


 入れ墨男の手は震えていた。

薬物依存からくるものか、アルコール依存によるものか。きっと……どちらでもない。


「一人は……寂しいよね」


「…………。人なんて所詮は一人だ。信じれば裏切られる。

この世の中で生きていくには先手を取るしかねえんだよ。

やられる前にやるしかねえ……俺も世の中のやつらも身勝手な生き物だ」


「そういう人もいるよ……ね。でも……きみは本当に今まで一人だった?

隣にいてくれる人はいなかったって……真っ直ぐに言えるの?」


 入れ墨男は静かに紫煙を見ていた。


「一人だけ……いた。もう……もう二度と……会えねえ……戻ってこねえ」


 それ以上、彼は言葉を紡がなかった。


「ねえ……きっと受け止めてくれるよ」


「ああ……?」


「優詩くんは受け止めてくれると思うよ」


「なにがだよ……ただ、ずいぶんと信頼してんだな」


「うちのバンドのリーダーだもん!」


 彼は返答せず腰を上げてハンカチ落としの輪に戻っていった。


 どれくらいの時が経っただろう。

スマートフォンはヒジキに奪われていたから時間の経過がわからない。


 工場内の音に変化があった。宴の喧騒から静寂へ戻っていく。


 入り口に三人の男の子が立っていた。

優詩くん、要くん、もう一人は……花火大会で優詩くんと話していた後輩の子だ。


 酒盛りの場から気怠そうに立ち上がった男たちは戦闘態勢に入る。

その手にはパイプやら角材を手にしていた。先頭には入れ墨男が立つ。


「来たか……裏切り者。それに要も……お前は尚人か?」


「お久しぶりですね。尋也先輩」


 後輩くんはサラサラとした髪を首と共に揺らしている。

笑顔で挨拶をする、物腰の柔らかい青年だ。


「――詩織さんは? 詩織さんは、どこだ」


 冷たいコンクリートから離れて優詩くんの問いかけに応える。


「優詩くーん! 私は大丈夫だよー!」


 手を振り上げると彼は安堵の表情を浮かべた。


「お前……こっちは十人以上いるって言ったろ? 

兵隊が足りてねえようだが……こっちは道具も使う、大丈夫なのか?」


 入れ墨男と要くんの嘲笑がぶつかる。


「お前な……兵隊っても足軽の雑魚ばっかじゃねえかよ。

モブキャラなんてワンパンで終わりだろ」


 足軽と呼ばれた男たちの怒号。床から跳ね返る金属音が甲高く響いた。


「相変わらずだな……要。人数差は関係ねえ……か」


「ああ。問題はお前だけだ」


「――尋也先輩、すみませんでした」


 後輩くんが入れ墨男に深く頭を下げた。それは相手への嘲弄を含んでいる。


「以前、お二人と立っていたのは、尋也先輩でしたもんね」


「はっ……。お前……俺らが卒業した後に、近隣の全中学を傘下にしたらしいじゃねえか」


「ええ、そうですよ。先輩たちと肩を並べたくて。

今も声がけすれば最低で数十人は集まる。それをしなかった理由がわかりますか?」


「お前が信頼されてねえ、頭だからだろ」


「違いますよ。優詩先輩に止められたからです」


「止められた?」

と、入れ墨男は優詩くんの方へ首を動かした。


「ええ、殺し合いをしにいくわけじゃない、って」

 

「そうか……笑えるな。どうせサツにタレ込んでるんじゃねえのか?

まあ……優詩にはサツに連絡したら、この女の命はない、って伝えたけどな」


 後輩くんは変わらず微笑んでいた。

殺気だった場に相応しくないほど無邪気に感じる。


「尋也先輩……ムショボケって本当にあるんですね。勘ぐることも下手になっている」


「てめえ、舐めてんのか!?」


「殺すぞ! このガキが!」


 反応したのは取り巻きたちだ。

タコは墨を吐き出すような怒号で、ヒジキは身を刈り取られる断末魔だった。


「逆、ですよ」


「逆だと……?」


「そうです。抗争……裏で糸を引いている人物。時にはいるものでしょう?

あなたを利用したい人に来られると困るから阻止したんですよ。

俺も警察沙汰は、ごめんですから。俺は先輩と違ってカタギなので」


「どういう意味だ? サツが来られないようにしたのか……?」


「はい。あなた方を英雄視している俺の仲間がいまして。

今回の事情を聞いていた彼らが、警察は俺たちで止めてやるって。それで――」


 今は警察署に乗り込んで暴れていますよ。


 軽く言っているけど信じられないことをする子たちだ。


「以前は防げなかった巨悪に立ち向かってくれる頼もしい仲間です」

と、後輩くんは続けた。


「巨悪……か。まあ……いい。それで……優詩。俺とやりあう覚悟はできてんのか?」


「――詩織さんを返せよ。それだけだ」


「それなら……力ずくで取り返してみろよ……!」


 手を空中に投げつけると男たちが一斉に走り出した。

三人は鉄パイプを躱して相手に鋭い一撃を加えていく。

殴るだけではなく、突き飛ばしたり、囲まれないように常に動いたりと徹底している。


 優詩くんは床に落ちた鉄パイプを奪い取って相手の攻撃を滑らす。

その力を攻撃に転じ相手の身体へ強い衝撃を与える。

鉄パイプが振り下ろされる前に腕を突き出す。

最小限の痛みで受け止めた要くんは右フックで相手の顔面を崩す。

怒号が入り乱れる乱戦は壮絶だった。


 私のために来てくれなくてよかったのに。


 みんなが傷つくことなんてない……のに。


 嘘と本音が粉塵と一緒に舞い上がる。


 本当は……みんなが来てくれて嬉しかった。


 要くんと後輩くんは優詩くんのために来てくれた。

そして……おそらく三人に共通していることがある。


 入れ墨男のためでもあるんだ。


「おらあ……! このクソガキがあ!」


「こりねえな! このハゲ野郎……!」


 要くんはタコの鉄パイプに怯まず前方へ飛び出して躱す。

その勢いのまま右膝をタコの鳩尾に深くめり込ませた。


「寝てろ……! ハゲ……!」


 左フックの追撃にタコは軟体動物として崩れ落ちた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ