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あすの空、きみに青い旋律を  作者: 陽野 幸人
第二章 波浪と動向

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波浪と動向 5

            *


 前日の馬が再び目の前にいる。

 

「それで、今から来るの?」


「はい。悠馬が呼びに行ってくれています」


「そっかー。顧問やってくれるといいね」


「一応、断られた場合のカードはあるんですけどね」


「カード?」


「切り札です。本当は……白日の下に晒すべきなんでしょうけど」


 自身の願いのために悪意ある行動を見逃すというのは義に背く行為だと思う。

しかし、決定的な証拠は何もないのだから追求することも難しい。

黒い塊が彼のものであるとしても、知らぬ存ぜぬで逃げられてしまう可能性がある。

映像や指紋が残っていれば良いのだけれど。

訴える側が証拠をすべて集めなければいけない。世にある法廷でも同様だ。

しかし、叩けば出てくる埃ならば脅しの材料には使える。


「来てもらったっすー」


 昨日は夢の中で安らぎを得られなかったのか悠馬の垂れた目には元気がない。 

その背後で小型犬の挙動をした、丸い目を何度も動かす白衣姿の教師がいる。


「おい、なんだよ? 呼び出しとは……ずいぶん生意気じゃねえか」


 前回会った時と違い少しばかり高圧的な態度だ。


「すみません。お願いがありまして」


「お願い……? おい……待て、その馬はなんだよ」


 やはり、馬が空気に交わることも、無視されることもなかった。


「――彼女は日焼けが酷くて肌を隠しているんですよ。

外に出たら日焼け対策にもなるので」


「――そうか。でも、馬はダメだろう。馬は」


「本題なんですけど、部活……軽音楽部を作りた――」


「無理だ」


 すべての内容を聞かず綺麗に拒否された。

一考する間も渋る様子もなく室岡は清々しいほどに無表情だ。


 純粋無垢だった。


「どうしてですか?」


「どうして? 質問返ししてやる。

なんで俺が顧問やらなきゃいけないんだ?

あんなものは好きな奴らがやってればいい。

女子のテニス、バレー、バスケ、陸上とかなら引き受けてやる。

いや、ウェルカムだ。

吹奏楽も純朴な観点から見ればあり……か。

でもな、軽音部? お前らの練習で俺の休日まで潰されてたまるか」


 室岡の言うことは正しい。

平日、休日に部活動が頻発すれば心身を休めることはできないだろう。

それでも……発言は考えたほうがよい。


 教師というものは子供に教育する立場だ。

子供に様々なことを教えたい、次世代を育てていきたい。

という基本的な信念を持ち合わせなかった教師。

ただの地方公務員となった末路が彼という人間だ。彼だけではない。

教育者の多くが生徒に上辺を語るだけで、腹の中には黒く粘着したものを抱えている。

『欲望』とりわけ『性欲』のために教育者という職業を選択する者も多い。

俺は今に至るまで、そのような教師を多く見聞きした。

すべての教師がそうであったとは言わないけれど。

悪意に満ちた、内に秘めた『それ』を吐き出してしまう教師は世の中に多くいる。


 そのような人物に形だけでも頼る現状。とても情けなく哀れで醜く感じた。


「お願いします。文化祭ライブに出たいんです」


「嫌だね。文化祭ライブなら有志の枠で勝手に出ろ。

俺を巻き込むな。俺は自由だ。俺は風だ。外村、お前も飛ぶか?」


 今までの経緯を話したけれど、室岡は他をあたれと無表情を貫き通した。

諦めかけた時、一つの声が上がる。白い歯が剥き出しの馬の口から出たものだった。


「あれー、もしかして……ムロムロ? ねえ、ムロムロだよね?」


 室岡の無表情という威嚇は走り去り小型犬の挙動を再び始めた。

眉毛が上下して見開いた目は生気を失っている。


「おま……お前……も、もしかして……」


「えー、やっぱりそうだー。ムロムロだよね?」


 馬の被り物を脱いだ詩織さんに驚愕している。


「おま……おま……な、なんで……ここに」


「えー、偶然じゃん! 久しぶりー!」


「な……なんだよ……なんなんだ」


 室岡は首を曲げて唾液が喉仏を大きく揺らした。


「――二人は知り合いなんですか?」


「うん、そうだよ! 何年ぶりかなー? 十年は経ってないけど……」


 指折り数えて七年くらいかな、と答えを出した。

詩織さんは両手を使い彼の二の腕に勇気を持たせるような衝撃を何度か与えている。


「元気だったー? 急に来なくなるから。

捕まったのかなー、って少し心配だったんだよ」


「お、お前……なんの……なんの用だよ」


「なんの用って……文化祭ライブに出るんだよ」


「お前は部外者……だろう」


「部外者でも出るんですー、ライブやるんですー。

――パンクでしょ?」


 狼狽えている室岡、明るい口調の詩織さん。どのような過去があったのか。

俺の知らない二人の関係性が気になる。


「顧問やってね、ムロムロ!」

と、満面の笑みを浮かべている。


「あ……? 無理だって、さっ――」


 室岡が言いかけたところで詩織さんの綺麗な声が上に乗った。


「やるよね? やれるよね? ムロムロ、顧問やるよね?」


 笑顔だけれど相手に恐怖を与える。

一つの既視感があった。そう……公園でギターを貸して、と言ってきた時だ。


「俺は……やらない」


「ムロムロー。お願い! ねっ!

――あの時のことバラすよ? あのデータとか探せば出てくるからね?」


 後半部分は室岡の耳元で言っていたから、凛花や悠馬には聞こえていないだろう。

俺には確かに聞こえた。彼は詩織さんに何かの弱味を握られているようだ。

俺たちが持つ不確定なものではなく、確定的な何かが室岡の頭部を動かした。


 提出書類の顧問欄に筆の進まない室岡の名前、部員欄には俺たちの名前を記入する。

詩織さんの名前は書けなかったが、善は急げで美波に電話をかける。

今日は生徒会の業務で学校に来ているようだ。


 室岡はパーマ頭を掻き乱し感情の苦虫を噛み砕いていた。


「――形だけですよ。別に練習に来てほしいとか、そういうわけじゃないんで。

でも……いないといけないんですかね。監督者として」


「そんなもんは誤魔化せるだろ。いくらでも手はある。

――ただな……! 部活……! 文化祭……!

それは……俺も……あのババアのところに行くことになるんだろ?」


 ババアとは木崎のことだろう。


「そうなりますね」


「クソが……! クソが!」



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