あすの空、きみに青い旋律を

第二章 波浪と動向

波浪と動向 6

　しばらくすると美波が「お待たせ」と、現れたが、首を小さく傾げる。

馬から人になった詩織さんを見て、部外者であると悟ったからであろうか。

生徒会の立場や文化祭実行委員として何らかの苦言を呈する。

そう考えて、少し身を強張らし待ち構えたが、彼女の口から追求されることはなかった。

「そう。部員は三名……顧問は室岡先生」

「俺は無理矢理だ」

と、下唇を出す室岡は悪態をついた。

「生徒会として受理するね。

すぐに活動したいなら今から木崎先生に提出するけど……」

「ありがとう。そうしてくれると助かる」

「四宮先輩、今日も……かわいいっすね！　いいっすね！」

　そう言われた彼女の怪訝な表情と不快感は健在だった。

「そんなんじゃ女心はくすぐれないよー」

　詩織さんは笑みをこぼし凛花の顎を優しく持つ。

「今日も……かわいいね。これくらいやらないと……！」

　男装した女子を彷彿とさせる表情で、お手本として実践する。

凛花は「ひいい……！」とだけ叫ぶ。

　三人のコントにも一切表情を変えない美波は話を続けた。

「じゃあ、木崎先生のところへ行くけど……みんなはどうする？

来たほうが実情を知るのにいいと思うけど」

「行く行くー！」

　一番行ってはいけない人物が乗り気だ。彼女は再び馬の姿に変わった。

それを一瞥しても眉一つ動かさない美波が、どこか位の高い人物に感じる。

下々の遊びには我関せず、といったところだろうか。

美波が先頭を歩き次に詩織さんと悠馬が猫のようにじゃれ合っている。

俺と室岡の後ろには凛花がいた。

「さっき……言っていましたけど、木崎先生と……なにかあるんですか？」

「ん？　ああ……。あのババアは、俺のこと敵視してくるからな」

「どうしてですか？」

「あのババア、俺が準備室を私物化しているとか言って教頭と校長に告げ口したんだ。

俺に一報あるのが最低限の礼儀だろ、あのクソババア……！

他にも女子生徒からセクハラの相談を受けたとか言ってきやがって……。

セクハラなんて個人の受け取り方次第だろうが……！」

「その時のことは知りませんけど。

第三者から見てセクハラなら、それは確かにセクハラだと思いますよ」

　準備室は俺のパラダイスだ、という室岡の発言を耳にしたことがあった。

女子生徒から彼の接し方に非難の声もある。

「顧問は嫌だが……あのババアとやりあうなら、お前らの手助けをしてやる。

共通の敵がいることは大事だからな。どうにかしてババアを失墜させたいんだ」

　奥歯を噛み締めていることが彼の頬の動きからわかる。

　俺にとって馴染みのない職員室には数名の教師と目的の木崎がいた。

コーヒー豆の焙煎された香りが漂って目を瞑ればカフェと間違うようである。

生徒に理解ある教師です、と立ち振る舞う者は、生徒にコーヒーを与えることもあった。

薄い信頼の対価にしては、ずいぶんと安上がりで香ばしいものだ。

「木崎先生、お時間よろしいですか？」

「あら、四宮さん。なにかしら？」

　細目の横にある皺を満遍なく寄せている木崎百合《きさきゆり》。

縁無し丸眼鏡の中に、ややつりあがった目がある。

年齢は五十代前半。偽りの黒髪はショートカットだ。

俺のクラスの担当ではないけれど、教科は現代文や古典であったと記憶している。

「こちら部活動の申請書です」

「これ……。この間、四宮さんが持ってきた話は、この子たちのことだったのね」

「はい。顧問の先生も彼らは必死で見つけました」

　不必要な発言はしない。交渉人の美波に託したほうが良いと思った。

「部員の人数が足りないようだけど。

部活を作るには五名からと校則で決まっているのよ？」

「校則は承知しています。

ですが、部として一名の部員と一名の顧問で成り立っている部活動も存在します。

廃部になるのは部員がいなくなった時です」

「それは既存の部活だからよ。新たに作る部活動と比較してはだめよ」

「部活動が乱立しないためのルールということは理解しています。

しかし、生徒の行動する機会と自主性を奪ってよいのでしょうか」

「奪うって……人聞きが悪いわね。

大体、四宮さんはメンバーに名前が無いようだけど？

それなら、なぜ？と思うわ。教えてちょうだい。

そこまで拘る理由……なぜなの？」

「私は生徒会役員です。生徒会として生徒が困っていたら助けたいと思っています」

「そう……それは素晴らしい心がけね。でもね、問題が起こったらどうするの？」

「問題ですか？」

「そうよ。それを危惧しているの。十年くらい前になるかしら。

あったのよ、軽音楽部。ねえ、室岡先生」

「え、ああ……そ……そうですね」

　話を振られた室岡の身体は小さい。

廊下での意気込みは焙煎されたコーヒーの湯気と共に天井に貼り付いている。

横目で彼の様子を伺うと蛇に睨まれた蛙だった。

「彼らは市のイベントに参加したりして活動費を募っていたわ。

イベントで店などもやっていた。

体裁よく資金集め……それで高額な機材などを買っていたわ。

保育園、養護施設、老人ホームに行ったりして周囲の好感を得ようとしたことも。

そんなの見え透いているのよ、浅はかな子たちだった」

「その行動が間違っているということですか？

市民の方々にも喜んでいただけたなら不幸になっている人はいないと思います。

当校の評判だって良くなったはずです」

「――問題は文化祭でのライブよ」

「文化祭……なにかあったんですか？」

「一般の方も来訪するから……ね。その中に素行の悪い連中も来ていてた。

ライブ終盤に暴動が起こったのよ。

バンドメンバーや観客との大乱闘。警察や救急車も来て大変だったんだから」

「それは、その時の話です。詳しい事情はわかりませんが暴れた人たちが悪いだけです。

彼らが今現在、真摯に物事へ取り組むことに関係ありません」

「四宮さん、わかっていないのね。結局は、そういう音楽ってことでしょ？

当時の彼らはパンクだのロックだの言っていたけど学校に迷惑をかけているじゃない。

人に迷惑をかけているじゃない。それが当校の生徒として正しいのかしら？」

「正しくはありません。ですが、彼らが同様の問題を起こすとは考えにくいです」

　俺たちを一瞥した美波は木崎の剣幕に引かない。

「ふふ……希望的観測ね」

「問題が起こると決めつけていることも憶測でしかありません」

「ねえ……どうしたの？　一年生の頃から学年で一番を取り続けている。

日本有数の大学へ進学する、あなたが……。そこまでして関わる理由はなに？」