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あすの空、きみに青い旋律を  作者: 陽野 幸人
第五章 桃色の果実

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桃色の果実 6

「――元気にしてる?」


 彼からの返答がないまま話を続けた。


「いつも隣にいるよ、って言ってくれたじゃん……」


 夏の陽射しが私を襲っても紡がれる言葉は止まらない。


「私ね……歌えなくなっちゃった。

私の歌は……人に寄り添えるなんて……そんなことないんだよ。

だって……助けてあげられなかったから……」


 涙を拭ってくれる人はいない。一人に戻ってしまった、と実感する。

私は彼に出会うまで知らなかった。誰もが欲するもの。

どこにでもあるわけじゃない。彼が私にくれた大切なもの。


「一人って……寂しい……ね」


 優しい彼からの返事は一つもない。


「ごめん……ごめんね……。助けてあげられなくて……ごめんね……」


 帰り道に炎天下を歩いていると、どこからかギターの音色が聴こえた。

微かだけど、確かに聴こえる。音の出処を探し歩みを進めていく。

音の発生源はフェンスの向こう側からだった。


 ベンチに座る高校生らしき背中がある。生音のギター。その音色を懐かしく感じた。

目にある水分を指に移す。

ベンチに座る人物へ声をかけることにした。


 なぜ、そう思ったのか……自分でもわからない。


 賛辞の声を出すと嫌な顔をされた。

目を逸らされ何かを思案しているようにもみえる。

人間嫌いな人なのかな。それとも私みたいなタイプが嫌いなのかもしれない。

男の子の背中を見つめた。私の足は確かにベンチの方向へ向かう。



 理由は……わからない。




             *




 優詩くんと出会った公園で二度目の待ち合わせをする。

文化祭ライブやバンドのこともあったけど、彼に伝えないといけないことがあった。


 活動休止を言い渡されてから二週間以上経っている。

軽音楽部の文化祭ライブ出演不可が職員会議で正式に決まった。

廃部とならなかったのは校長先生が尽力してくれた結果だ。

事実は受け止めたけど、まだやれることはある。

一つだけ……みんなに、私がしてあげられること。


 夏は終わりを告げずに燦々とした陽光は世界を鮮やかに照らしている。

待ち合わせ時間よりも、ずいぶん早く到着していた。

不安や緊張が蜘蛛の巣みたいに張り巡らされる。

風に身体を癒やされて精神を平坦にするために目を瞑っていた。


 砂が互いを潰し合う音が聞こえてくる。


「おい……」


 鈍器で果物を潰すような声だ。近付いてきた男に返事をする。


「あー、変態入れ墨小僧。どうしたのー? なにか用?」


 彼の両翼には以前の男性二人がいる。美波ちゃんと悠馬くんを襲った男たちだ。

入れ墨男は両手に花というより両手にタコとヒジキを持つ密漁者だった。


「お前……優詩の女か?」


「だから、違うってー。まあ、私はそれでもいいんだけど!

この間も優詩くんが言ってたじゃん。

本当に物覚えが悪いなー、頭の中まで入れ墨が入ってるの?」


 大きく酸素を取り込んだ入れ墨男は金髪に指を入れている。


「そうか……お前、ずいぶんと威勢がいいよな」


 冷たい眼差しで近寄ってきて私の頬に手を添える。


「――触らないで」


「ああ? 優しくしてやってんだろ?

別に……無理矢理のほうが俺らは愉しめるけどな……なあ?」


 タコとヒジキに同意を求める。

彼らは雄叫びを上げ謎のダンスを始めた。

彼らの馬鹿な動きで残りの夏が足早に去っていくかもしれない。


 入れ墨男が私の頬を強く押さえると唇が隆起した。


「私に……触らないで」


 口が動かなくても鍛えられた喉で音を伝える。


「あ? なんで命令されなきゃいけねえ?

俺は俺のやりたいように……生きるだけだ」


 私に触れていいのは彼だけだ。誰にも触られたくない。

生きていくために……身体を与えていた時とは違う。

地べたを這って……心を殺して……。あの時は、そうするしかなかった。

そうしないと生きていけなかったから。今の私は違う。彼に貰った大切なものがある。


 私は……あの頃には戻らない。


「触るな……!」


 私は入れ墨男を突き飛ばした。


 非力な腕力では身体を少しだけしか離せない。

入れ墨男の逞しい右腕が私の左手首を掴み上げる。

ベンチから身体が離れてしまうことは簡単だった。


「俺たちに、ついてこい……」


「嫌だ! 離して、よ……!」


「いいのか? お前が来なきゃ……他にも二人、女がいた。あいつらのガラ攫うぞ?」


 私の脳内に笑顔が浮かぶ。美波ちゃんと凛花ちゃんの顔だ。

彼女たちは絶対に知らなくていい世界だ。

心優しい、あの子たちを悪意の深淵に沈めてよいはずがない。

それは……彼が、もっとも心を痛めていたことだから。


「俺は……昔から知っている四宮でも関係ねえ。

あの眼鏡の女なんて快楽の味を知ったら喘ぎまくるかもな。

ヤクを打ってキメてからヤルのも悪くねえ。快楽に溺れた大絶叫の中で、し――」


 私は右腕を鋭く振った。入れ墨男の左頬に手のひらをぶつける。

賛辞の拍手よりも鈍い音。

避けられたはずの攻撃を男は真っ向から受け止めた。


「――わかった。私が行くから他の子たちには手を出さないで」


「自己犠牲……か。悪くねえ……その葛藤の中で無理矢理犯すのも……な」


 入れ墨男は舌を唇に滑らし嘲笑した。

タコもヒジキも小躍りしながら私を車まで誘導していく。


 怖い……。本当は怖い。でも……。


 あの子たちも私に大切なものをくれた。

優詩くん、美波ちゃん、凛花ちゃん、悠馬くん。

みんな優しい子たちだ。

私がしてあげられることは、みんなに火の粉が飛び散らないようにすること。

私は……入れ墨男たちと地獄の業火に焼かれてもいい。

一度は捨てた心だから。一度は殺された心だから。

彼が救ってくれた心……私も彼のように人を守りたい。



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