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あすの空、きみに青い旋律を  作者: 陽野 幸人
第四章 花火と疑惑

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花火と疑惑 2

「差し入れ? なーに?」

と、床に座り込んでいた詩織さんが室岡に向かって細腕を上げている。


「差し入れだ、差し入れ」


 オウム返しに詩織さんは首を傾げる。

床を素手で押し返し彼女は軽やかに立ち上がった。

丸テーブルの前に行くと水滴によって密着した袋を開ける。


「こっちは飲み物……こっちの箱は、なに?」


 茶色い長方形の箱を三個取り出し、白いテープで止められた蓋を開ける。


「んー、カツサンド……?」


「そうだ。有名店オアシースのカツサンドだ。

普通は手に入らないんだぞ。二時間も並んで買ったんだからな」


 いつもの虚無感がある表情とは違って、ずいぶんと誇らしげで得意顔だ。


 オアシースは、この街の洋食店でカツサンドが大人気だ。

カツサンドだけでも多様な味が売られている。

濃厚ソース、ハニーマスタード、デミグラスソース、マヨネーズソースなどだ。

仕入れている食材の質から値段が高いけれど、それに見合った味を出している。

裏メニューとして鰻を使用する謎の創作料理があった。

言葉で表せない味。とても同じ店の物とはおもえない。


 鼻息を大きく吐き出し俺たちを見渡している室岡は感謝と賛辞の声を望んでいた。


「ほら、遠慮するなよ。どんどん持っていけ」


 床に小さな雫を落として飲料を配る。


「ありがとうございます」


「ありがとうございます。ごちそうさまです」


「あざーす」


「あり……がとう……ございます」


 全員に飲料が渡ったところで「乾杯するか!」と室岡は意気揚々としている。


 その瞬間、詩織さんの声が部室内に響いた。


「待って……!」


 メンバーの手が止まり彼女を見つめた。


「ムロムロ……なんかした?」


 少しばかり顔を歪めて、詩織さんは懐疑的な想いを口にしている。


「な……なんかって……なんだよ?」


 口が蛸のように動いて早い瞬きを繰り返す。


「んー、だって変じゃん」


 詩織さんは顎を親指と人差し指で挟む。小さく首を傾げ名探偵を気取る。


「へ……変って……なんだよ? なにが変なんだよ?」


「ムロムロ、顧問やりたくないって言ってたのに。急に差し入れっておかしくない?」


「そ……それは、お前……」


「――なにか入れたの?」


 室内に緊張の糸が張り巡らされた。練習後の余韻があった空気は一変する。

美波は室岡の実態を知っているのだろうか。

少なくとも俺、凛花、悠馬は彼の怪しげな行動を目の当たりにしている。


「な、なんだ……よ? 入れるって? 飲み物にか?」


「――うん。例えば体液とか薬物」


 俺はメンバーを一瞥した。

凛花は下を向いて飲料の胴の部分を握る。

ペットボトルを振って底部分から中身を覗いている悠馬。

体液という言葉に、ひどく顔を歪めている美波は、室岡の反応を窺っていた。


「た、体液……? そ、そんなこと……するわけないだろ」


「えー、でも……ムロムロならやりそう。実際にそういう事件あるし。

体液入れたり。薬物入れて昏睡させて襲ったりとか。よくある話じゃん」


 実際の事件として俺も知っていた。

職場の冷蔵庫内に置いてある飲料に自身の体液を混入させた人物がいる。

同僚の女性に自身の体液を飲ませるという性癖だ。

事件化されていないだけで余罪は多いにあるだろう。

男性の体液を体内に入れてしまった女性は他にもいるはずだ。


 薬物を飲料などに混ぜ性的暴行をする者もいた。

飲み会の場などで多くあるようだ。

タクシー運転手が酔った女性客や車酔いした者に薬と称し飲ませることもある。

さらに職員が二人しかいない夜勤勤務中の介護現場でも起こっている。

薬物を飲料に混ぜて同僚を性的暴行し動画を撮影。

世の中には己の欲望で相手を傷つけることを厭わない者がいる。

それは室岡も同様なのかもしれない。


「い、入れるわけないだろ……!」


 真っ黒な瞳は白くならない。


「ふーん。じゃあ、どうして? 急に差し入れとかしたの?

この中では一応年上だから、みんなを守らないといけないんだよ」


「そ、それは……」


 白衣の裾で起こっていた蛇の動きが室岡の頸椎に移動している。


「なーに?」


「お前らの……演奏を聴いたからだ」


「演奏……?」


「そうだ……最初は、うるせえなって思った……。

でもな、お前らの練習する姿を見て……だんだん応援したくなった」


「応援……ムロムロが?」


「と……とにかく、なにも入れてない!」


 表情が隠れ鳥の巣のような頭髪が俺たちに向けられる。


「そっか……ごめん。疑って、ごめんね」


 謝罪を口にした詩織さんは飲料のキャップを開栓し喉に潤いを与える。


――飲むのか……。


 他のメンバーは口にすることを躊躇っている。もちろん俺も。

猜疑心を持ち出したのは詩織さんであったはずなのにカツサンドにも手を伸ばす。


「わー、おいしそう」


 表面が綺麗に焼かれたカツサンドは厚い。

肉汁を保つカツ。新鮮で歯ごたえのよいキャベツ。酢漬けの玉ねぎがアクセントになる。


 冷めてもおいしい、と評判のカツサンドに彼女の唇が沈む。


「わ……おいしい! マスタードソース!」


 すっかり開かれてしまった箱をメンバーに向けて味を堪能する。


「ほら、みんなも食べなよー。おいしいよー」


 室岡の差し入れに疑惑を向けた当の本人は先程のことを気にしていない。

ゆっくりとした咀嚼を繰り返し厚切りのカツサンドを配る。


 俺たちは目を見合わせた。

差し入れをくれた、という善意に報いようとする。そこには各自の礼儀があったのだろう。

しかし……悪意は善意を喰らうために存在するものだ。


 不確かで怪しげな疑惑が残るカツサンド。眉をひそめてメンバーは口に運ぶ。

その複雑な表情。太陽の下を歩かない疑惑とカツサンドの美味しさから生まれている。

意を決してカツサンドを口に入れるとカツの軽快な音が口内から脳内へ伝わる。

食べた断面から滴るマヨネーズソースを俺は見つめた。


 満足気に頷いた室岡は「俺にもくれ」と、口いっぱいにカツサンドを詰め込む。


――頼む……。


 室岡に唯一の良心があって俺たちの背中を押したい気持ちが本物であると信じたい。

信じたい……が。三人を狙うために無差別行為をした可能性も多分にある。

俺は哀れんだ目でカツサンドの断面を見つめた。



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