宣戦布告いたしますわ①
棒のように突っ立ったままの体を引き寄せられ、力強く抱き締められる。
懐かしい匂いと温かさに包まれた途端、冷たく強ばっていた体にドクドクと血が通い始めた。そのお陰か、完全に停止していた思考が働き出す。
――安心なんか絶対にしないで。ライナー・オーレインに気を許さないで
――奴は敵です。奴はあなたを、破滅に導く敵なんです……!
血を吐くような叫び。
泣き出しそうに揺れるアイスブルーの瞳。
震える手を、ぎゅ、と爪が食い込むほどきつく握り込む。
(……ええ。もちろんわかっているわ、アレン)
約束したもの。
誓ったんだもの。
――だから。
(せえ、のっ!!)
きっぱりと顔を上げ、渾身の力で長身の男を突き飛ばした。
「っ!?」
もちろん私の力は弱く、ライナーはよろけすらしない。けれど私がこんな行動に出るのは予想外だったのだろう、彼は驚愕したように目を見開いていた。
その隙に身を翻し、彼の腕の中から脱出する。
そのままザッと両足を踏ん張り、体勢を立て直した。黄金の髪を払い、唇を歪めて皮肉げな笑みを形作る。
「ライナー叔父様。いかに叔父と姪の間柄とはいえ、少々ぶしつけすぎやしませんか? あなたが先程おっしゃいました通り、わたくしもう幼子ではありませんの」
「リディア!?」
高飛車に告げれば、お父様が目に見えてうろたえた。
おろおろと私とライナーを見比べるが、ライナーは私をじっと注視するだけ。臆さずその視線を受け止めていると、彼はややあって頬をゆるめた。
「確かに君の言う通りだね、リディア? いや嬉しいな。僕の小さなお姫様は、随分と手強い女性に成長したものだ」
余裕たっぷりに肩をすくめ、朗らかな笑い声を立てる。
お父様も安堵したよう苦笑して、張り詰めていた空気が一気にほぐれた。
二人に合わせて私も微笑を浮かべつつも、抜かりなくライナーの様子を観察し続ける。
わがままな姪に対しても大人な対応を崩さない、懐の深い男――きっと誰が見てもそう思うであろう、叔父の姿を。
(敵に回すつもりはないわ。それでも……)
たやすく御せる頭の弱い娘だと、絶対に相手に思わせてはならない。
安心しない。
警戒を崩さない。
きつく唇を噛み、笑い合う二人の男に礼を取る。
「お父様。ご兄弟で積もる話もおありでしょうから、わたくしは先に失礼させていただきますわ。ライナー叔父様、どうぞごゆっくり」
「ああ。少しだけ待ってくれ、リディア」
私に向き直ったライナーが、足早に母の部屋に消えていく。再びこちらに戻ってきた彼の腕の中には、一抱えもある大きな箱があった。
「可愛い姪にお土産だ。隣国で話題のドレスだよ」
「――まあ! ありがとうございます、叔父様!」
私はすぐさま手を叩いて大喜びする。
いそいそと箱のリボンを解く私を、お父様とライナーは微笑ましそうに見守っていた。二人の視線を感じつつドレスを広げる。
――途端に演技を忘れ、目を奪われた。
鮮やかなエメラルドグリーン、肌触りの良い高級な生地。
胸元は金糸銀糸でびっしりと細かな刺繍が施され、ドレスの裾には幾重にもレースがあしらわれている。一目見ただけで、膨大な手間と時間が掛けられているのがわかった。
「…………」
「気に入ってくれたかな?」
背後から落ちてきた声に、私ははっと我に返る。
目を閉じて呼吸を整え、満面の笑みで振り返った。
「とても素晴らしいですわ、叔父様! ええ、もちろん気に入りました!」
「それは良かった。高貴で特別な君には、それに相応しい装いというものがあるからね」
ライナーが満足気に頷く。
ドレスを体に当てて見せると、お父様も大喜びで褒めそやしてくれた。
散々二人に見せつけてから、私は丁寧にドレスを箱に戻す。
「本当にありがとうございました、叔父様。――城下のデザイナー達も、これを見れば大いに勉強になることでしょう」
「……え?」
ライナーの笑顔が凍りついた。
私は素知らぬふりをして、無邪気な笑みを彼に向ける。
「今、我が国はファッション産業が花盛りなんですの。他国の技術を見ることで、きっと新たなアイデアも生まれてくるはず。……ああでも、このドレスは少々値が張りすぎますわね」
眉をひそめてみせると、お父様がうきうきと身を乗り出した。
「リディアや。心配せずとも、デザイナー達もしっかり心得ているだろう。刺繍を一部分に減らすなり、レースの装飾を控えめにするなりして、庶民の手にも届くよう価格を抑える努力をしてくれるとも」
「本当に。さすがはお父様ですわ! 早速明日から城下の工房を回ってこようかしら」
私とお父様の会話にライナーが絶句する。信じられない、といった目で私を見つめた。
「工房、を……? リディア、君が自ら城下へ行くのかい……?」
「ええ。もちろんですわ」
冷淡に肯定して、今度こそ踵を返す。
トン、と部屋の内から扉を叩くと、外で控えていたアレンがすぐさま扉を開いた。
ライナーを認めて息を呑むのがわかったが、私は素早くアレンに目配せする。
「アレン。ライナー叔父様がドレスをプレゼントしてくださったの。私の部屋まで運んでちょうだい」
「……かしこまりました」
硬い声で返事をして、一礼して中に足を踏み入れた。
箱を抱えるアレンを見て、ライナーが瞬きする。「見ない顔だな」と独りごちた。
「失礼だが、リディアの従者かい?」
愛想よく笑いかけたライナーに、アレンは一瞬動きを止める。
しかしすぐに、いつもの人を食った笑みを浮かべた。
「はい。お初にお目にかかります、ライナー殿下。クロノス男爵家が嫡男、アレンと申します」
「……クロノス男爵家? すまない、初めて聞くようだ」
お父様が噴き出しそうな顔をした。
クロノス家が魔法使いの家系だと知っているのは、私を除いては歴代の国王だけなのだ。
アレンも澄まし顔で頭を下げる。
「しがない男爵家に過ぎませんので。……では、これで失礼させていただきます」
「ええ。行きましょう、アレン」
アレンを従えて歩きかけ――……私はぱっとライナーを振り返る。
一直線にライナーを見つめれば、彼は驚いたように目をみはった。
「ライナー叔父様。先程のお話ですけれど」
「先程の?」
不思議そうに首を傾げる彼に、にっこりと頷きかける。
「城下にわたくしが自ら行くのか、というお話。当然のことですわ。城下の産業の助けになることも、国民の生活を知ることも――……全て、次期女王としての務めですから」
「……!」
そのままライナーの反応も確かめずに、アレンと共に部屋を出た。




