だって悪逆王女ですからね!①
眩しいかもしれないと思ったが、外はせっかく気持ちいいぐらいに晴れ渡っている。
分厚いカーテンを開き、窓も目いっぱい開けて部屋の空気を入れ替えた。消毒薬の匂いが薄くなり、やわらかな風が鼻孔をくすぐる。
「……う……」
「あら。起こしちゃった?」
長いまつ毛に縁取られた目が、ゆっくりと開いた。アイスブルーの瞳がぼんやり瞬き、私を認めた途端にはっと力を取り戻す。
「主!……ぃっ」
「怪我人は大人しく寝てなさい! しばらく安静にって、お医者様だって厳命してるんだからね?」
起き上がろうとしたアレンを叱りつけ、両手でベッドに押さえつけてやった。
水差しから水を注ぎ、吸口をアレンの唇に当ててやる。アレンは味わうように目を閉じた。
「ライナー、は……?」
弱々しいかすれ声に、私は眉をひそめて彼の顔を覗き込む。
まだ微熱はあるものの、顔色はさほど悪くない。三日も寝っぱなしだったのだから睡眠は充分……とくれば、まずは消化のいいものを食べさせなくては。
うわの空で扉に向かいかけ、すがるように私を見上げるアレンに気が付いた。仕方なく足を止め、肩をすくめてみせる。
「ライナーなら牢にいるわ。まるで悲劇の主人公のように、どっぷり己に浸っている最中よ。……そんなことより、何か食べられそう?」
「そんなことより、主に怪我は?」
「そうだわ! そんなことより、本当にごめんなさい! アレンが大怪我をしたのは、私をかばったせいだものね。一番にお礼を言わなきゃいけなかったのに!」
そんなことより、と互いに応酬しながら、にぎやかに頭を下げる。
アレンの頬がゆるみ、私はベッドの傍らに椅子を引き寄せ座った。手を伸ばし、瞳と同じアイスブルーの髪を撫でる。
「すぐにお医者様を呼んでくるから、大人しく待っていてね。厨房に命じて、美味しいスープも用意してもらうわ」
「……あなたさえいれば、他には何もいりません」
「まあ。私じゃお腹はふくれなくってよ」
赤くなった顔を背け、ツンと顎を反らした。アレンが小さく含み笑いする。
私はまた彼の髪を撫で、アレンは幸せそうに目を閉じた。
「……ね、アレン。私、アレンには本当に助けてもらったわ」
「…………」
そっと囁きかけると、アレンはうっすら目を開けた。私の手から逃れるように、苦しげにかぶりを振る。
「いいえ。わたしの告白を聞いていたのなら、おわかりでしょう? わたしは二度もあなたを守りきれず――」
「過去の女の話はしないでくれる? 不愉快だわ!」
ぴしゃりと遮ってやれば、アレンが絶句した。その唖然とした表情に噴き出しそうになりながらも、しいて怒ったようにアレンを睨みつける。
「今は私の話をしているのよ。私が今生きているのは、誰が何と言おうとあなたのお陰なの。……と、いうわけで! あなたの大好きな悪逆王女様が、ご褒美に何でも望みを叶えてあげるわ!」
さ、言ってみなさい。
偉そうに促すと、アレンはぽかんとした。
しばし唇を引き結んで考え込み、ややあってためらいがちに口を開く。
「……何でも、ですか?」
「ええ。何でもよ」
鷹揚に頷く私に、アレンがごくりと喉仏を上下させた。
痛みに顔をしかめながらも身を起こそうとするので、私は慌てて彼の体を支える。けれど、アレンは小さく首を振って頭を垂れた。
「わたしの願いはたった一つです。――どうか我が主、リディア殿下。今生では天寿を全うしてください」
予想外の願いに、私は目を丸くする。
アレンは苦しげにあえぐと、私の手をきつく握り締めた。
「どうか当たり前に年を重ね、やがて老いて、子や孫に囲まれて……幸せな気持ちで、眠るように安らかに生を終えてください。そして願わくば、わたしにそれを見届けさせてほしい……っ」
小さく咳き込み、それでもアレンは言葉を止めない。
「一番近くにいさせてくれだなんて、おこがましいことは到底言えません。それでも、わたしをあなたの従者でいさせてくれるのならば……。わたしは今度こそ、最後まであなたの側にいたいんだ……!」
「アレン……」
体を折って苦しむアレンの背中を撫でて、私はもう一度彼をベッドに横たわらせた。
荒い呼吸が落ち着くのを待ってから、私は微笑んでアレンを見下ろす。力なく落ちた手を取り、手の甲をぽんぽんと優しく叩いた。
「……うん。あなたの望みはわかったわ」
「主……!」
顔を輝かせるアレンに、にっこりと頷きかける。
「嫌よ。絶対にお断り」
「…………は?」
アレンの顔が凍りついた。
私はアレンの手をぽいと放って、椅子から腰を上げる。アレンが慌てたように私に手を伸ばした。
「いや、何でも聞いてくれるって……!」
「私、嘘つきなの。きっと私の従者に似たんだわ」
いたずらっぽく片目をつぶり、黄金の髪をかき上げる。
「そんな願いは叶えてあげない。だって私はもう二度と、私が死ぬところをあなたに見せるつもりはないんだから。私はね、今生では絶対あなたより長生きしてやるって決めてるの!」
枕の横に手をつき、覆いかぶさるようにアレンの顔を覗き込んだ。熱に潤んだ、アイスブルーの瞳が頼りなく揺れる。
「……だからその代わり、今度は私があなたの最期を看取ってあげる。悪逆王女……いえ、きっとその頃には『悪逆女王』ね。あなたがこの世で最後に目にするのは、年を取ってなお最高に美しい私の顔よ」
「……っ」
アレンが息を呑む。
食い入るように私を見上げ、泣き出しそうに顔を歪ませた。
閉じ込められた私の腕の中からは逃れられないのに、それでも抵抗するように精いっぱい顔を背ける。
「どうかな……。わたしも年老いて、目が悪くなってるかもしれませんよ。あなたの顔なんて、もう見えなくなってるかも」
「なら耳元で高笑いしてやるわ」
間髪入れずに遮って、ぱっとアレンから体を離した。
ベッドの縁に腰掛けて、さらさらした髪に指を絡ませる。
「ああ、耳が遠くなってても無駄よ? 容赦なく耳たぶを引っ張って、あなたが息を引き取るその瞬間まで、明るく楽しく高笑いし続けてやるわ」
「ふ……っ、くくっ。何ですか、それっ」
アレンがこらえきれないように笑い出した。
笑っているのに、その瞳からは涙があふれて止まらない。袖で乱暴にぬぐおうとするので、私は腕を掴んで引き止めた。
「……側に、いるだけじゃ足りないわ」
指をすべらせ、濡れたアレンの頬を撫でる。
「あなたは私の一番近くにいるの。後ろでも前でもなく、あなたがいるべきは私の隣。嫌だと言っても、逃してなんかあげないわ」
「…………」
アレンが静かに目を閉じた。
歯を食いしばって嗚咽をこらえ、体を小さく震わせる。涙が一筋、頬を流れた。
レースのカーテンを揺らし、やわらかな風が吹き抜ける。
私はそっと顔を寄せ、固く閉じたまぶたに口づけをひとつ落とした。




