揺るぎない願い①
「――死は平等に訪れる。安らかに逝くがいい、ライナー・オーレイン」
(……だめっ)
咄嗟に私は身をよじる。
いつからか、体のしびれはすっかり取れていた。
けれど私はあえて気配を殺していた。ただひたすら息をひそめ、アレンの話に耳を傾け続けた。
胸がじくじくと痛み、涙がとめどなくあふれても、アレンの告白を聞き届けなければいけないと思ったのだ。
(……叔父様を殺せば、アレンだってただじゃすまなくなる)
王族を手に掛けたら、問答無用で死罪になってしまう。
アレンにだってわかっているはずだ。それでも、彼はきっと躊躇なくやり遂げる。……私を助ける、そのためだけに!
(絶対にだめ! あなたに人殺しなんてさせない!!)
しびれは取れても、縛られた体は動かない。
それでなくてもこのチェストは狭すぎて、叩いて助けを求めることもできなかった。せわしなく首を動かして――不意に気付いた。
「……っ」
首を最大限後ろに引き、反動をつける。
――そのまま勢いよくチェストの扉に額を叩きつけた。
「……!? 何だ!?」
鈍い音と共に目の前に星が散り、頭がくらくらする。
アレンの動揺した声が聞こえ、突然ぱっと視界が明るくなった。チェストの扉が開け放たれ、アレンが驚愕に目を見開く。
「――主!? どうして……クソッ、ライナー・オーレイン!」
立ち上がりかけたライナーに向かい、アレンが手の平を突きつけた。まるで突風が吹いたようにライナーが弾き飛ばされ、壁に叩きつけられて崩れ落ちる。
アレンはすぐさま私に向き直ると、手早く私の拘束を解いてくれた。
猿ぐつわも外されて、ようやく深々と息が吸える。口を開こうとした瞬間、額にズキリと痛みが走った。
「ぃ、たぁ……!」
「血は出てないですが、見たこともないぐらい立派なたんこぶができてますよ。……失礼」
「やっ!? 触らないでイヤ痛いっ!!」
大きな手でそっと額を押さえられ、私は思わず悲鳴を上げてしまう。
アレンは笑いをこらえるような顔で私を見下ろし、それから一転して泣き出しそうに顔を歪ませた。
「……全部、聞いていたのですね」
アレンを見つめたまま瞬きすると、大粒の涙がこぼれた。
たんこぶの痛みのせいなのか、目の前の男のせいなのか。もはや自分でも何が何だかわからない。
「……ええ。全部聞いていたわ」
しゃくり上げながら頷き、自由になった手をきつく握り締める。大きく振りかぶって、アレンの胸を力まかせに殴りつけた。
「――この、大馬鹿者ッ!!」
何度も何度も殴りつける。
アレンはうなだれ、されるがままになっている。
「嘘つき、嘘つきッ! 最初から全部嘘ばっかりだったんじゃない! 私のことなんか全然好きじゃなかったくせに! 何が悪逆王女の信者よ、むしろ私を嫌っていたんでしょう!?」
ぼろぼろ涙があふれる。
アレンが苦しげに目を伏せる。
「それなのに、それなのにどうしてこんな事をしたの! あなたは馬鹿よっ。き、嫌いな私を、私なんかを助けるために、何年も何年も無駄にして……!」
叩くのをやめ、アレンの胸に額を押しつける。
たんこぶが痛い。縛られていた手足が痛い。……でも、それ以上に胸が痛い。
「……主」
アレンがうめくように呟き、私の肩にためらいがちに手を伸ばす。私もアレンの体に手を回し、ぎゅっと力を込めて抱き着いた。
「嘘つき、嘘つき……! 十八の誕生日を迎えたら、隠し事を話してくれるって言ったじゃない。誕生日が過ぎても、ずっと側にいてくれるって言ったじゃない……!」
「…………」
「あなたは私の従者なの。それはお父様にだって変えられない。解放なんて絶対にしてあげないんだから! あなたはずっと私の側にいるの。そして私の従者である以上、今後は嘘なんか一切許さな――!」
「嘘じゃありません」
静かな、揺るぎない声に息が止まる。
顔を上げようとすると、阻むように押さえつけられた。アレンが力強く私を包み込む。
「少なくとも今は、嘘じゃありません。……確かにわたしは、これまでたくさんの嘘をあなたについてきた。時が一度しか戻せないと言ったことも、そしてライナーのことも……。けれど、今のこの気持ちだけは、嘘偽りなく真実なんです」
耳元に切ない息がかかる。
「最初は己への後悔から、そして二度目はあなたを死なせてしまった罪悪感に突き動かされ、わたしは時を戻しました。……ですが、今は違います」
きっぱりと告げて、固く閉じていた腕が少しだけゆるんだ。
恐る恐る顔を上げた私を、アイスブルーの美しい瞳が射抜く。
「あなたを愛しているから、全てを捨ててもあなたを守りたいと思った。何を犠牲にしても、あなたが幸せに生きる未来を守ると決めた。――わたしが何度も時を遡ったのは、今この時のためだったんだ」
「……っ」
ずっと強ばっていた体から力が抜けていく。
ぽろぽろこぼれる涙を、アレンの指が優しくすくった。その手に私の手を重ね、震える呼吸を整える。
「アレン。私……っ」
思いを伝えようとした瞬間、アレンがはっと身じろぎした。
背中に私をかばい、すばやく振り返る。
「……ライナー、貴様っ!」
驚いて見上げれば、ライナーが幽鬼のように突っ立っていた。その手にあるのは、宝石で飾られた豪華な短剣――……王族の護身用の短剣だ。
顔を歪ませたライナーが、激しく頭を掻きむしる。
「僕は……違う。この僕が、そんな低俗な人間であるはずないんだ……!」
うわ言のように叫ぶなり、短剣を鞘から抜き放った。
アレンが無言で立ち上がり、床に落ちたナイフを魔法で呼び寄せる。ふらふらとこちらに近付くライナーと、ナイフを構えるアレンが対峙した。
「アレン!」
「約束を破ることをお許しください、主。……ですが、この男だけは生かしておくわけにいかないのです!」
二人の距離が縮まる。
剣先が明かりを弾いて輝いた。
(だめ……!)
ライナーを殺したら、アレンが人殺しになってしまう。
ライナーを殺したら、私はアレンを永遠に失ってしまう。
「――そんなの、絶対に許さない!!」
泳ぐように無様に走って、二人の間に割り込んだ。ライナーに背を向け、両手を広げてアレンの前に立ちふさがる。
「殺しては駄目! あなたが手を汚したりなんかしなくたって、私は絶対にライナーに負けたりしないわ!」
「主!」
アレンが蒼白になって手を伸ばす。
はっと振り返ると、ライナーが今まさに短剣を振り上げたところだった。
ライナーの正気を失ったような目が私を捉える。
「そうだ、君のせいなんだリディア……。君のせいでこの魔法使いが、僕の存在を脅かすんだッ!」
短剣が私の胸に迫った。
異様なほどゆっくりとした速度で、けれど逃げようとした私の動きもひどくのろい。
為す術もなく、私の胸に切っ先が潜り込んだ。




