悪逆王女、大ピンチ!?①
「やあリディア! よく来てくれたね!」
ライナーが満面の笑みで両手を広げる。
私はその胸に飛び込まず、控えめに微笑んで礼を取った。
――怒涛のパーティから一ヶ月。
あの日以来、私とアレンの仲はぎすぎすしている。会話は必要最低限になり、お互い目すら合わせようとしない――……というふうに人前では演じている。
ライナーはそれを信じ込んで大層喜び、頻繁に私をお茶や外出に誘うようになった。
そして今日はライナーに招待され、彼が着任した王立病院の視察に訪れたのだ。玄関で私を出迎えたライナーは、張り切って院内を案内してくれる。
「僕がここで何をするのか、リディアは知っているかい?」
朗らかに尋ねられ、私は小さく首を傾げた。
「いいえ。責任者に据えて改革を任せるのだ、としかお父様からは伺っておりませんわ。わたくしは浅学にして存じ上げませんが……もしや、王立病院の経営は苦しいんでしょうか?」
最後だけ声を落として囁きかければ、ライナーは笑ってかぶりを振った。
「いやいや、僕は王族とはいえ根っからの医者だからね。改革は改革でも、経営ではなく医療分野に関する改革なのさ」
「まあ。とおっしゃいますと、隣国の?」
目を丸くする私に、ライナーは自信たっぷりに胸を反らす。
「そう。あちらでは薬草学が発達しているからね。病気になってしまってからの『治療』だけでなく、『予防』医学にも力を入れているんだよ。体に良い薬草茶や薬膳を日常に取り入れ、心身の健康を保つ――。これに兄上がいたく興味を示されてね」
「ああ、お父様も健康に関心がおありですものね」
私は納得して頷いた。
健康健康と口やかましい娘に影響され、最初はいやいやだったお父様も今では立派な健康マニアだ。国民の健康にも目を向けるようになった父を、娘として誇りに思う。
(それが実現すれば……)
ライナーは身振り手振りで楽しげに説明を続けていた。その口調は次第に熱を帯び、表情が生き生きと輝き出す。
(お父様にとっても国民にとっても、すごく良い話だわ。ライナーを排除する必要なんて、なくなるかもしれない……)
けれど、アレンが納得してくれるだろうか。
唇を噛む私に気付かず、ライナーは様々な改革案を披露してくれるのであった。
◇
すっかり長居してしまい、病院を出る頃には完全に日が落ちていた。
私とライナーは足早に馬車へと乗り込み、暗い夜道を辿って帰城する。
「今日はありがとうございました、叔父様。お陰でとても素晴らしい勉強ができましたわ」
「どういたしまして。実を言えば、退屈するんじゃないかと心配していたんだがね。君が顔を輝かせてたくさん質問してくれたから、僕も本当に嬉しかったよ」
鷹揚に微笑むと、そうだ、と座席から体を浮かせた。
「よかったら夕食後にでも僕の部屋においで。初心者向けの物も含め、隣国で集めた薬草学の本がたくさんあるんだ。貸してあげるから時間を見つけて読むといい」
「……ええ。ありがとうございます」
言葉を濁し、座席に深く座り直す。
目を逸らして車窓を眺める私を、ライナーが探るように見つめた気がした。
アレンと約束した通り、これまでのところはうまくやれていると思う。
ライナーは私を手懐けようと必死で、そのたび私は少しだけ身を引いた。賢い彼は深追いしようとはしない。
(あれからもう一月……。でもまだまだ、ライナー叔父様がどんな人間なのか掴めてない……)
重苦しい気持ちのまま城に到着し、身支度を整えるため一度自室に戻る。外出着からドレスに着替えても、なぜかアレンが迎えに来なかった。
「クロノス様でしたら、お昼前に外出されたきりですが……」
着替えを手伝ってくれた侍女が、おずおずと言い出した。
「外出? どこに行くか言い残していた?」
いいえ、と否定されて肩を落とす。
最近のアレンは不在がちで、宣言していた通りライナーの周囲を調べて回っているのだろう。
仕方なくそのまま夕食へと向かい、食べ終えるなりライナーからまた部屋に誘われた。
断りの文句を口にする前に、話を聞いたお父様が破顔する。
「おお、それはいい考えだ。リディア、良い薬草があればわたしにも教えておくれ」
「……はい、お父様」
アレンに一言断りたかったが、ライナーの部屋に直行することになってしまった。
案内された彼の部屋は、私やお父様の部屋からだいぶ離れていた。長い廊下を辿った先の角部屋で、私達の部屋の倍は広さがある。
「勉強に集中できる環境を、と亡き父上が気遣ってくれたのさ。僕は書物を集める癖があるから、これでもまだまだ狭いぐらいだ」
いたずらっぽく片目をつぶり、天井に届くほど背の高い本棚を指し示す。
メイドがお茶を準備して下がる間に、内容が優しめの本を五冊ばかり選んでくれた。
「どうぞ。絵入りだしなかなか楽しめると思うよ」
ソファに座り、適当に取った一冊をぱらぱらとめくってみる。
ライナーと二人きりは気詰まりだが、あまりにすぐに退出したら失礼にあたってしまうだろう。本に集中する振りをして、帰るタイミングをじりじりと待った。
(……ん?)
ふと、甘い香りを嗅いだ気がして顔を上げる。
ライナーがいたずらがバレたように首をすくめた。
「ふふ。これもね、隣国で手に入れたんだよ」
「これは……、香炉、ですか?」
ずんぐりと丸い形をした、蓋付きの磁器。表面は美しく絵付けされている。
屈み込んでしげしげと眺める私に、ライナーは「正解」と笑った。
「寝る前だからね、リラックス効果のある香を焚いてみたんだ。ちなみにこの香は僕が調合したもの」
「……甘くてとってもいい香り。ライナー叔父様ったら、こんな才能もあったのです、ね……ふああ」
これ幸いと、わざとらしくあくびをしてみせる。
「そう言われたら、なんだか眠くなってきたみたい。わたくし、そろそろ失礼させていただこうかしら」
「ああ、君に合っていたのかな? いろいろ試しすぎたせいか、僕にはもう全く効かなくなってしまったんだけど。……でも、そういうことなら」
ライナーは私に背を向けると、ごそごそと棚を探り出した。
「予備の香炉と香をプレゼントするよ。確かここにしまったはず……あれぇ?」
首をひねりながら引き出しをひっくり返すライナーを、私は仕方なく待ち続ける。けれど、どれだけ経っても香炉は見つからない。
なんだか頭痛がしてきて、私は振り払うように立ち上がった。
(もう結構ですわ、ライナー叔父様。また見つかったらプレゼントしてくださいませ)
そう告げて退出しよう、と決めたその瞬間――
ぐらり、と体が傾いだ。
「っ、ぁ……?」
悲鳴を上げようとした口からは、何の言葉も出てこない。舌がしびれたみたいに動かないのだ。
足がもつれ、落っこちるようにソファに倒れ込む。起き上がらなければと思うのに、指一本すら動かせない。恐怖に喉が引きつった。
「――ああ。よかった、効いてきたみたいだね?」
場違いなぐらい明るい声が降ってくる。
「これほどまでに効果てきめんだとは。君は薬の効きやすい体質なのかもしれないね、リディア」
長くて美しい指が私の髪を撫でる。
「……っ、ぅっ」
「大丈夫。薬が抜ければちゃんと体は元通りになるし、後遺症だってない。……本当は僕だってこんな手荒な真似はしたくなかったが、仕方なかったんだよ。だって君が、あまりに強情なものだから」
心底悲しそうに、辛くてたまらないんだと言うふうに男は眉根を寄せた。その表情に吐き気が込み上げる。
男はビロードの長いリボンを用意すると、私の両手をきつく縛り上げた。
震える私を抱き締め、潤んだ瞳でじっと顔を覗き込む。
「可愛いリディア。君はまだ心のどこかで、アレン・クロノスを信じようとしているんだ。だからこの僕が、君の目を覚まさせ救ってあげよう――……」




