恋心と悲哀 2
「おい、ドラムセット破壊するなよ。
ドラムセットに突っ込むところもやらなくていい」
「あ、バレたっすか? いやー、憧れてるんすよ」
「今はやるなよ。次は凛花ちゃんで」
「あ……はい」
眼鏡の中で瞬きを繰り返している。
大丈夫だろうか、と考えたけれど、そのような心配は不要だった。
ルート音が一小節ごとに変わっていく音は滑らかで太い。
ロックバンドをやるには申し分ない演奏だと思っていると凛花はピックを唇に挟んだ。
スラップと呼ばれる奏法。親指で弦を叩き他の指で弦を引っ張り上げる。
音の輪郭が明瞭であって、アクセントを散りばめたベース音が流れていく。
時折入るグリッサンドが唸り某国で聞こえたという龍の咆哮に似ている。
連発される音は千手観音の手で殴られているようで脳と耳の奥を刺激した。
「す、すごい……超絶プレイヤーじゃん! すごい! ベース初めて長いの!?」
「ひ、ひいい……!」
もう見慣れてしまった二人の様子に助け舟を出す。
「それだけ弾けるなら昔からやっているんだよね?」
「あの……一年……一年前くらいです」
「一年……!? 一年でそれだけ弾けるの!? すごいよー!」
「ひいい……!」
確かに一年で弾けるレベルではない。努力の賜物なのだろう。
「次はリーダーの優詩くんだねー」
詩織さんは顔半分に笑みを集めて、なぜか悪巧みしている風を装っていた。
黒いハードケースからギターを取り出す。
「あ……その……ギター」
「――知ってる?」
「はい……珍しい……ので」
「うわー、なんすか! そのボディ!」
「美術品みたいね」
アンプとギターの間に何も挟まずシールドをジャックに差し込む。
アンプのイコライザーで高音域、中音域、低音域を適当に設定しゲインを上げる。
ピックで弦を揺らしても反応がないからギター本体のボリュームを確認する。
アンプに挿したシールドを何度か抜き差しすると音が出た。
長年使われていなかったのだから接触不良を起こしたとしても不思議ではない。
いくらか短い音で音量を調整しメンバーに目を向けた。
ルート音と五度離れた音を刻む。
ダウンピッキングのみで重低音の効いたメタルに多用されるバッキングを弾いた。
一通り弾いた後でイコライザーやゲインを再度調整してクランチサウンドに切り替える。
短く音を切って軽やかで楽しげなリズムを生み出していく。
「アンプを通して聞いたのは初めてだけど、優詩くんも上手だねー!」
「さすがっす! きまってるっす!」
「まあ……割と長くやっているから。
じゃあ……合わせようと思うけど、悠馬は原曲叩ける?」
「曲は聴いたんで雰囲気はわかるっす!」
「さっきの見る限り、まだ厳しいと思うから――」
バスドラムを排除してスネア、タム、ハイハットを叩くよう指示する。
ドラムパターンを詩織さんが教え悠馬が真似をしてスティックで打面を揺らす。
「じゃあ、そろそろ合わせてみるか。準備はいい?」
目配せをすると全員が頷いた。
それは当然の反応だったはずだが詩織さんだけは大声を上げた。
「あー! ごめん……! マイク用意してなかった!」
と、自前のマイクを黒いバッグから取り出した。
マイクのセッティングをした後で詩織さんは俺の隣に寄ってくる。
「ねえ……あのさ……私、歌えるかな……」
小さい声だった。
「大丈夫です。歌えます。みんなに聴かせてくださいよ」
「まだ……少し……」
「歌えなかったら……俺が代わりに歌いますよ」
「うん……」
メンバーの方向へ顔を移すと普段は下を向いている凛花と目が合った。
何かを訴える目のような気がするけれど、彼女の視線は下方向へ帰っていった。
「じゃあ……やるよー!」
……………………。
……………………。
みんなが一斉に悠馬の顔を見る。
「え……? なに? なんすか?」
「カウントをー。出してー。始まらないよー。カウントを出せー、変態垂れ目小僧」
詩織さんが悠馬に向け間延びした声を出す。
「カウント……? なんすか、カウントって」
「曲の始まりをドラムが合図するんだよ。
スティックを叩き合わせて曲の入りを合図してくれ。
ワン、ツー、スリー、フォーとかでもいい」
「了解っす!」
スティックの音が静寂の室内に響いた。
原曲に近い俺のギターの歪んだ音。凛花のベースはアレンジが加えられている。
美波のキーボードの左手もギターフレーズに重ねるように流れていく。
悠馬のほうを振り返ると真面目というよりは音楽を楽しんでいるようにみえた。
詩織さんと目が合う。ギターの音を短く切って頷いた。
「ゴッド――――」
俺以外の三人の思考が一瞬止まったように感じる。
各々の音が滞留をみせたからだ。凛花と美波が立ち直り演奏に熱を入れる。
原曲には似ても似つかない……綺麗な歌声で歌い上げていく詩織さん。
凛花は彼女の後ろ姿を真っ直ぐ見つめていた。
曲の終盤に悠馬が色々な打面を叩いて勝手に終わる。
「いやー、よかったっすね! ヤバくないっすか! バンドって……!」
「それ本気で言っているの?」
と、悠馬の発言に突っかかる美波はキーボードのスイッチ類を触る。
「え、なんでっすか?」
「ドラムのリズムがバラバラじゃない。
島崎さんが自分の中でリズムキープしてくれたから詩織さんが歌えたんだよ」
「マジっすか? 島崎っすか? 俺、けっこうイケてたと思うんすけど……」
ドラムスティックを二本重ねた悠馬は眉毛を垂らしていたが目は少しだけ開いている。
「――練習は? ちゃんとしているの?」
「してるっす! してるっす!」
実家の居酒屋から拝借した鍋の蓋などを四つほど並べ菜箸で叩いているらしい。
その練習ではバスドラムをキックすることはできないだろう。




