花火と疑惑 7
「悠馬との関係って、どうかな? 少しは仲良くなってるかなって思うんだけど」
美波との議論で「希望的観測ね」と言った、木崎の勝ち誇る顔を思い出す。
「え、えっと……私は……」
「誰もいないから思ったことで大丈夫だよ。一応、リーダーだからさ」
「私は……好きじゃないです。下手なのに……私のこと……バカにしてくる……」
本心が暗がりの道へ転がる。
「練習して……上手になってきているのは……わかっています……。
でも……バカにされて……嫌です」
凛花の音楽能力は同年代と比べたら群を抜いているはずだ。
演奏能力、作曲能力、編曲能力。
俺は羨望というよりも素直に彼女を尊敬していたし練習中も称賛することが多かった。
「――バカにしているというか……悔しいんだと思うよ」
「え……どういうこと……ですか?」
「負けず嫌いなところがあるから。
同学年の凛花ちゃんに負けたくないんじゃないかな、きっと」
「でも……でも……私は……好きじゃないです」
明言した彼女の声は俺の頬を緩ませる。
嫌いです、と彼女の口からは出ていないから二人の関係は現状維持だ。
凛花は自身の曲げたくない部分は貫く人物である。
別に喧嘩したっていい。
リーダーとして無責任よ、美波の戒める声が星空から降ってきそうだ。
会話は沈黙に盗まれ吐息は暗闇に蓋される。虫だけが意思疎通を繰り返す。
しばらくして、凛花の声が静寂に小さく乗った。
「あの……私も……私も聞いていいですか……?」
「うん」
彼女の身体を支え直すために立ち止まってから上体を揺らす。
「優詩先輩は……し、詩織さんのこと……どう思っているん……ですか?」
鼓動が一つ鈍く鳴る。
「どうって……最高のボーカリストだよ。そう思わない?」
「思います……けど……そういうこと……じゃなくて……」
「うん、なに?」
「…………。す……す、好き……なんですか……?」
鼓動が一つ高く鳴る。
「急に……どうしたの?」
「いつも……練習中……見てる……から……」
確かに練習中の俺は詩織さんを見ている。
「そういうのではないよ」
「でも……で、でも……」
背後から鼻腔内の分泌液を啜る音がした。
「す……す、好き……なんですか?」
繰り返される質問は彼女の頑固な一面に花を添える。
「…………。違うよ」
「優詩先輩……あの……あの……私……」
彼女が生み出すスタッカートの付いた音符によって胸の辺りが加重した。
大丈夫?と問いかけても返事がない。俺の黒いシャツは少しばかり湿り気を帯びていく。
「私……知って……いるんです。あの――――」
その後に続いた凛花からの固有名詞には疑問符が添えられた。
俺は自身に芽生える動揺を風呂敷に包む。
「――うん、そうだよ」
彼女からの返答はなかった。
普通の人は気付かないし気付ける要素がない。
しかし、そのことを知っている理由は聞き返さなかった。
夏の星が俺たちを見下ろす。
遥か彼方から放たれている光に様々な感情を見透かされてしまう。
点在する光からアスファルトへ視線を集中させた。
歩みを止めることなく彼女を自宅へ送り届けることに徹する。
一掬の涙と無言の中で。
*
翌朝、部室に顔を出すと、お決まりの二人が個人練習をしていた。
美波と凛花が準備運動をしたり運指の確認をしている。
「おはよう」
と、声をかけたところで凛花がベースをスタンドに置いた。
背中を丸めた状態で俺の脇をすり抜け出て行ってしまう。
荷物を置いてパイプ椅子に座ると美波の大きい目と合った。
「おはよう。昨日の帰り、なにかあったの?」
「なにか……って、普通に送っただけだよ」
「そう? 島崎さんの様子が普段と違うように見えたけど?」
女子の勘というものだろうか。
白と黒の鍵盤と俺を交互に見る瞳は、どちらの色なのか判決を下そうとしている。
「――人の好意は大切にしたほうがいいと思う」
「だから……なにもないって」
「そう」
と、言った美波は柔らかい微笑を浮かべている。
優しく笑っている姿……久しぶりに見た。
「人の好意は大切に……って、美波はどうなの?
容赦なく、ばっさりと斬り捨てるでしょ」
「私……? 私は外村くんの場合と違うから。
人の中身を一切知らない、外見だけで告白してくる人たちの好意を大切にすると思う?」
「それは……まあ……」
「大切にしないといけないの? 本心じゃないことがわかっているのに?」
美波は眉をひそめて呆れた声で言葉を紡ぐ。
「適当に声をかけてきたり、すぐに告白してくる人たちは軽薄な人ばかり。
優しい言葉や褒め言葉に騙されてしまう子もいるけど……。
その言葉に誠実な想いなんて含まれていないから」
「辛辣だね……まあ、実際そうなんだろうけど」
「承認欲求やアイデンティティを満たしたいだけの男女ならいいんじゃない。
その関係に価値があるとは思えないけど」
「人を好きになった、人に好きになってもらった、っていう事実が欲しいんじゃないかな。
それが……仮初めだったとしても」
「それで心の空白が埋まったつもりでいるなら、まったく逆効果なのにね。
苦しむことなるって、なんで気付かないんだろう。
嘘に塗れた情に安らぎなんてないのに」
「気付いてると思う。ただ、見えないふりしているだけだよ。
妄想、妄信していたほうが楽だから。自分で考えないことは……楽だからね」
「そうね……。確かに真実を知ること見つめることは……とても怖いことだから」
音を出していない鍵盤が叩かれる。
「なんか……今日、怒ってる?」
「ううん。ただ、島崎さんの気持ちを無下にする外村くんに辟易しただけ」
「やめてくれよ、その言い方」
「この際だから、はっきり言うけど……言ってもいい?」
言うつもりだから断りを入れているのだろう。
右手を差出し彼女の怒りを受け止める。
「仮にだけど……思わせぶりな態度で楽しんでいるのだとしたら最低だよ。
相手の好意を弄んで自分の心を満たしているんだとしたら、ね」
「そんな風に……見えてるの?」
「あくまでも予想。人の心は読めないものだから。
外村くんの心に陰りがあって、それを少しでも緩和するために利用している可能性。
そういうことも考えられるから」
「…………。美波って……俺に当たりキツイ時ない?」
彼女の指は鍵盤の上で軽やかに動く。
「外村くん……だからかな。言っても大丈夫な気がしちゃって」
「大丈夫って……。心は強くないよ。あんまり攻撃されると泣くかもね」
「ふふ。そしたら女の子に慰めてもらえば」
「なんか今日の美波の言い方には棘がある。
――悠馬は? 昨日の帰り道、大丈夫だった?」
俺は背もたれから身体を離し座面を両手で挟んだ。
「送ってくれたけど……彼、あまり話さなかったよ。普段はあんなに騒がしいのに。
気まずいから私のほうから質問したくらい。将来どうするの?とかね」
譜面台に自身の疑問をぶつけている。
「そっか、そっか」
と、頷きながら俺は一笑した。
「――なに? なにかあるの?」
「美波は悠馬を軽薄って言うけど、あのノリだけが悠馬のすべてじゃないよ」
そう答えて準備を開始した。
好意を寄せる相手との一騎討ちに萎縮してしまうところも悠馬の良さである。
ピックで多弦を弾いた。




