あすの空、きみに青い旋律を

第三章 恋心と悲哀

恋心と悲哀 4

　詩織さんが悠馬の代わりにドラムを叩く。

課題曲を歌無しで合わせていると美波が離脱する時間を迎えた。

結局、悠馬の姿が部室に戻ることはなかった。

「じゃあ、悪いけど私は行くね。それと……雰囲気を悪くしてごめんなさい」

　悠馬の一件で頭を下げている。

両手で空気を掬い上げ彼女の頭を元の位置に戻す。

「いや、普通に悠馬の態度がよくないよ。止めてくれてありがとう」

「あ……ありがとう……ございました」

「オリジナル曲、お願いねー」

と、ドラムスティックを左右に振る詩織さんに会釈し美波は部室から出ていく。

詩織さんは首を陽気に揺らしてシンバルを細やかに小さく鳴らす。

「ふふー、いいねー」

「なにがですか？」

「青春って……感じでさー。いいねー」

　バスドラムがキックされる。振動が部室から外壁へと逃げていく。

「さっきの喧嘩のことですか？」

「うん」

「よくないと……思いますけど」

「お互いが成長できるからねー。時には争うことも大事だよ。

それに表現の世界で肯定ばかりの関係なんて気持ち悪いからね」

「そうです……ね」

「今回は変態垂れ目小僧が悪いけどー。

でも……凛花ちゃんも下手って言い方はよくなかったと思うよ」

　打音にスネアも入ってきて会話を邪魔する8ビートが俺と凛花に突き刺さる。

「ご、ごめん……なさい……」

　どんどんと小さく丸まっていく凛花の背骨がブラウスから浮き出てきそうだ。

前屈みになっている彼女の何かが骨だけを残し飛び出していってしまう。

「大丈夫だよ。メンバーなんだから言い返したっていいじゃん。

悠馬も意地になっただけで本当に怒っているわけじゃないよ。

それに……悠馬からしたら美波の言葉と叩かれたことのほうが大きい」

　凛花の視界に俺の顔は入らない。自身の世界へ彼女は放浪していく。

「――このギター、弾いてみる？」

　唐突に話題を変えると、すぐに顔を上げた凛花の眼差しは輝いてみえた。

「い……いいんですか……？」

「いいよ」

　凛花はベースをスタンドに立て掛ける。

先程まで折れそうだった彼女の首にストラップを回してあげた。

小柄な凛花であるから背後に回り込んでストラップの長さを調整する。

ロックギタリストのように低めの位置で設定した。

腰付近で低く構えるギタリストは長年の歪みが身体に蓄積する。

その不調を嘆いて最後は胸元までギターボディを上げる人もいた。

高い位置のほうが演奏性も良い。

見た目の格好良さ、というものを捨てたとして。

「わ……す、すごいです……本物なんですよね？」

「そうだよ」

「感動……です」

と、新しいおもちゃを与えられた子供のようだ。

「弾いて……いいですか？」

「いいよ。適当に弾いてくれて大丈夫だよ」

　彼女はアンプのつまみを回し軽く歪んだクランチサウンドにした。

グランジの先駆けとして知られるバンドのギターリフを奏でる。

簡易な動きであっても弾いているという感覚が強く残る有名なギターリフだ。

適度なブラッシングが心地よい。

　俺のほうを一瞥してから凛花はアンプのつまみを時計回りに大きく回す。

今度は重低音の効いたセッティングだ。

スラッシュメタル四天王の一角、彼らのギターリフをダウンピッキングで弾いた。

雷鳴が轟いた後、台風の中を通り魔に追いかけられるような音が鳴る。

ギターも弾ける彼女の腕前に感心した。

彼女が好きだと言っていた、シルクハットを被るギタリストの名フレーズを奏でる。

ガラス玉を反発させてから餅にぶつけて引き伸ばしたような音だ。

「――気持ちいいです……雑味がない……というか」

　高校生の女の子が弾くギターリフとはおもえない選択をする。

その一つ一つが彼女の音楽好きを教えてくれた。

「すごいねー！　ギターも弾けるなんて！」

「ひ、ひいい……！」

　その日は解散して約束の期日まで曲作りや個人練習する日々が続いた。

無人の教室や公園で作曲したり黙々と練習する。

一週間の日々で、あの時の親子に会うこともあった。

子供が喜びそうな日本で有名なアニメの旋律を奏でる。

その度に女の子は報酬として飴玉を与えてくれた。

一粒一粒が隠している心を太陽の下へ向かわせようとする。

　高校三年生。

夏休みの一週間は驚くほど早く過ぎていく。止めたくても止まらない。

時の流れは怖いものだった。

　　　　　　　　　　　　　＊

「おっはよー！　曲はできた？」

　俺、美波、凛花の三人に真夏の暑さを吹き飛ばす声が爽やかに響く。

「曲はできましたけど。歌詞は……まだです」

と、俺が言うと美波が続いた。

「私は歌詞もありますけど、バンドアレンジは、みんなで考えてください」

「わ……私……一応、アレンジまで……やってあります」

「そっかー。じゃあ、あとは変態垂れ目小僧を待つだけだねー」

「――いますよ。ほら」

　俺が指差す方向にはスネアに側頭部を預けた悠馬がいる。

彼の意識はどこか遠くの国で遊んでいるにちがいない。

「えっ……！　うそ！？　負けたー、変態に負けたー！」

「私が来た時には、もういました」

　美波が鍵盤を見ながら答えた。

　俺は悠馬が早い理由を知っている。

その理由は彼にとって誇りを守るためだったのかもしれない。

人には見せない想いが存在している。そこに一種の美徳があった。

「おーい、起きろよー！　練習始めるよー！」

　詩織さんが悠馬の耳に息を吹きかけているが彼の身体は一向に動きをみせない。

死人にでもなってしまったのか。

彼女が悠馬の身体を弄んでいると凛花がドラムスティックを手に持った。

何をするのかと思ったらスティックの先端を彼のつむじに叩きつける。

　ゴルフの打音よりは鈍い音がした。

この間のことを……恨んでいるのだろうか。