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あすの空、きみに青い旋律を  作者: 陽野 幸人
第四章 花火と疑惑

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花火と疑惑 6

 川沿いの道路を歩く。

街路灯は寂しい光を落として羽を振り回す虫を引きよせていた。

俺と凛花の自宅は距離が遠いわけでもないが、悠馬の帰り道は美波の家と反対方向だ。

彼にとっては一世一代の好機であるから遠いことなど露ほども感じないだろう。


 足元が下駄という、歩き慣れていない凛花に速度を合わせる。

カランカランという音。だんだんとリズムが不規則になっていく。

横目で確認すると彼女の右足は左足に追いつこうと努力していた。


「――どうしたの? 足、痛めた?」


「あ、はい……少し……」


 跪いて足の状態を見せてもらう。

「俺の肩に手を置いていいよ」と、不安定な彼女の体勢を緩和した。

母趾と示趾の趾間腔が鼻緒に強く舐められて皮膚と色違いの爛れをみせている。


「これで……歩くのは無理だよ」


「あ……大丈夫です」


 背中を貸すことを提案したが凛花は頑なに首を左右に振り続けた。

誰もいないから恥ずかしくないよ、など他にも気遣いの言葉を並べる。

彼女は背中に乗ることを渋々了承した。


「――あ、あの……重い……ですよね……」


「え……全然。凛花ちゃん軽いし、こうみえても力はあるんだよ、俺」


 ギターを弾くことは大いに筋肉を使う。

世の中のギタリストは軽やかに弾いているように見えるかもしれない。

実際のところは、そうではない。

力を抜いて弾くという表現はあるけれど行間が抜けている。

脱力と硬直を繰り返し、瞬間的に力を増幅させないと上手に弾けない楽器だ。

俺は筋力トレーニングを行うことによって速弾きのアクセントなどが楽になった。

ベーシストであって指弾きを行う凛花も理解しているはずだ。


「新品の下駄だったの?」


「はい……履く……機会がなくて。

中学生になった時に……お母さんに浴衣と下駄を新しく買ってもらったんですけど。

夏祭りとか花火大会……誘われたことなくて」


「そうなんだ。今日……着れてよかったね。かわいくて似合ってるよ」


「え……そ、そんなこと……」


 俺は知る限りの知識をアスファルトに向けてひけらかす。


「下駄ってさ……新品だったら履く前に鼻緒を揉みほぐしたほうがいいらしいよ。

ろうそくを塗って、滑りをよくするのも効果あるって」


「そう、なんですか……」


「確か……太い鼻緒のほうが指にかかる負荷が減るってさ。

今度、買う時は太めのほうがいいかもね」


 まさに後の祭りだ。


 夜道には虫の声だけが聞こえて夏の夜を包み込む。

雑草の顔を露が濡らし静けさが闇夜に紛れて共に歩く。

女の子を背負うことは初めての経験だ。

柔らかい身体が背中を支配して甘い香りが背後から回り込んでくる。


「今日……は、どうだった? 楽しかった?」


「あ……はい。私、お祭りもほとんど来たことなくて……。

花火……みんなと見れて嬉しかったです」


「俺も楽しかったよ。話は変わるんだけどさ、凛花ちゃんて――」


 二人きりの夜道は完全に好機である。

彼女にとっては心の扉に施錠していることでも、俺の好奇心が声帯を震わせてしまう。


「――動画投稿してる? ベースを弾いてる動画」


「え……え……し、してないです……してないです!」


 珍しく声を張り上げて俺の胸元にある彼女の手が強く握られた。


「顔出しをしてない女の子が……有名な曲をカバーしてベースで演奏しているんだ。

すごい……アレンジしてさ」


「し、知らないです……! 私、知らないです!」


 棘突起きょくとっきに凛花の左右に振られた額が当たる。


「初めての練習で弾いている姿を見た時に……やっぱり凛花ちゃんなのかなと思って。

それより前から……なんか、雰囲気で凛花ちゃんなのかなって思っていたんだ」


「…………」


「隠さなくても……誰にも言わないよ。

すごいベースを弾く子だな、と思って動画を観てただけだから」


「――そ、そうですって……言ったらバカにしますか……? わ、笑いますか?

なんだこいつって……思いますか?」


 その声は鈴虫と共に微かに震えていた。


「しないよ。する理由がないから。それよりも尊敬のほうが強いよ」


 彼女の動画プラットフォームの登録者数は七〇万人という驚異の数字だった。

カバー曲の楽器演奏のみで、この登録者数は素晴らしい。

ほとんどの動画が数十万回を超えている。

女子高生がベースを弾いている動画という付加価値がある。

しかし、演奏技術が卓越していることが最大の強みだ。

世の中には学生が弾く動画など、すでに氾濫しているのだから。


「あの……動画あげてます……嘘ついて……ごめんなさい」


 つきたての餅に似た頬が俺の頸椎を優しく圧迫する。


「ううん、俺も無理に聞いて……ごめん。どうしても確認したくてさ」


 最近、動画投稿をしていない理由を問いかける。

バンド活動が忙しいから、といった返事を待っていた。

凛花の返答は俺の想像を遥かに超える。


「前にライブ配信をしたことがあって……いつも見てくれる人に……お礼の意味で……。

それで……質問に答えたりしてたんです」


 俺は視聴していないがライブ配信のアーカイブは残っていたと記憶している。


「みんなが投げ銭を……いっぱい投げてくれたんです。

怖くなって……今は投稿を休んでいるんです」


「怖くなって? どうして?」


「すごい……お金が手元に入ったんです」


 話を続けて聞くと、投げ銭で七桁の金額が懐に入ったようだ。

その金銭で件の高級ベースを購入した。

確かに動画内のベースは部室で弾いているものとは違う。

怖いと言いながらも高級ベースに注ぎ込んだ姿勢。

詩織さんが言うように一番のパンクスなのかもしれない。


「――凛花ちゃんは……すごいよ。

ベースのテクニックもそうだし、動画で実績を作っている」


「そ……そんなことないです。私なんて……いても、いなくても同じ……です」


「――それは言わないほうがいいよ」


「え……」


「いなくてもいいなんて。

バンドメンバーも動画を見ている人も凛花ちゃんのベースが好きなんだから」


 彼女からの返答はない。

飛んできた小さい虫が、なぜか悠馬のニヤける顔を思い出させた。



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