花火と疑惑 10
「うるせえんだよ……そんなに大声出さなくても聞こえてんだよ。
いつもいつも猿みたいに騒ぎやがって。ここは学校だ。動物園じゃねえんだよ」
「な、な……教師に向かって、その態度は、なに!?
私は教師よ! あなたは生徒なの! 私は教育者なのよ……!」
「教師だったら偉いのか? 人として偉いのか? 人を簡単に断罪する権利があんのか?
生徒がおとなしく言うことを聞くのが前提か?
立場を利用して勘違いしてんじゃねえよ」
「な、なにを言ってるの……! 社会に出たこともないくせに!」
「お気楽な頭だな。それを通り越して哀れだ。
大学出て教師になったんなら、社会を知らねえのは、あんただろ?
人生を歩んだ場所が学校しかねえ。
その枠から一歩も出たことがねえのに、見たこともねえのに、広い社会を語んなよ。
まあ、大海に出たことがねえから……ものを知らねえ教師が多いんだろうな。
お前らは、もっと色んなことを考えたほうがいいぞ、先生」
「な、なんなの!? この子……! と、取り消しなさい……!」
「まあまあ、落ち着きましょう。
私は……桑名くんのことも停学にするとは考えていませんよ」
目を見開いた木崎が「校長!」と、声を荒らげた。
「私は警察から連絡を受けたので、彼らの話とケガの状態を聞きたかっただけです。
相手方の素性も知れないようですしね」
「それでは、我が校の看板に泥を塗った生徒を見逃すということですか!?」
微笑を浮かべていた校長先生の顔が変わる。
「泥……ですか。彼らは確かに喧嘩をしたのかもしれません。
しかし、道理に反したのでしょうか?」
「道理……おっしゃっている意味がわかりません」
「――金本くんは四宮さんの助けに入りました。
そして……殴られていた金本くんを桑名くんが助けた。
誰も行動しなかったら、もっと悲惨なことになっていたんですよ」
「それは結果論です。暴力を振るった事実を隠すというのですか!?
暴力を容認するなんて教育者として信じられません!
暴力は悪なんですよ……!?」
木崎は年増の反抗的な目を校長先生へ向ける。
上司と部下の関係などは、彼女の感情的な議論の前に関係ないといったところだ。
「私は……昔、ある人に言われました。
『絶対に目を背けてはいけない場面がある。立ち向かわないといけない時がある』と。
自身の正義を貫き、他者を守るため勇敢に立ち向かった彼らは……悪ですか?」
「暴力は……悪です! 悪を許してはいけません! 悪は裁かれるべきです……!」
「裁く……ここは裁判所ではありませんよ。
学校です。人を育てる場所です。人の心を育む場所です。
彼らは……人として立派に成長していますよ」
「立派ですか……それなら、彼女のことはどう思われますか?」
木崎は鋭い視線に笑みを含ませる。
切り札といわんばかりに詩織さんに目を向けた。
「この子たち、外部の人間を入れてバンド活動をしていたんですよ。
それが校長先生のおっしゃられる立派なことでしょうか?」
「そうなのですか?」
と、目を丸くした校長先生は身体を少しばかり前傾させる。
「――校則違反によって軽音楽部は廃部です。
暴力行為を働いた生徒二名の停学処分を望みます」
「ちょっと、ちょっと! 部外者の私が抜ければ問題ないですよね!」
「黙りなさい! 口を出さないで!
部外者のあなたが口を出す権利はありません……!」
俺は前に出た詩織さんの華奢な肩を掴んで、校長先生と木崎、交互に目を向ける。
「――嘘をついていたことは……すみませんでした。
どうしても……バンド……音楽をやりたかったんです」
「校則を破って、人を騙して、あまつさえ暴力行為をした、それが正しいのかしら?
生徒として、人として間違っているわよ、あなたたち。嘘をつく浅ましい人間よ……!
恥を知りなさい……! 恥を……!」
「すみません……どうしても……やらなきゃいけないんです。
お願いします……軽音楽部を廃部にしないでください」
バンド結成は悠馬が持ってきた話だ。
しかし、あの時から……俺は確かな想いを巡らせている。
それだけは奪ってほしくない。
「外部の人ですか……」
と、校長先生は口を鼻に近付けて思案している。
「この子たちは社会を甘くみています。
ここで、しっかりと教えておくことが教育です。
ルールを破った者たちに厳正なる処分をお願いします、校長先生」
問いかけられた校長先生は目を閉じている。
しばらくの沈黙があって鼻から空気を抜いた。
「――わかりました。先程も言いましたが警察から連絡を受けた件に関しては不問です。
桑名くん、金本くん両名ともです。
部活動に関しては……無期限の活動停止とします」
今後のことは職員会議で決定することになった。
校長先生が下した決断にメンバーは誰も文句を言わない。
それは誠実な人柄によるところだろう。
「今日は呼び出して、すみませんでした。
さあ、台風も迫っていますので、早く家に帰りましょう。
帰り道、気をつけてくださいね」
校長室の窓から見える木々が揺れていた。
俺たちが無言のまま昇降口を出ると、雨空から寂しく小さい粒がアスファルトに馴染む。
湿気を含んだ生暖かい風が頬を撫でる。
メンバーとの別れの挨拶は、この先の未来を感じさせることはなかった。
自宅に帰ると母が「おかえり」と、声をかけてきた。
「ただいま」と、力なく返事をする。
自室に入ってから椅子に座ると、身体の虚脱感と自身の無力感に襲われる。
悪いのは……俺だ。
安直な行動がバンドを窮地に追いやってしまった。
必死に練習していたメンバーの頑張りを無にしてしまう。
心を濡らす水分は外の雨より冷たかった。
どれくらい夢の中を彷徨っていただろう。
夕食が出来たと母は伝えにきたと思うが、それすらも気付かなかった。
時刻は日付が変わる頃合いだ。
強い風の音が窓に当たって砕けていく。
まだリビングにいるであろう両親。二人に気付かれないように忍び足で玄関へ向かう。
外からの風圧で重くなった扉を開けると荒くれ者の風が家の中を走り回った。
少しの隙間から外に身を乗り出し役に立たない傘を広げた。
本格的な台風の影響は、もう少しあとになるだろう。
それでも大粒の雨と吹き荒れる風の中を歩くことは、なかなか厳しいものがある。
幾らかある自動車の往来、街路灯に照らされた人気のない歩道を歩く。
目指す場所は特にないが、ただ……歩きたかった。不甲斐ない自身を痛めつけるように。
宛もなく歩いていると、すでに高校の前まで来ていた。
無意識に来てしまったのかはわからない。
夜の学校は闇夜に現れた不気味な監獄だ。
薄暗い光が校舎の肌を露出させて、等間隔の毛穴が雨風を受けていた。
詩織さんが最初に入ってきた西門に立つと、学校の敷地内から甲高い音が響いた。
風の音に調和して大きくは聞こえないが再び軽い衝撃音が鳴る。
おそらく校内にしかセンサーはないだろうから、ここで警備会社がくることはないだろう。
そう考えてから、興味本位で西門を飛び越えて、音にするほうへ向かう。
傘を握りしめると再び音が鳴る。
警戒しながら歩みを進めていく。暗がりの中で何かが揺れた。
黒い人影だ。
目を凝らすと人影は棒状の物を振り回している。
精練された動作ではなく踏み込みと腕の振りに時間差があった。
気取られないように背後からゆっくりと近付いていく。
不測の事態に対処できるように警戒だけは怠らない。




