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第四話 邂逅

 瞼の裏まで真っ白だった。ちかちかとして眼球が痛い。

 それでもなんとか葵は瞼を持ち上げる。何故だか、どうしてもそうしなければいけないという衝動に突き動かされる。

 正直、頭の中はもつれた糸のようにごちゃごちゃだし、足まで絡まってるそれが本当に糸だったのかもわからない状態だし、目の前に足し算だけの算数ドリルを突き出されて今すぐ解けと言われたら全問不正解をたたき出す自信がある。そのくらい、何も考えられない。

 葵の視界が開ける。白かった世界が、再び夏に上書きされていく。端から水彩絵の具が紙に滲んでいくように取り戻した視界で、葵はまず、驚きに目を見開いた。

 さっきまで、目の前にあったはずの、古いガチャポンの自動販売機が、無くなっていた。


「……はい?」


 そんなはずがない、と思う。現に手のひらのなかには割れた黒いカプセルがあるし、代わりに握っていた百円玉は無い。この手は確かに、レバーを回す重みも音も覚えている。白昼夢なんて、絶対に無い。けれど目の前にあるのは喫茶店の壁だけで、レンガを這う植物が、時折吹く風に揺れているだけだ。


「――まあ、混乱しますよね。普通は」


 視界の端から、ひらりと花弁が飛び込んでくる。と同時に、知らない異性の声が後ろから聞こえて、葵はびくりと肩を揺らした。


「まあでも、君はとってもラッキーです。なんていったって、同業の中でも実力のほどは最高で最強、見目も人並み以上、いわばSSRであると言っても過言ではないこの僕を引き当てたのですから」


 続いて、背中の向こうから高らかな自画自賛も飛んでくる。

 急変した現状と、聞こえてくる言葉の意味がさっぱりわからない。混乱した頭のまま、葵は、その声に引っ張られるようにして恐る恐る後ろを振り向いた。


 桜が、舞っていた。

 春と呼ぶには暑すぎる気候と、濃すぎる青色の世界の中で。道端に並んだひまわりの、鮮やかな黄色と緑色に左右から挟まれて。容赦なく降り注ぐ蝉しぐれと、ゆらゆらと立ち上る陽炎の狭間で。

 葵の瞳に映り込んだ世界の中心に、天使のようにふわりと降り立った人物を、取り囲むように、花びらが舞い踊っていた。

 着地とともにふわりと浮く濃藍色のローブ。その裾に刺しゅうされた絢爛な金色が、太陽の光を受けて煌めいている。黒のインナーは首をすっぽりと覆い隠して、見ているだけで暑そうだというのにそれらに包まれた本人は涼しい顔でこちらを見降ろしている。確かに自分で言うだけあって、容姿は美しく、表情からにじみ出る堂々とした自信のありようが、さらに魅力を引き出しているようにも思える。

 最後に、桜を思わせる鴇色の髪。舞う花びらよりも、その春の色は葵の目を強く惹きつけた。


「――初めまして」


 綺麗だと、思った。

 花びらが、葵の頬を霞める。よくよく見れば、その花びらが桜ではないことに、普段の葵だったら気付くのだろう。けれど、いまの葵は混乱しているうえに、ただまっすぐに不思議な青年のことだけを見ていたから、気付けるはずがなかった。

 かつん、と青年のブーツがコンクリートを叩く。

 葵の数歩前で止まった彼は、呆然と彼を見上げたままになっている葵を、目を細めて見下ろすと、にやりと口角をあげた。


「僕はアスター。君の願いをひとつだけ叶える、魔法使いです」


 からからと、足元に割れた黒いカプセルが転がった。


「願いを、ひとつ……」


 理解が追い付かないまま、葵は相手の言葉を復唱する。まるで、夢の中にでもいる様な心地だった。とはいえ、夢心地、という言葉がもつ「うっとり」や「ぼんやり」とした柔らかさはいまの葵にはなく、ただ「呆然」という言葉の方が今の葵には当てはまるのだが。

 アスターと名乗った青年は、葵の言葉に頷いた。


「ええ。ひとつだけ、ね」


 強調するように繰り返したアスターは、まるで執事が拝命するかのように胸に手を当てると、上体を屈めて顔だけで葵を見上げた。


「任せてください、僕は有能な魔法使いだ。君の願い、なんだって叶えてあげましょう」

「何だって……」


 葵は未だ、混乱の最中にいた。

 もしも少しでも現状を把握しようと頭が動いていたのなら、まずこの魔法使いを自称する不審な人物とは距離をとるだろう。それから、当たり障りのない理由を述べて、この場から逃げる。それが正解だ。けれど、知らない場所まで転がっていった百円玉から始まって、消えてしまった謎の古いガチャポン。開けた瞬間に光があふれかえった異様に黒いカプセル。そして突然現れた謎の青年。これまでの出来事で葵はすでにキャパシティーオーバーだった。

 だからこそいま、相手の言葉を繰り返すだけのお喋り人形になってしまっているし、そのまま真に受けてしまっている。

 たくさんのことが、葵の頭の中をよぎっていった。

 最初に過ったのは、やっぱり手に入っていないモズの魔法使いのカプセルトイのことだった。欲しい。すごく欲しい。けれど、彼にこれを願うのは何だか違う気がして、口に出すのを止める。ここまできたら、なんとしてでも自分で引き当てたい気持ちの方が強かった。

 それから、食べたいと言っていた夏限定南国仕様のコンビニソフトクリーム。これも論外。だって、買えるだけのお金はちゃんとお財布に残してあるので。


(そもそも、魔法使いに願うことって、なんだろう)


 魔法という言葉。それは、葵にとって「奇跡」を示す言葉だ。一番印象的なのは、やはり灰被りの少女の古着をドレスに変えて、南瓜をすてきな馬車に変えた、あの魔法使いだろうか。

 そこまで考えて、ふと、先ほどまで話していた友人の、ちょっと照れたような、恥ずかしそうにはにかむような表情を思い出した。


『それにしてもいいなあ、デート』

『ふふ、いいでしょー』


「あ」

「お。なんか思いつきましたね」


 さあ、と促す魔法使いに。葵は、普段だったら恥ずかしくて言えそうにもないことを、つい、うっかり、ぽろっと口にした。


「彼氏がほしいです」

「………………、は?」

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