円錐飾りの出来たわけ•後編
前後編同時投稿です。
後書きに挿絵を追加しました。苦手な方は画像オフでお願いします。
2人は礼をして、ソリスが出口に向かおうとした時、イゴルは静かだがよく通る声で呼びかけた。
「ミクログラン城世継ぎソリス殿、あなたは偉大なる魔女クレセンティア殿の伴侶にはふさわしくない」
会場の拍手と歓声ががぴたりと止んだ。他国のしきたりに慣れないだけでは済まされない発言だ。皆の視線を一身に浴びて、イゴルはクレセンティアの観覧席までやって来る。
「我が祝福の乙女クレセンティアよ、真心を賜りたく存じます」
異国の求婚なのだろうか、イゴルはクレセンティアの手を取って、鎧の胸に鈍く光る己の紋章に押し当てた。
「我が魂はあなたさまと共に」
2人の視線が絡み合う。城主席ではソリスの家族が青ざめている。
「イゴル殿、いくらなんでも」
ソリスはイゴルに駆け寄った。しかし、クレセンティアは無言で頷き、イゴルの胸の紋章が光る。誓約が完了したのだ。イゴルは軽々とクレセンティアを抱き上げると、魔法でどこかへ消えてしまった。
競技場の人々は、ただ呆然とするばかり。
「余興は終わりだ!子供達!公開指南を受けたい者は競技場へ降りていいぞ!」
城主の機転でその場は収まる。なんとなく納得がいかないながらも、人々は秋祭りの喧騒へと戻っていった。
「お兄様」
フィディが心配そうに声をかけてきた。クレセンティアの家族が急いで駆けつける。
「起きたことは仕方ない」
ソリスは明るい顔で言った。
「だけど、このままでは置かないよ」
クレセンティアの家族は一斉に跪き赦しを請い始めた。城主は眉間に皺を寄せ、厳しく告げる。
「お前達は謹慎だ。祭りが済むまで家から出るなよ」
娘の不始末を詫びながら、一家はとぼとぼ競技場を後にする。
「それで、ソリスはどうするつもりだ」
父は息子にも鋭く問う。
「はい、遍歴に出ましたのち、再試合を申し込みます」
「婚約者を取り戻すか」
「いいえ、わがランスブルーメン王国の名誉さえ取り戻せれば」
「それがよかろう」
それからの4日間は何事もなく、騎馬試合と秋祭りは終わった。ソリスは祭りの翌日から、騎士団長直々の基礎訓練を受けることにした。
子供の頃に武力の道より知の道を選んだソリスは、もう何年も軽い訓練以外してこなかった。それは、健康維持の体操程度のものだったので、急に大人向け訓練を受けるのは難しい。そこで、一から学び直す方法を選んだ。
「あのお優しいソリス様がねえ」
「お優しいからこそだよ」
ミクログラン城の人々は、明るい笑顔で静かに怒るソリスに驚いていた。外国の騎士に侮辱されたのは、自分ではなくこのランスブルーメン王国そのものだという気持ちで、彼は訓練に励んでいた。2ヶ月の後に遍歴修行に旅立つ心積もりで、騎士団長の指導を受ける。
1週間が経った頃、王城から詫び状とお詫びの品が届けられた。黒髪騎士イゴルは隣国王子の騎士であり、隣国王子はランスブルーメン王国のお姫様の婚約者である。穏便にことを済ませるために、ミクログラン城には泣き寝入りしてくれということなのだろう。
「国の名誉をかけられないし、わが城の名誉をかけることも反逆。それなら、私個人の名誉のために、必ずや再戦いたします」
きっぱりと宣言したソリスは、弛まぬ努力と強い意志で一通りの訓練を終わらせた。指導してくれた騎士団長も旅立ちを許し、ソリスは広い世界へと足を踏み出す。
「それでは、お兄様、道中ご無事で」
「けして無理せず、無事に帰ってこい」
「ちゃんと食べるのよ」
城の門で家族に見送られ、ソリスはひとまず森に出る。森の村に通りかかると、村人達が麻紐の飾りを手に手に持って待っていた。
「ソリス様、私たちの祝福をお待ちください」
「是非とも再戦を果たしてください」
「ソリス様、ご武運を」
「みんな、気が早いなあ。再戦は帰ってきてからだよ」
「それでも、遍歴に出るのなら」
皆の心配そうな顔を見れば、気持ちを断ることはできない。ソリスは沢山の麻紐飾りを受け取って、愛馬フロートと自分とのあちこちにに結びつけてから出発した。
カラフルな麻紐飾りを揺らして通るソリスとフロートは、やがて諸国の噂となった。
「聞いたかい?麻紐飾りの金色騎士様が、溺れた子供を助けたって」
「知ってるかい?麻紐飾りの騎士様が断崖まで薬草を取りに行ってくれたから、あの家のばあちゃんが元気になったって」
「きんいろ騎士の噂を知ってるかい?たくさんの麻紐飾りをつけてるんだ。一眼見たなら無病息災さ」
話はだんだん超現実的になっていったが、武勲の噂はひとつもなかった。
「ひどいなあ。泥棒を捕まえたり、暴れ猪を仕留めたり、こないだなんか山賊討伐に参加したのに」
たまたま道連れになった行商人から、幸運の金色騎士様という御伽噺になっていることを知らされて、ソリスはぼやく。
「武勲のほうは、まあどこにでもいる流れ剣士や旅の魔法使いと変わりませんからね」
「親切だって大したことないけど、なぜかな」
「金色の巻毛と沢山の麻紐飾りがおめでたい感じがしますからね」
ソリスはきちんと修行して、機会があれば旅先で魔法使いや旅の騎士に手ほどきを受けてきた。地道な努力で、恵まれないながらも多少の筋力と技術を得ている。だから、ラッキーマスコットのような存在にされてしまって、少々面白くないのであった。
「そろそろ戻るかなあ」
ランスブルーメン王国の姫君と隣国の王子様の結婚式が間近に迫るころ、ソリスは旅に出てから何度目かの秋の空を見上げる。涼しくなった風が、ソリスの金色の巻毛を持ち上げた。肩口に結びつけた赤や黄色の麻紐飾りは、衣摺れの音を立てて紅葉のように揺れている。
どこかから、栗が弾ける音がする。森の木々から落ちるどんぐりがパラパラと愉快な音を聞かせてくれる。旅の空にあれば、さまざまな食べ物を経験した。森にはなかったものも沢山食べた。
「騎馬試合の季節だなあ」
それでもソリスは、森の動物や木の実ばかりだった故郷の食事が懐かしかった。秋祭りの時だけ売られる薬草飴も恋しかった。
「帰るか、フロート」
ソリスが葦毛の愛馬の首を優しく叩く。フロートは同意するように背中の人を振り返る。
「帰ろう」
そうしてソリスはミクログラン城へと帰還した。帰路、再戦希望の手紙も出した。ミクログラン城主を通じて、今年の騎馬試合へと黒髪騎士を招待したのだ。黒髪騎士イゴルと月のごとき銀乙女クレセンティアは、王子と王女の結婚式が行われた後で自分達も結婚する予定だと発表していた。2組の国際結婚で隣国と友好関係が堅固になる。国を挙げてお祝いムードであった。
それゆえに、表向きはかつての遺恨は水に流して改めて友好試合を行おうということになっている。しかし、当時を知る人々は、これが名誉をかけた再戦だとわかっていた。
麻紐飾りを貰った森の村まで戻って来ると、人々はまた、新たな麻紐飾りを用意してくれていた。今度の飾りは、ひとまとめにして槍の穂先につけられる長さにしてあった。
「試合の槍に、是非飾ってください」
「必ず応援に行きます」
村人達の熱意に背中を押されて、ソリスは決意を新たにした。
「ありがとう。勝つつもりで挑みます」
受け取った飾りを大切にしまって、ソリスは村を後にした。
いよいよ当日。イゴルとクレセンティアは仲睦まじく寄り添ってやってきた。客席には村人達もいる。ソリスは彼らに貰った麻紐飾りを穂先につけて入場する。しきたりにのっとって一旦定位置で黙礼をしたあと、それぞれに「祝福」を受け取りに行く。
前回の繰り返しを見ているように、イゴルはクレセンティアに跪き白銀の「祝福」を受け取った。続いてソリスがフィディから黄金の「祝福」を受け取る。忌々しい再現ともとれるのだが、ひとつだけ確実に違う点があった。
それは、麻紐飾りの束だろうか?
確かにそれも前回にはなかった。だが、本当に変わっていたのは客席だった。
「ソリス様!」
「きんいろ騎士さまー!」
「みて!麻紐騎士さまだよ!」
ラッキーマスコットの御伽噺は、故郷の城にまで届いていたのだ。ソリスは苦笑いしながらも、旅の間に経験した様々な出来事を思い出す。
客席から視線を戻して黒髪騎士を見れば、冷たい翡翠の目が変わらず兜の中にある。
(あの時より強そうになっているけど。でも、なんだろうか。私を見下す気持ちが強くなっているようだ)
「名誉のために」
観客の応援に紛れ、ソリスは小さく声に出して呟く。
「はじめ!」
互いにあの時と同じ馬を駆る。あの日と同じようにソリスが馬から落とされる。しかしただでは落とされなかった。咄嗟に槍を手放し、イゴルの腕を掴んで共に転がる。
地面につくや、2人は一旦飛び離れて剣を抜く。
(なんだ?イゴルはこんなに読みやすい剣筋だったか?)
動物や盗賊集団を相手にしてきたうえに、様々な人助けで不規則な動きを強いられてきたソリス。山に、海に、崖に、雪の下にある穴に。狭いところ、脆いところ、虫の動き、蛇の動き。
ソリスはいつのまにかそうした動きに合わせることを学んでいた。
ソリスには才能がない。変則的な動きを自分のものにするまでにはなれなかった。けれども、相手の動きに合わせて対応する習慣は身に付いていたのだ。
「ちっ」
イゴルは舌打ちをして、一際強く打ち込んできた。腕が痺れる。力では負ける。その隙を見逃さず、イゴルはソリスの剣を巻き上げる。同時に鋼鉄の鎧を着た足で、ソリスの腹を力一杯蹴りつけた。
「うっ」
ソリスは咄嗟に風の魔法で後方に飛び、蹴りの衝撃を多少は殺す。着地は無様であるが、まだ立てる。ソリスの両目に魔力が宿る。イゴルの全身にも魔力が巡る。やめの合図は聞こえない。
ソリスは視界の端に、剣戟を交わすうちに蹴り飛ばされた試合用の槍を捉えた。麻紐飾りは半ば土に埋もれている。けれども土塊の隙間から、赤、黄、緑、青などの明るい色が見えていた。村人の声が蘇る。旅先で出会った人の顔が浮かぶ。
「麻紐飾りの幸運騎士」
荒唐無稽な噂話が、ソリスの気持ちに火をつける。ソリスは折れない。ソリスは、もう諦めない。目の前に膨らむイゴルの魔力は、とても太刀打ちできない強さだ。それでもソリスは、楽しく平和な祭りを台無しにして、国の名誉を踏みつけたイゴルに立ち向かう。ただ弱々しく負けたあの時とは違うのだ。
「生意気な」
覚えず漏れたイゴルの言葉を聞き咎め、立会人から警告が飛ぶ。試合中の暴言は禁止事項だ。1度目は見逃されるが、2度はない。
黒髪騎士は不愉快そうな様子を隠しもせず、その場で魔力の衝撃波を放つ。まるで動く価値もないかのように。
ソリスは耐えた。緩和の魔法で吹き飛ばされるのも切り刻まれるのも免れた。すかさずイゴルは打ち捨てていた剣を掴むと、丸腰のソリスに斬りかかる。これは反則ではない。ここからはなんでもありの最終戦だ。
ソリスは少ない魔力を使い果たして、やっと拾い上げた試合用の槍で応戦する。拾う拍子に砂煙を巻き上げたが、イゴルはものともせずに剣を振るう。麻紐飾りが切れて散らばる。秋の青空に色とりどりの飾りが映える。
ついにソリスの喉元に、イゴルの剣が突きつけられた。
「そこまで!」
競技場が揺れるほどのブーイング。低く唸り声を上げた勝者イゴルは、前回と同じようにクレセンティアを抱えて消えてしまった。
「ソリス!ソリス!ソリス!」
負けたのだ。
ソリスは確かに負けたのである。
けれどもミクログランの人々は、心の底からソリスを讃えた。
力では負かしたイゴルだが、ソリスの気高い心を負かすことは、ついに出来なかったのである。
◆◆◆
「子供達は布の端切れや木の皮を丸めて麻紐飾りを縛りつけ、ソリスの真似をして遊びました。ミクログラン城だけではなくて、ソリスに助けられた国中の人たちも、噂を聞いて真似しはじめました。今では騎馬試合はなくなりましたが、秋祭りの間には綺麗な厚紙を三角に丸めてリボンをつけた、大小様々な飾りが町中を彩ります。私たちの国の円錐飾りは、こうして出来たのでした」
まんまる眼鏡の栗毛先生は、絵本を閉じるとみんなを見回し、
「おしまい」
と言った。子供達は拍手して、今度は小さな円錐形を作り出す。大昔の「祝福」飾りはもう作られることがないが、細いリボンや紐をつけると、小さな円錐形を窓辺や壁に吊るしてゆく。
「さあ、おやつを食べたら解散しよう」
飾り終わると、5人の幼児はぎこちなく水の魔法で手を洗う。それから部屋の隅に用意してあったクッキーとミルクをみんなで真ん中のテーブルまで運ぶ。
「ねえ、ことしもまとあて、あるかな」
「あたし、歌くらべに出るんだ!」
「ほんとに?」
「ほんと!」
「すごいねえ」
「みんなでおうえんしましょう」
「そうね!」
「ありがとう」
「おわったら、くしやきかおう」
「うん!みんなでたべよ」
「せんせいは、なにたべる?」
「僕は魚の塩焼きが楽しみだなあ」
「えーっ、バターやきのほうがおいしいよ」
「あたしは、肉のほうがすき」
「チョコレートがいい」
「わたし、むらさきのリボンがすきー」
子供達の楽しげな声をにこにこと聞きながら、栗毛先生は故郷の森にある打ち捨てられた古城を思い出していた。ソリスはそのあとどんな人生を送ったのか、伝説は何も残っていない。
各地に散在した城や砦は今では近代的な建物になっている。ランスブルーメン城だけは人の暮らす城として残っているが、内装はすっかり近代的になっていた。
かつての面影はどこにもないものの、ミクログランの人々は今でも森の中で穏やかに暮らしている。城はもう廃墟だが、ミクログラン城主の一族は現在山に家を建てて住んでいる。彼らは、家族仲良しなことでも知られている。遠いご先祖さまのソリスもきっと、素敵な伴侶と巡り逢い幸せに過ごしたに違いない。
「来年は森に帰るかなあ」
栗毛先生のまんまる眼鏡の奥で、秋空のように澄み渡る青い目が、明るい笑顔に華を添えて煌めいていた。