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いざ敵地へ!②

 招待客と一通り言葉を交わし終えたところで、ちょうどパーティも終盤に差し掛かった。

 喉の渇きを覚えて、私はちらとアレンに目配せする。アレンはすぐに心得顔で頷いた。


「――リディア」


 不意に掛けられた声に、踵を返しかけていたアレンの足が止まる。

 私はこっそり深呼吸をして、心の準備をしてから振り返った。


「あら、ライナー叔父様」


「やあ。パーティは楽しめたかい?」


 ふわりと微笑むと、ライナーは両手に持っていた美しいグラスを片方私に差し出した。しゅわしゅわと気泡の立つ、薄ピンクの澄んだ液体。

 礼を言って受け取った私に、ライナーは長身を屈めて耳打ちする。


「リディア、バルコニーへ行こう。愛想笑いを振りまきすぎて、風に当たりたい気分なんだ」


 君ともゆっくり話したいしね、といたずらっぽく付け加えるライナーに、私は一瞬だけ迷った。

 けれど、ここで断るのはどう考えても不自然だろう。すうっと無表情になるアレンを気にしながらも、「よろしくてよ」と頷く。


「……リディア殿下」


 低い声を出すアレンを、ライナーは常になく厳しい眼差しで見据えた。


「君はここで待っていたまえ。兄上もリディアも随分と君に甘いようだが、従者としての分をわきまえなさい」


「……御意」


 深々と頭を下げたアレンの表情は窺えない。


 私は「後でね」と彼に囁きかけ、ライナーにエスコートされるままバルコニーへと出た。



 ◇



「ああ。外の空気を吸うとほっとしますわね」


 ライナーを振り返り、あえて無邪気に喜んでみせる。

 バルコニーはどうやら事前に人払いしていたようで、ライナーと私の二人しかいなかった。


 笑顔を作る私をライナーは探るように見つめると、小さくため息をついた。


「ライナー叔父様?」


「いや、すまない。まずは乾杯しようか」


 チン、と二つのグラスが合わさる。


 グラスを傾け、私は申し訳程度に唇を湿した。まさか毒が盛られることを心配したわけではないけれど、アレンは私がライナーの杯を受けるのを望まないだろうと思ったのだ。


(警戒を崩さないって約束したしね)


 ライナーはいかにもおいしそうにグラスを空けた。バルコニーの柵によりかかり、目を細めて王城の庭園を見下ろす。


「……変わらないね。ここの景色は」


「ええ、とても美しいですわ」


 私も彼にならって柵に手を掛けた。庭園にはふんだんに明かりがともされ、まるで真昼のように明るい。


 しばし無言の時が過ぎ、頬をなぶるやわらかな夜風に目を閉じる。ライナーが帰国して初めて、二人の間に穏やかな空気が流れた気がした。


「……リディア。一つだけ、聞いても構わないかい?」


 沈黙を破り、ライナーが重い口を開く。


「ええ。何でしょう?」


 しいて平然と頷くと、ライナーはぎこちなく微笑んだ。そっとグラスを置いて私に向き直り、真剣な瞳を向ける。


「久しぶりに会った君は、僕をひどく警戒していたね。帰国した時の僕は、可愛い姪に会えるのをそれはそれは楽しみにしていたんだ。きっと君は最後に別れた日のまま、無垢で純粋で愛らしくて……僕との再会を心から喜んでくれるに違いない、と。けれど君は……、まるで敵を見るような目を僕に向けたんだ」


「…………」


「君がそうまで変わってしまったのは――……全て、あの男のせいではないのかい?」


 動揺を押し隠し、私は震える唇を噛んだ。

 痛いぐらいライナーの視線を感じながら、必死で頭を回転させる。


「嫌ですわ、叔父様。何をおっしゃっているのか……」


 時間稼ぎは通用しなかった。

 ライナーはきっぱりと首を横に振る。


「聡い君ならばわかっているはずだよ。……僕もね、必死で考えてはみたのさ。あの男――アレン・クロノスが、どうしてああまで僕を敵視するのかを」


 ようやく私から目を逸らしたライナーが、苦々しげに眉をひそめた。


「けれどね、いくら考えてみてもわからない。僕はあの男の存在すら知らなかったし、当然恨まれるようなことをした覚えもない。……となると、考えられるのは」


「……!」


 不意に一歩詰め寄られ、私は息を呑む。

 後ずさりしかけた私を、ライナーはきつく腕を掴んで引き止めた。私の手からグラスがこぼれ落ちる。


 カシャンと軽い音を立てて割れるグラスには目もくれず、ライナーは端正な顔を私に近付けた。


「――アレン・クロノスは君を意のままに操ろうとしている。次期女王である君の側で甘い汁を吸うため、邪魔者になりうる僕を排除しようとしているんだ」


「……違う!」


 たまらず声を上げるが、ライナーは「違わない」と落ち着いた声音で否定した。


「君はあの男に洗脳されている。信用しては駄目だ。あの男は君の味方なんかじゃない」


 ――あの男は君の、敵だ。


 ぴしゃりと断言され、体中からみるみる力が抜けていく。

 ライナーが手を離した瞬間、バルコニーにへたり込んでしまった。エメラルドグリーンのドレスの裾が広がっていく。


「リディア。あの男が何を企んでいるにせよ、君はもっと公正な視野を持たねばならないよ」


「…………」


「あの男を信用し、あの男の言にのみ耳を傾ける。それは果たして、為政者として正しい振る舞いと言えるだろうか?」


「…………」


 痛いところを突かれた。


 ライナーは敵だ、という先入観に囚われて、私はこれまでライナーと正面から向き合おうとしなかった。もっときちんと、ライナーを自分の目で見定めなければならなかったのに……!


(アレン……)


 ライナーはアレンに恨まれる心当たりはないと言った。

 当然だ。アレンがライナーを憎むのは、未来の私を殺したのが他でもないライナーだったからだ。今のライナーには何の関係もありはしない。


 そしてライナーが私を殺したのは、未来の私が国民全員に憎まれる悪逆王女だったから。だからライナーは、正義のために仕方なく私を殺し……て……


「……え?」


 うつむけていた顔をぱっと上げる。


 呆けたようにライナーの顔を見つめると、ライナーは怪訝そうに私を見返した。一心に彼の瞳を覗き込みながら、私はこれまでのアレンの言動を思い返す。


(……へん、よ。変だわ)


 つじつまが合わない。


 アレンと私はこれまで、破滅の運命に至る要因をことごとく潰してきた。例えばそれは私の浪費癖であったり、お父様の病気であったり、国民から私への悪評であったり。

 アレンはいつだって計画的に手際よく、現状を変えていってくれたのだ。


 けれど――


(ライナー叔父様に関してだけは、違う)


 本当にライナーが悪逆王女であることを理由に私を殺したのならば、もうその運命は変わったはずなのだ。だって今の私は、国にとって害となる悪逆王女ではないのだから。


 それなのに、アレンは警戒を解かない。

 それなのに、アレンはライナーを敵だと言う。


 両足に力を込め、私はゆっくりと立ち上がった。

 驚くライナーを、真正面からきつく見据える。


(ねえ、ライナー叔父様。未来のあなたは……)



 ――アレンにこうまで憎まれるほどの、一体何を私にしたの?

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