宿敵、現る!?②
「リディアや。後でわたしの部屋に来てくれるかね?」
不意に掛けられた言葉に、私はナイフとフォークを使う手を止める。
テーブルの向かいに座るお父様が、にこにこと機嫌良さそうに微笑んでいた。
鴨肉のローストを飲み込み、私はナプキンで上品に口をぬぐってから頷いた。
「わかりましたわ。……それはそうとお父様、お皿にトマトが残っていましてよ?」
「うぐっ……! ちゃ、ちゃんと残さず食べるとも」
野菜は完食するまで絶対に下げるな、と給仕には命じてある。
遠ざけていたサラダの皿を、お父様は悲しげな表情で引き寄せた。しかめっ面で口に運ぶのを見届けてから、私は静かにテーブルから離れる。
「リディア? デザートは?」
「甘い物ならどうせ、後ほどお父様の部屋でご用意いただけるのでしょう?……というわけで、今夜はお父様のデザートもナシで」
「ぐはっ!」
……やはり二重に食べようとしていたか。
日頃お父様の口にする菓子類は全て、砂糖も大きさもかなり控えめなもの。
せめて量だけでも食べようとするのはいじましいが、駄目なものは駄目。
カツン、とヒールの音も高らかに踵を返し、うやうやしく辞儀をする給仕に声を掛ける。
「ご馳走様。今日もなかなかのお味だったわ、とシェフに伝えておきなさいな。栄養バランスも申し分なくってよ、ホーッホホホホ!」
「わたし、わたしはもう少し、ギトギト脂っこくて濃厚な味付けの方が……」
「あらお父様。何かおっしゃいまして?」
「……何デモナイデス」
一睨みで黙らせて、扉の外で待っていたアレンを従えて歩き出した。お父様の部屋に呼ばれたことを伝えつつ、明日の予定について話し合う。
「といっても、しばらくこれと言って大きな行事はないのよね。誕生日パーティも無事に終わったし、孤児院のバザーはまだ先だし」
「ですね。まあこれまで通り勉学に励みつつ、空いた時間で呪い人形を作るぐらいでしょうか」
「呪いじゃなくて魔除け人形よ」
すかさず訂正して部屋に入った。
ベッドにどさりと腰を下ろす間に、アレンが手早く紅茶を淹れてくれる。湯気の立つそれを受け取って、じっと虚空を睨みつけた。
「お父様の体調は、相変わらず問題なし。これに関しては侍医も太鼓判を押しているわ」
「それは何より。いかにわたしが有能な魔法使いといえ、病気は治せませんからね」
「……そうだったわね」
私はため息交じりで頷く。
何でも有りに見えて、魔法にもできないことはあるらしい。
アレンが言うには、それは人や動物などの命ある存在に干渉すること。だから病気や怪我など、人を癒やすことは不可能なんだそうだ。
「まあいいわ。今のところ治癒の魔法なんて必要なさそうだし、無いものねだりしたってしょうがないもの」
さばさばと告げれば、アレンがおかしそうに頬をゆるめた。
長い脚を組んでソファに座り、からかうように私を見る。
「魔法に頼りきらないのは良い心掛けです。さすがは我が主」
「ホホホ、当然ね! だってわたくしは心根の強い悪逆王女ですもの!」
もはや何度目かわからない、本日の高笑いを華麗に済ませた。うん、今では流れるように高笑いできるようになってきたわ!
しばしアレンと談笑し、時間を潰してから腰を上げる。アレンも当然の顔をして付いてきた。
従者はお父様の部屋の中までは入れないけれど、扉の前で控えていてくれるのだ。
「――お父様? リディアです」
扉をノックすると、すぐに中から返事があった。
アレンに軽く頷きかけ、扉を開かせる。
「おお、リディア! 早速掛けなさい」
お父様がいそいそとソファにエスコートしてくれる。
差し伸べられた手を取りつつ、私は見慣れたお父様の自室を見回した。相変わらず国王の部屋にしては質素で、必要最低限の調度品しかない。
もの問いたげな視線を感じ取ったのか、お父様が苦笑する。
「お前のお母様は贅沢好きだったなぁ。気の向くままにドレスや宝石を新調して、精いっぱい己を飾り立ててわたしに披露する。わたしもそんな彼女を見るのが大好きだった……」
懐かしそうに目を細めた。
「お父様……」
幼い頃に亡くなった母のことを、私はほとんど覚えていない。
けれど城内にたくさん残された絵姿のお陰で、目を閉じればすぐに彼女の顔が浮かんでくる。薔薇色の頬をした美しい女性で、どの絵でも豪奢なドレスと大ぶりの宝石を身に着けていたっけ。
(……きっと)
お父様が未来の私を止めなかったのは、亡きお母様の面影を追ったせいもあるのかもしれない。
お洒落が好きだったお母様の望みを、娘の私に代わりに叶えさせるように。自分の心の隙間を埋めるように。
ちくりと痛んだ胸に気付かない振りをして、私は気取ってドレスの裾をつまむ。
「ふふっ。わたくしはお母様とは違って、豪華さだけではドレスの価値を決めませんの。ある意味、お母様よりわがままと言えるかもしれませんわね!」
「ほうほう」
「でも『お洒落が大好き』という点では、わたくしとお母様はそっくり同じ。ですからお父様、せいぜい国政に励んでくださいませ。わたくしがお洒落を楽しみ、国民もそうする。そんな余裕があることこそ、幸せな国家の証ですもの!」
ドレスの裾をふわりと揺らして一回転した。
お父様が手を叩いて喜んでくれる。
いたずらっぽく辞儀をすると、お父様が温顔をほころばせた。
「お前の言う通りだ、リディア。……それでわたしも、国のため頼りになる俊才を呼び戻すことにしたのだよ」
「……え?」
ぽかんと立ち尽くす私を置いて、お父様がパンパンと二度手を打つ。振り向いた先にあるのは、私が入ってきたのとは別の扉――……あれは、亡きお母様の自室に繋がる扉だ。
今は主のいない、空っぽの部屋の扉がゆっくりと開いた。
中から現れた長身の人物が、私に向かって洗練された仕草で礼を取る。
(う、そ……)
その瞬間、私は雷に打たれたような衝撃を受けた。
よろめきながら、食い入るように彼を見つめる。
ドッドッドッドッ、と心臓が早鐘を打つ。
後ずさろうとする私にお構いなしに、彼は颯爽と歩み寄ってきた。
「――やあ。久しいな、リディア」
記憶の中そのままの、耳に心地よい低音。
「こんなに素晴らしい淑女に成長したのだな。まだほんの幼子だと思っていたのに」
女性のように美しい顔。
「長年寂しい思いをさせてすまなかったね。けれど、これからはずっと一緒にいられる」
誰もが一瞬で虜になるであろう、華やかで人好きのする笑み。
中途半端に逃げようとした姿勢のまま、地面に足が縫い止められたように動かなくなる。
ただ心臓だけが激しく暴れ狂っていた。
(アレン……!)
目前に迫った男が、嬉しくてたまらないといった様子で腕を伸ばす。
「リディア。可愛くて完璧な僕のお姫様」
久方ぶりに会う叔父――ライナー・オーレインの長くて綺麗な指が、私の黄金の髪を絡め取った。




