桃色の果実 7
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どれくらい車を走らせただろう。向かった先は廃工場のような場所だ。
膝辺りまでの雑草が生い茂り入り口を隠している。
外壁は長年の傷みによって剥がれたり錆が侵食していた。
タコとヒジキに背中を押されて歩く。工場内は広いが物が置かれてなく殺風景だ。
解体工事を途中で止めてしまったのか、コンクリートの肌が剥き出しだった。
私たちの足音が反響していく。
多くの足で、石ころ、ガラス片を踏みしめる音がした。
奥から何人もの男が現れる。隣にいる三人と合わせて十五人ほどだ。
「おー! かわいいやん!」
「うっしゃー! うっしゃー! うしゃっ!」
「すぐにやるべーよ! ほら、ほら!」
奇声にも似た様々な男の声が工場内を支配する。
「うるせえ……! 黙れ……!」
入れ墨男が咆哮した。工場内は再び寂しい雰囲気に包まれる。
「落ち着け……。パーティはこれからなんだよ。こいつは……メインディッシュだ」
男たちは視線を下に向けた。
「お前は……そこに座ってろ」
と、指を差される。
中央にある支柱を背にして塵だらけの床に腰を下ろす。
男たちはハンカチ落としのように座っていた。入れ墨男はゲームの鬼のようだ。
一人だけ外周に立ってスマートフォンを耳に当てる。
その端末に与える声を私は聞きたくなかった。
「――優詩か? 番号変わってないんだな。ああ……あの女、攫ったからよ。
どうする……? また逃げんのか? ちょっと待て――」
入れ墨男は男たちの談笑に舌打ちをして工場内から外へ足を向けた。
その様子を一瞥していたタコが私に近付いてくる。
「尋也は……まだヤルなっていうけどよ。無理だろ……こんな良い女を前にしてよ!」
タコが力強く抱きついてきた。
身を引き剥がそうとしても簡単に仰向けにされてしまう。
両腕を抑えられ衣服の上から激しく腰を振っている。
男たちの狂ったような歓声が耳に届く。
「ふーあ、ふぉっい……! ヤバい……! ヤベーよ!
おっぱい柔らけー! ちょう気持ちいい……!
服の上からでも気持ちいいぜ! 出ちゃいそうだよ! ああ? なんだ――」
泣いてるぜ、こいつ。
その言葉で涙が溢れていることに気が付いた。
いつも私を追いかけてくる。この痛み、苦しみ、哀しみ。
「ふぁーい……! たまんねえな……! 強気なやつが泣いてるぜ!
ええ……!? おい!? どうしたよ!? 抵抗してみろよ! ほら! ほらよ!?」
喉を強く押さえつけられ胸に顔を押し付けられる。
私は強くなった……と思っていた。そんなことはなかった。
呼吸が乱れていく。うまく息を吸えない。浅い呼吸は酸素を取り入れてはくれない。
怖い……怖い……。怖かった……。いつでも……怖かったんだ。
声は……少しも出ない。誰にも届かない。
助けて……助けて……。
私は心の中で彼の名前を呼び続けた。
腕と下半身に与えられた力の支配から急に開放される。
薄く目を開けるとタコが本物の軟体動物のように地面へ打ち上げられている。
「クソが! 勝手なことしてんじゃねえ……!」
と、眉間に皺を寄せ目を見開いた入れ墨男が叫んだ。
「い、いってえな……ちょっと……ふ、ふざけただけだ」
「この女に触んな……! わかったか……!?」
「わかった……わかったからマジになんなよ……」
雰囲気が一変して入れ墨男が場を支配した。
興醒めしていた男たちだったけど、しばらくすると酒盛りを始め賑やかな声を出す。
私の感情は背に当てた冷たいコンクリートの壁に吸われていく。
呼吸も落ち着いてくる。でも、身体の震えは簡単には消えていかない。
彼らの様子を見ていると、入れ墨男が私にコンビニのパンと飲み物を渡してきた。
「さっきは……悪かったな……」
悪党の頭としては思いがけない言葉だった。
「別に……いいよ。きみがしたわけじゃないし」
一人分の間隔をあけて入れ墨男が腰を下ろした。私は与えられた飲食物を手の中で弄ぶ。
「きみさ、こういうの……気遣いが足りないよねー」
「あ? 気遣い?」
「練乳イチゴパン、イチゴミルク。
二つとも同じ系統のものだし。甘いものばっかりじゃん……!」
入れ墨男はパンと飲料に視線を落とした。
「なんだ……嫌いなのか?」
「そういうことじゃなくてねー。まあ……甘いの好きだし、別にいいけどー」
袋からパンを取り出し中心から引き裂く。
中から白と赤のソースが滴れて半分を入れ墨男の顔に近付ける。
彼は静かにパンの断面を見つめていた。
「いらねえよ……」
彼の瞬きする回数が明確に増えた。
「きみはさー、お腹が減っているから余計なことを考えるんだよ」
「違う……俺は、ただ憎いだけだ」
「――優詩くんのこと?」
「すべて……だ」
入れ墨男は以前と違って市販されている煙草に火をつける。
一つ煙を吐き出して、一つの言葉を吐き出した。
「それ……その組み合わせ……好きだったやつがいた」
「甘いの好きな子なんだねー」
と、私は甘いパンを口に含んだ。
「誰なの? その子は?」
「お前には関係ねえ……よ」
「ふーん、そっか。好きな子かなー、もしくは彼女かなー」
「うるせえ……!」
大きく見開かれた目には確かな哀しみが存在していた。
「そんなに怒らないでよ。でもさ……その子のことが今の二人と関係してるの?
ほら、私、名探偵だから。推理は得意なの。真実は一つとは限らないけどね。
ちゃーんと考えないとダメだよ。色々な見方をしてみないと」
入れ墨男の横顔に問いかけても返事はない。
「――優詩くん、話さなかったよ」
「ああ……?」
「きみたちと前に会った時……なにかあったの?って聞いたけど答えなかったよ」
「それは……そうだろ。言えるわけねえ、自分が裏切りましたってな……」
「なにがあったのか知らないけど、さ。
本当に裏切ったの? ちゃんと本人と話したの?
優詩くんは、そんな人じゃないけどなー」
さらに甘いパンを口に含む。
「あいつが裏切らなかったら……結衣奈は……」
初めて聞く名前だった。入れ墨男の煙草を挟む指先が震えている。
私は前から気付いていた。心の置き場……彼にもどうしようもない痛みがあるんだ。
「さっき……電話してたみたいだけど……」
「ああ……優詩に連絡したんだよ。お前を攫った。来なかったら、お前を犯すってな」
「そっか……みんなには手を出さないって約束だったのに。
変態入れ墨小僧は嘘つきだね」
「うるせえ。あいつは来ねえよ……裏切り者だからな、あいつは……」
「――本当は、来てほしいんでしょ?」
「あ? どういう意味だ?」




