案内記45
「もう、そろそろ、かな?」
私は掛け時計を見る。もうすぐ14時だ。
「そうですね」
濃い顔イケメンが頷いて立ち上がると、他の3人も立ち上がる。そして、私がいつも座っている席の向かいに集まった。
「れんげ、世話になったの」
暴走系美女の言葉に、ふいに鼻の奥がツンとする。
「本当に」
にじんできた涙を無視して、私は肩をすくめてみせた。
「れんげ様、この御恩は忘れませんわ! 次にお会いした時には、カーシー様の妻として会いたいですわね」
「……そう……ですね」
全面的には賛成しかねるけど、また会いたいか、と言われたら……会ってみたい気はする。
「れんげ殿! 我々は成し遂げてみせます!」
濃い顔イケメンの力強い言葉に、私も大きく頷く。
「遠い空から、応援してる」
それは、本当の気持ちだ。
「れんげ……」
何か言いたげに私を見る根暗美男子に、私は先制攻撃を仕掛ける。
「異世界には行きません!」
「……どうしても?」
「どうしても!」
即答すると、根暗美男子が眉を下げた。
「じゃあ、異世界と行き来ができるようになったら、私と結婚してくれますか?」
「はい?」
私は根暗美男子の言ったことが理解できなくて、首を傾げた。
なのに、根暗美男子の表情が、パッと明るくなる。
「ハイ、ってことは、いいんですね!」
「データス様! よかったですわ! 気持ちが通じましたわね!」
旧たおやかさんの声が跳ねる。……気持ち?
「データス殿、良かった……。どうなるかと思ったけど……良かった……」
濃い顔イケメンが、涙ぐんでいる。……え?
えーっとね、良くないし、気持ちは通じてないし、どうにもなってない!
「どういうことじゃ?」
首を傾げる暴走系美女よ、その通りだよ!
「あら、イザドラ様は気付いていなくって? あ……」
旧たおやかさんが、目を見開く。
現れた時とは逆に、4人の姿が徐々に淡くなっていく。
呆気に取られていた私は、我に返ると根暗美男子に口を開く。
「私返事してないから!」
否定の言葉を告げたのに、根暗美男子はニヤリと笑う。
「いや、とは言わないんですね」
「そういうことじゃなくて!」
だけど、私の最後の言葉は、根暗美男子に伝わったかどうか。
4人の姿は、すっかり消えてしまった。
そこは、昨日私が帰ってきたときのままの、誰もいない場所に戻ってしまった。
私は瞬きを何度かして、そして、小さく息を吐いた。
「夢、だった?」
でも、ちゃぶ台の上には、皿代わりの銀紙が4枚残っている。
目を輝かせる暴走系美女の表情も、予想外にチマチマ食べる濃い顔イケメンの動作も、旧たおやかさんが最後まで皮とクリームを別々に食べきったのも、根暗美男子の口にシュークリームを詰め込んだ感触も、全部覚えている。
夢、じゃなかったのかな?
「あ」
ちゃぶ台の向こう側に、キラリと光るものがあるのに気づいて、私は立ち上がる。
500円玉くらいの金色に光る硬貨が、畳の上に1枚落ちていた。
私はそれを拾いあげる。
1円玉くらいの軽さのそれは、価値がそんなにあるようには、やっぱり思えなかった。
でも、あの4人がここにいた証拠であることは、間違いないだろう。
「ヤグラシカ、か」
口にした途端、私の涙腺は崩壊した。
「あんたたち、やぐらしか!」
そう言って、どちらも私を引き取りたくないと罵りあう両親のせいで行き場をなくした私を救ってくれたのは、ばあちゃんだった。
「あんたたちには、れんげをまかせられんけん!」
両親のせいで大人を信頼できなくなっていた私は、その言葉で、信頼していい大人がいるんだって思えた。
高校に進学するタイミングで、じいちゃんとばあちゃんと長崎に暮らすようになって、大学に進学して、大学の1回生の時にじいちゃんが亡くなって、そして3回生になるまでの間、ばあちゃんと二人でこの家に暮らしていた。
私とあの4人に共通点があるとするならば、きっともう一つあったんだろう。
「ヤグラシカ」
あの4人にとっては、お金として価値があるもの。私にとっては、何よりも私を救ってくれた価値のある言葉。
長崎では”めんどくさい”という意味で使われるその言葉が、一人の人生を救うとか、誰も思わないだろう。
4人が現れたのは、いつもばあちゃんが座っていた場所だった。
だから、あの4人がばあちゃんの49日に現れたのは、ばあちゃんからのプレゼントだったのかもしれない、って思いたくもなる。
ばあちゃんの葬式の後に、大家さんからボロボロになってしまった家の取り壊しを決めたと立ち退きを求められた。それは、仕方のないことで、私だって理解はしている。
形ばかり帰ってきていた母親は、ばあちゃんの通帳を見て父親があっという間に養育費の支払いを止めてしまっていたことを告げた。挙句に、ばあちゃんの遺産手続きだけ済ませると、さっさと東京に戻ってしまって、その後音信不通になってしまった。そのせいで、私は引っ越し先の保証人を父親に頼むしかなくなった。本当に最悪だ。
そして、5年ぶりに電話口で話した父親は、保証人になるのは構わないが、連絡するのはこれを最後にしてくれ、と冷たく告げた。後ろで聞こえる子供の声に優しそうに対応している父親と、同一人物とは思えなかったし、支払われなくなった養育費のこともあったし、それが浮気相手と作り上げた家庭の方が大切だと言われているようで、また自分の価値がないんだって言われているような気がした。
それでも、私が持ちこたえられたのは、5年間のじいちゃんとばあちゃんと暮らした記憶と、ばあちゃんたちが残してくれたもののおかげだった。
それは、父親が払い込んでくれているはずの養育費として、毎月じいちゃんとばあちゃんが、そのまま私に渡してくれていたお金だ。
その金額は月々3万円で、私はそんなことしなくていいって言ったけど、二人に何かがあった時に困るようになるから、って言われて、渋々受け取っていた。
5年間で180万になるそのお金は、私の通帳の中に丸々残っていて、引っ越し代や新しい住まいの敷金礼金になった。そして、これからの学費と家賃として使うことになるだろう。
看護学部にいると、実習がずっと続く期間がある。それに、4年になれば、国家試験が待ち受けている。そのせいで、バイトもできなくなるから、そのお金があることで、本当に助かるのは間違いない。
それ以上に、払い込まれていなかった養育費を、さもあるようにして私にくれていたじいちゃんとばあちゃんの気遣いが、本当に嬉しかった。
だから、ばあちゃんの49日に4人が現れたのは、納骨ってばあちゃんとの最後の別れを、寂しがるだけじゃなくしてくれるためだったのかな、って思いたくもなる。
私に前を向いていくようにって、ばあちゃんが喝を入れてくれるために、4人と会わせてくれたような気がする。