あすの空、きみに青い旋律を

第三章 恋心と悲哀

恋心と悲哀 7

　美波はスカートに手を当て奥の席に座る。

その隣に凛花が座ったのは悠馬の絡みから彼女を守るためだったのかもしれない。

「泣くなよー。私が一緒に座ってあげるから」

「ね……姉さん！」

　悠馬が詩織さんに両手を広げた瞬間、俺は彼の襟元を掴んで気持ちだけを前に進ませた。

悠馬の後頭部に軽い頭突きを食らわせる。

彼は悲鳴に近い声を上げていたけれど、俺は聞く耳を持たずに女の子二人の前に座った。

「私……回転寿司って初めて来た。こういう感じなんだね」

　美波はピアノで慣らされた指先でタッチパネルを操作している。

話を聞いてみれば先程の踵を返した高級店などで食べているようだ。

　回転寿司などは好みがわかりやすいと感じる。

寿司を食べたいと言っていたはずの悠馬はサイドメニューばかり食べていた。

美波は白身魚、貝類、赤身など満遍なく選んでいる。

凛花はエンガワと玉子だけを食べる。

詩織さんにいたってはデザートしか食べていないように見えた。

「――なあ、美波。ごめんな」

「え？　なにが？」

「生徒会とか実行委員とかさ、勉強もあるのに……練習も長くなったしさ。今も……」

　彼女は首を横に二回振った。

「ううん、嬉しかった。普段は食事に誘われたりしないから」

　彼女は同級生から気難しい人間と誤解されている。

色々と影で言われているようだ。

それは彼女の容姿であったり成績優秀であることも大いに関係しているだろう。

嫉妬が張り巡らされる中で強くあり続けることは並大抵のことではない。

「勉強も大変でしょ？」

「そう、ね……どうかな。外村くんは？　進んでるの？」

「してないよ」

「え……してないの？」

「まったく……してないよ」

　授業を聞いていればテストの点は問題ない。

美波や要のように一番、二番、とはいかないが、

進学校で全体の半分以上の順位に位置しているから特に不安を感じることもなかった。

「進学……？　するんだよね？」

「んー、多分ね。わからない」

　不思議な生物を目撃したように美波は俺を凝視する。

この時期に進路が決定していないことの驚きが隠しきれていない。

しかし、簡単に決められることでもなかった。進学することは多額の金銭が絡む。

何となくという理由で進学することは両親に対し不義理であると感じた。

「あ、あの……私も……一緒……です」

「え？」

「私も……進路……き、決まって……ないです」

「ああ、凛花ちゃんは二年だから。まだ大丈夫だよ」

「二年生だからでしょ。島崎さんは早めに進路を決めたほうがいいよ。

目の前にいるニート予備軍の仲間にならないでね」

　イカを口に含んだ美波の視線は……とても鋭かった。

「まあ、決まってないのはおかしいかもしれないけど。

でもさ、なんとなくで将来を決めるのってどうなの？」

「なんとなく決めないのも問題だよ」

　鋭い指摘だ。さらに俺へ言葉を続ける。

「決まらないことが悪いわけじゃない。

足踏みすることも悪くないよ。深く考えることも大切。

でも、正当性があるような理由をつけて進まないのは良くないと思う」

――まったく、その通りだ。

「あ……あの……」

と、エンガワの白い身が凛花の口先から微かに出て嚥下した後で彼女は続けた。

「優詩先輩は……違います……。ちゃんと……考えていると思います」

「そう。島崎さんから見て外村くんはしっかりしているんだね」

「その言い方……美波からすれば不甲斐ない、どうしようもないやつってこと？」

「そうは言ってないよ。ただ……外村くんの将来が気になっただけ。

昔から危ないことばっかりしていたから、ね」

　楽しい食事を終えて、詩織さんが会計をしていると、店外から怒号が聞こえた。

先に出ていた悠馬の身を案じて扉を開ける。

店の薄汚れた壁に追い詰められている制服の下半身が目に入った。

三人の男に囲まれ足が小さく震えている。

「おい……！」

と、取り囲む人物たちに声をかける。

　彼らの足の隙間から泣きそうになっている悠馬の顔が見えた。

スキンヘッドで眉無し肩幅の広い男が一人。

黒髪のオールバックに顎ひげを蓄えた細身の男がいる。

もう一人の男は……よく知った顔だ。

サイドを刈り上げ金色の短髪を逆立てる。特徴的な鷲鼻、窪んだ中にある大きい目。

以前とは変わっている部分もあった。

顔面の右側、首筋から額にかけて幾何学模様の入れ墨がある。

　スキンヘッドの男が駆け寄ってきて俺の胸ぐらを掴む。

「おい、じゃねえよ！　コラ！　ガキが……！　やっちまうぞ！？」

「やれるもんなら……やってみろよ。このハゲ」

「て、てめえ……！」

　スキンヘッドの男が拳を振り上げたが俺の身体に届くことはなかった。

鷲鼻の男がスキンヘッドの右肘に自身の右肘を交差させ止めたからだ。

「おい、止めんなよ……！」

「――お前じゃ……こいつには勝てねえよ。久しぶり……だな、優詩」

「久しぶりだな……尋也」

　真木尋也《まきひろや》。

俺と要《かなめ》の幼なじみである。

現在は反社会勢力に傾倒しているようで悪い噂しか聞こえない。

夏休みに入る直前、要から尋也の話をされた。

その後、中学時代の情報通へ連絡して彼の動向を聞いたことがある。

最近、少年院から出てきたが、残虐性をもって犯罪行為を繰り返しているようだ。

あくまでも正確な情報ではなく噂レベルという話だったけれど。

「なあ……優詩。今どうしてんだ？

また一緒に暴れようぜ。要も一緒によ。退屈だろ？」

「もう……やめとけよ。あの時とは違う。あの頃とは違う。

今の尋也の行動に義があるとは思えない」

「ああ……？　うるせえよ……真面目なふりすんな」

　俺が携えたギターに尋也は顎を使い「それ」と疑問をぶつけてくる。

「ギターか？　バンドでもやってんのか？」

「ああ……やってる」

「そう、か……」

と、先程まで見開いていた瞼が少しばかり下がる。

「――なんで悠馬に絡んだ？」

「ああ……このガキ、中学の時から優詩のこと慕ってただろ？

先輩、先輩ってよ……。カスのくせしやがって。

優詩のこと聞いたら……知らねえ、教えねえって、言いやがるからだよ」

　詩織さん、美波、凛花の三人が店から出てきた。

オールバック男が悠馬の髪を引っ張り上げる。

男の膝が悠馬の顔面に埋まり鈍い音とうめき声が駐車場に流れた。

「ちょっと……！　なにしてるの……！？」

　その場に倒れ込んだ悠馬に駆け寄ったのは美波だ。

　オールバック男は悪びれる様子などなくて、薄ら笑いを浮かべている。

自慢であろう顎ひげを弄び悠馬の口元にハンカチを押し当てる美波を見ていた。

「おおい、めちゃくちゃいい女だねえ。これから俺たちと遊ぼうぜ。

キメセクの乱パといこうぜ、おい」

　血を吸ったハンカチが地面に落ちる。

美波の手首を掴み上げたオールバック男の顔に醜い笑みがあった。

力で屈服させることを至上の喜びとしているようにみえる。

「離して……！」

　俺は尋也の隣を素早くすり抜けて、オールバック男の左の脇腹めがけ前蹴りを当てた。

不意打ちが決まる。男の身体は地面からも攻撃を受けた。

美波が巻き込まれないように蹴る直前に彼女の腕を掴んだ。

地面に伏しているオールバック男は攻撃された箇所に急激な筋肉の収縮が起こる。

横隔膜の痙攣によって正しい呼吸ができていない。

「て、てめえ！　やりやがったな！　このガキが……！」

と、叫ぶ、スキンヘッド男の左拳が顔面に迫った。

　身体を仰け反らせて攻撃を回避する。

左手に持ったギターの遠心力を利用し彼の左頬に強烈な右フックを与えた。

「おー！　ダウン……！」

　店前にいる詩織さんが手を打ち鳴らして嬉しそうに声を上げた。