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あすの空、きみに青い旋律を  作者: 陽野 幸人
第二章 波浪と動向

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波浪と動向 7

「前に言われたからです」


「――なにを?」


「困っている人がいたら相手に寄り添ってあげて……と教えられたからです」


 普段から気丈に振る舞う美波が少しばかり声を震わせている。

中学校からの付き合いで初めて聞く声だった。


「ライブで暴れる観客がいたら、どうするの?」


「あの……いいですか?」

と、頼りなく弱々しい声が間に入る。

腰の後ろで両手を組んで、この場に不釣り合いな室岡が会話に参加しようとした。


「室岡先生は、黙っていてください」


 眉間と目元の皺。そのトライアングルから生まれた木崎の威厳はドーベルマンだ。

小型犬の瞳で太刀打ちできるわけがない。


 美波は学生カバンからファイルを取り出し新たな用紙を木崎の机上に置いた。


「高校の文化祭で、そこまでの人数が体育館に集まるとも思えませんが……。

もし、大挙の可能性がある場合には警備員、誘導員によって整理します。

こちらは生徒のボランティアを募りたいと思います。

当日のライブ中に問題が起こった場合、ライブは直ちに中断します」


「――無理ね。受け付けないわ。文化祭暴動の前例があるから。

感情論ではなく過去の事例を見て考えなさい」


 聞く耳を持たない木崎はアイスなのかホットなのかわからないコーヒーを啜る。


 俺たちの背後から「こんにちは。どうされました?」という声がした。


 白髪頭を横に流した中老の男性が立っている。

今年から穴来高校の校長になった人物であって、人柄や素性を俺は知らない。

美波が事の顛末を語る際の柔和な表情と挙動は、威圧的な木崎と対照的だった。


「――文化祭ライブですか。良いのではないでしょうか、木崎先生」


「こ、校長。しかし……前と同じことが起こりでもしたら……」


「その当時のことを私は存じませんが……。

問題が起こったとしたら、その時は……その時で対応しましょう。

存在していた部活動であれば、新設とはならないので部員数も特に問題ないでしょう。

――彼らにとって学生時代の思い出というのは、かけがえのないものです。

教育者である我々が生徒を応援することは大事ですよ。

不安要素を追求する、だけではなく……ね」


「しかし……それは……」


「校長の私が責任を持ちます。音楽、バンド。良いじゃないですか。

私はね……ある人に教わったことがあります。

ずいぶんと若いかたでしたが、しっかりとした意見を持っていました。

『一人で歩むことは苦難、誰かと歩むことは苦楽』

そう……叱責されましたよ。

今できること、今を懸命に歩きたいと生徒が願うことは、とても素晴らしいことです。

私たちも……そうありたいですな」


「――わかりました。

校長先生が、そうおっしゃるのであれば……軽音楽部を認めましょう。

その代わり部室は当時の彼らが使っていた場所を使いなさい」


 うるさくてしょうがないんだから、と言って木崎は背を向けた。

室岡が反抗の声を小さく出す。 

どうやら室岡が根城にしている準備室の奥にある部屋のようだ。

「使わせてあげてください」

と、校長先生に肩を叩かれている。

自身の生活をおびやかされると感じる室岡の反対は虚しく消えた。

俺たちは室岡ではなく校長先生に向け自身の頭頂部を見せる。


「バンド活動、頑張ってください。応援していますよ」


 微笑みが産んだ言葉は本心で言っているように感じる。


 職員室を立ち去る際に、懸念していた木崎の追撃があった。


「――ちょっと待ちなさい。その子は、なんで被り物をしているの?

先生に、お願いしにくるのに失礼でしょう。何年何組?」


「この子は日焼けが酷くて……顔を見せたくないんですよ。肌が弱い子なんで」


 俺が代わりに答えた瞬間に馬が木崎へ顔を向けた。

木崎が美波と話している間は影に隠れていて、存在を認識されていなかったようだ。


「わっ! な、なに……!? 馬……?」


「あー、父はギャンブル好きで競馬もやるから……家にあったものを被ったんです!」


「ギャンブルは関係ないでしょう……!

夏休みだからといって気を抜いて遊び呆けたりしないで!

と、く、に、馬を被っている、あなた!」


「了解でーす! 勉学に励みます! 音楽も恋愛も精一杯励みます……!」 


 生物室の先にある扉を開けた。生物準備室。この部屋に入るのは初めてだ。

赤茶色の古ぼけた二人がけのソファー、クリーム色になってしまった冷蔵庫がある。

木製のテーブルにはパソコン、大きなモニターには埃が蓄積していた。

木製棚の上には漫画本やら雑誌が並ぶ。

いつ洗ったかわからないコーヒーメーカーも寂しく置かれていた。

六個入りのコンビニパンが袋の中で白い棘を出し干からびている。

授業の準備室というより室岡の準備をする部屋だ。

この部屋の奥に軽音楽部の部室となっていた場所があるようだ。


「おい、あんま見るなよ。こっちだ。こっち」


 長年使われていない部屋は、とてもカビ臭いのではないかという不安があった。

予想に反し室内は整然としている。

十二畳程度の部屋。奥には黄ばんだ布に隠れる大きな塊があった。

左右に置かれたメタルラック。

何かが白い布に隠され、そこには細々とした塵が積もっている。


「それ、あいつらが置いていったやつだ。使えるかは知らないけどな……。

時々、換気だけはしていたから、まあ……部屋を使うには問題ないだろう」


「なんか秘密基地っぽくていいっすね!」

と、後に続き入ってきた悠馬が辺りに目を向けて言う。


「じゃあ、あとは勝手にしろ。いいか? 俺の快適な生活を邪魔するなよ」


 室岡は馬と美波を押し退ける。

最後尾にいた凛花の肩を粘った触り方をし気怠そうに消えた。


 メタルラックを隠している布を外す。

コンパクトエフェクター、シールド、バンドスコアなどが並んでいた。

歪み系、空間系、モジュレーション系のエフェクター、ボリュームペダルなどもある。


「おー、かっけえっす!」


「いいねー! ツーバスじゃん……!」


 馬の姿から人型に戻った詩織さんと悠馬がハイタッチをする。


 久しぶりに姿を見せたドラムセット。

シェル部分が青色、リムとラグが金色という派手なアクリルドラムだ。

隣にはドイツの有名メーカーのギターアンプ、アメリカ製のベースアンプがある。

日本メーカーのキーボードも壁に立て掛けてあった。


 ドラムスローンに座る悠馬が何気なく放った一言に驚く。



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