絵描きの少女と、わたし。
「別れよう」
駅の一角。
あたしが切り出したのが急過ぎて、ハルトは困惑した。
「はっ?意味わかんねぇよ!俺、なんかしたか?それとも、学校で何かあったのか?」
通勤ラッシュ、誰もあたしたちに興味はない。遅刻しないように、各々の居場所へと向かう。その様子がひどく機械じみて見えた。あたしは焼きそばパンをかじり答える。
「何にもない」
「じゃあ、何でだよ」
「なんか、退屈じゃない?あたしといると……」
「そんなことねぇよ。今だって、こうやってアカリと一緒に学校に行こうと……」
「でもさ、ハルトはスマホばかりいじってて、あたしとは話しないじゃん」
「それで怒ってんの?そんなのずっと話する方がおかしいただろ?俺はこうやって、一緒にいられるだけで幸せなんだ。気に食わないなら、話するよ。たぶん、俺が悪いから」
小学生が落とした財布を、忙しい大人たちが蹴り飛ばす。券売機の列に割り込むおじさん。黒いスーツたちが目の前を、過ぎ去っていく。
「ねぇ……じゃあ、学校に行くのって本当にいいことなの?」
「そりゃ、いいことだ。世の中には学校すら行けないやつらがいるから。それに、学歴は就職に役立つし、わかりやすい身分証みたいなもんだよ」
「ふーん……」
「アカリ、ちょっと休んだ方がいいよ。顔色悪いぞ?」
その日のうちに、あたしたちは結局別れた。
あたしが一方的に別れを切り出し、ハルトはまた怒ったけど、とにかく謝って、それから無視した。
自分でも、よくわからない。でも、清々した。一人の方が何かと楽だ。
「よっ!アカリ!……元気ないじゃん。授業中もボーッとしてるしさ。どうしたの?」
「んー?そうかな?気のせいじゃない?」
「大丈夫ならいいけどさ。あ、今週の日曜日なんだけどさ。みんなでカラオケ行かない?カラオケ行った後ね、ファミレスで夏の予定立てよー。」
夏休みかぁ。何も考えてなかったなぁ。正直、めんどくさい。
「やっぱり具合い悪いから、保健室行くね。」
「大丈夫?付き添おうか?」
「ありがとう。自分で行ける。」
戸を開けると、担任の先生に出会した。
「お、どこ行くんだ?授業始まるぞ?」
「先生、体調が悪いので早退してもいいですか。」
「またか?最近多いな。勝手に帰らず、保健室行ってからにしてくれよ。」
「はい。」
保健室を素通りする。入りたくもない。
人が詰め込まれた、こんな建物から脱出したかった。
あたしはそのまま、靴を履いて学校を抜け出した。
天気悪いなぁ。
校門を出ると、パーカーを取り出して、羽織った。これで、学生だと思われる確率はぐんと減る。元々、あたしは恵まれた体格をしていた。小学生の頃から、父兄に間違われるほどだ。
お気に入りの曲を詰め込んだウォークマン。比較的、明るい曲を流しながら、風を浴びる。
しがらみのない、自由を得た気がした。ふと、気付くと、見知らぬ土地に来ていた。
寂れた公園だ。人気があまりない。遠くで老人が犬の散歩しているくらい。
ちょうどいい。
錆びた鉄棒、枯れ葉のたまった砂場、ペンキの剥げたベンチ。子ども、来ないのかな?
うわぁ、けっこう高いなぁ……。
ビルの4階ほどの高さはあるだろうか?そこからの風景を眺めながら、鉄柵に寄りかかった。
曇り空も相まってか、この町は、汚く醜く思える。醜い。
「こんにちは」
声の方へ目をやる。そこには、女の子がいた。
手にはスケッチブックと絵の具。ここで絵を描くなんて、ちょっとセンスないんじゃないの。
「ここからの景色描いているんですか?」
普段はこんなことを言わない。でも、気になってしまった。描いているのがつまらない景色だから。女の子だし、同年代に見えたから声がかけやすかったのかもしれない。
「そうだよ。」
一度顔を向けると、それからは顔を向けずに淡々と話した。
「ここからの景色は、その、綺麗だからね。」
そう言って、描き進めた。
「綺麗?ちょっと汚くない?」
「それが、いい!」
彼女は微笑んだ。
「綺麗すぎるのは、ダメなんだよ。」
そう続けた。わからなかった。
「なんで?」
「う~ん、それは人よるけど、わたしは綺麗すぎると、生きていけないから、と思うから。」
「綺麗な色しか絵にならないのは、可哀想だよ。汚い色に支えられて綺麗な色が鮮やかに見えるし。」
「人間も同じだよ。」
「あたしは色に表すとはグレーかな。心があの雲みたいにどんよりしてるし、こんな風にぐれてるし。」
「だじゃれ?」
「だじゃれではないつもりだけど。」
あたしはしばらくその様子をぼんやりと眺めた。絵は嫌いじゃない。人並みに興味があったし、彼女の描く絵はそんじょそこらの学生に描けるようなものじゃない。
惹き付ける魅力があった。それは彼女に触れて、わかったものかもしれない。普通に展示してあっても、この絵をじっと見つめていないと思う。
「もう帰るよ。」
「そう?じゃ、バイバイ。えーと……そういや、名前……まだ、だっけ?わたしはサヤカ。」
「あたしはアカリ。じゃ、サヤカちゃん、さよなら!」
「またね。」
彼女はニッコリ微笑んだ。
この日を境に、あたしたちはときどき会うようになった。と言っても、あたしが勝手にやって来るだけだ。彼女はそのことをなにも言わない。
絵を描き、それを眺める。そんなシンプルな関係。
ある日のことだ。彼女の母親に出会った。
「こんにちは。」
あたしたちに遠くから声をかけてきた母親は落ち着いた雰囲気を醸し出していた。彼女はまっすぐ、あたしを見つめた。
「こんにちは。」
あたしはぺこぺこと頭を下げた。
「お母さん。わたしの、ね」
彼女はそう言った。
「そうなんだ。けっこうそっくりだね。鼻とか目とか。」
「そうかな?」
「仲良くしてくれてありがとう。この子、絵が好きな子なのよ。さぁ、帰ろうか。」
「うん。そうだね。」
「またね。」
手を繋いで帰っていった。
その姿はなんだか、母親離れできていないように思えたけど、羨ましかった。あたしはいつから、親の優しさを忘れていたのだろうか?
「あちー……」
気温は30度を軽くこえる。
茹だるような熱さと、生温い風が容赦なくあたしたち人間を痛めつける。
下敷きで扇いでも、涼しいのは一時。逆に疲れるし、扇ぐ意味あるか?と思うくらい。
休み時間もそんなだから、あまり動きたくなかった。
そんなあたしの視界に、長い髪の毛がかかった。
「アカリ。サボってばっかじゃ、授業付いていけなくなるよ?」
余計なお世話が始める予感がした。
「サボってるワケじゃないよ。ただ……。」
「ただ?」
「具合いが悪いの。」
「そう。あ、夏の予定なんだけどね。遊園地とプールに決まったから。とりあえず、水着買いに行こうよ~!」
「水着かぁ。」
水着を買うの、めんどくさいし、肌が焼けるのも嫌だ。プールは好きだけど……。気が乗らない。
ため息が出るということは、憂鬱な証拠なのだろう。
あたしは顔を洗うと、ハンカチで拭った。教室のドアを開けようとしたとき、聞こえた。
「マジで?」
思わず、足を止めた。
「結局、アカリは来るの?」
「うーん、わかんない。水着買いに行こうって誘ったけど、イマイチな返事しかしない。」
「……もうさ、わたしたちだけで行こうよ。なんか、最近あの子、暗いじゃん。ノリも悪いし、話しにくいし。」
「そうそう、流行りにも疎いしさぁ……。」
「バカ、声がでかいよ。そろそろ、戻ってくるだろうし、また後でね。」
あたしはそのまま、トイレで授業が始まるのを待った。
あたしは悔しさも悲しみも感じなかった。
「ふふふ。」
ただ、自然と笑ってしまった。情けない自分に、気を使わせている自分に。
はじめから、仲良くしようと懸命になるんじゃなかった。あたしには仲良しごっこはやっぱり難しい。
確かに友達付き合いは大事だと思う。でも、あたしには耐えられない。上辺ばかりの友情に、何があるんだろうか?
紙切れのようにペラペラだ。使い終わったらポイのトイレットペーパーだ。きっと、卒業したら、話すことなんてなくなるんだろう。一時だけの関係。きっともう会わない。
トイレットペーパーのように、一期一会の関係。すでに水に流してしまいたいほど。笑える。
教室に入るとすでに授業が始まっていた。
「体調不良か?」
「はい」
「そうか」
教科書を開きながら、先生は、手で行け行け、とジェスチャーした。
注目を浴びながら、カバンと一緒に教室を出た。
情けないあたしは、勝手に早退を決め込んだ。行く宛もなく、ぶらぶらとさまよい、公園に着いた。行く宛もなく、のつもりだったんだけどなぁ。
天気は悪い。曇り空にかすかだけど、日が射す程度。
確信はなかった。あの子が絵を描いているのか、正直よくわからなかった。
公園を覗いた。お、いた。あいかわらず、このつまんない景色を描いている。
嬉しくなって、自販機でジュースを買った。たしか、サヤカはコーラが好きだった。
こっそり近づいて、背後から声をかけた。
「やってるね」
「ビックリした!もうちょっと、分かりやすく来てよ~」
「ごめんごめん。あれ?あたしの知らぬ間に、もう完成しそうじゃん。」
「まだだよ。まだ、これから色を、重ねていくんだ。」
「へぇー。このままでもいいのに。」
「このままでもいいけど、ちゃんと色をつけてあげなくちゃ、可哀想、だよ。」
「まぁ、そうかな……。」
「そうだよ。」
あたしたちの関係は知り合いから、上がりそうもない。ただ、ショーを開催するピエロとそれをおかしそうに眺める観客に過ぎない。
それにしても、綺麗で繊細な絵だ。吸い込まれて、絵の住民になっちゃいそうなくらいに。
「顔近づけ過ぎ。ちょっと描きにくいよ。」
「ごめんごめん。ところで学校は行ってるの?」
「行ってるよ。その……普通と違う、学校だから。」
「そうなんだ。」
「あなたはずっと、サボり?」
「あはは。そんな感じ。」
「聞くのちょっと、怖かった。聞いちゃいけないかな、と思ってた。」
「友達だよ?だから、いいんだよ。ずけずけ聞いちゃっていいよ。」
鼻先を何かかすめていった。雨だ。
「あ。」
「雨降ってきたね。」
「今日は終わるよ。やっぱり雨だと、空の色が色がよくないから。濡れちゃうしね。」
「ふーん。残念。」
「帰らないの?」
「少し時間があるから、ここの屋根の下のベンチで、お弁当、食べる。」
サヤカは膝にランチョンマットを広げた。そして、サンリオキャラの一段弁当を開けた。鮮やかな彩りにあたしは驚嘆した。
パカッ。
「いただきます。」
むしゃむしゃと食べ始めた。愛されるわけだ。彼女は色に例えるとたぶん、水色だ。綺麗で清らか。
「食べる?」
サヤカが首をかしげた。
「いや、いいよ。それよりもあたしはあたしでご飯はあるから。」
ガサガサとビニール袋から、包装された惣菜パンを取り出す。
「あたしはコンビニ飯ってヤツだね」
「いつも、そうなの?」
「メロンパンとコーヒー牛乳があれば無敵だからね。これに勝るコンビはそうそう見つからない」
「そっか。無敵かぁ。あはは、いいなぁ……」
「食べる?」
「いいの?」
「うん。」
「無敵になれるなら、食べたいけど。お母さん、文句言うだろうなぁ」
「どうして?」
「コンビニのご飯は体に悪い、ってさ。体によくないものが多いんだって」
「食品添加物とか……のこと?」
「そうだね。知ってるんだ!」
「あたし、ずっと食べてるよ~。コンビニのごはん。飽きちゃうほどね……」
「毎日?」
「うん、毎日。お母さん、忙しいからね」
「じゃあ、交換しよう?ひと口、ちょうだい。その代わりに、このたまご焼き、あげる」
「これ、甘い?」
「しょっぱいの」
「そうなの?まぁ、交渉成立ってことで」
ちょっぴり交換した。
「美味しいね~!」
「そうでしょ?あたしの中で、黄金コンビってワケ」
「わたしたち、みたいに?」
「え?」
にこにこ笑っている。
「そうだね」
あたしは俯いて答えた。ちょっと照れ臭かった。
「たまご焼き、最高においしいよ。」
「お母さん、料理上手、だからね。」
羨ましいなぁ……。
「じゃあ、また明日。」
「明日は来ないかもしれない。」
「どうして?」
「雨の日が続くらしいから。」
「そっか。」
「これあげる。」
「なにこれ?」
「わたしがいないところで、開いてね。」
ニッコリと笑う。その顔に触れたくなった。
水玉模様の傘を差して、水溜まりの上を跳ねるように歩いていく彼女を見送る。あたしは思った。
「……残念だなぁ。」
いつのまにか、あたしはこの空間を好きになっていた。寂れた公園の寂れた休憩所のボロいベンチ、ペンキの剥がれた遊具。
ふと、手に持った紙が気になった。
開いた。
「すげー」
そこには、あたしがいた。
あたしの笑顔はこんなのか?
そっくりに描かれている。似顔絵師が描くみたいに、デフォルメされているけど、確かにあたしだってわかる。猫みたいに眠そうで、鋭い目付きが特にそっくり。
いつ描いたのだろう?あたしが帰った後、家で描いたのかな?
それにしても、あたしはこんな風に笑っていたのだろうか?
あたしのために。
邪念がない。あまりにも、ピュアだ。あたしはあたしを取り巻く環境の悪さを知っている。
人間の醜さばかりを日々知っていくみたいだ。
毎日、電車に揺られるなかで、あたしは自分が死んでいくような気がした。
体臭、香水、時折香るゴムの焼ける臭い、ネガティブが蔓延しているようなあの空間であたしは自分が死んでいくように感じる。
実際そうだ。死んでいる。
優しさや純粋な気持ちは電車の中で落としたのか?
高校生になって、年を取ってしまって、忘れてしまったのか?
もしかして、まだ胸の奥、頭の片隅で埃を被っているのか?
あの頃のように、何か楽しいことがあっても、心から無邪気にはしゃげない。
あたしはクリアファイルに挟むと、それをしばらくじっと眺めた。
「友達かぁ……なんだろうな友達ってさ」
しばらく、雨が続いて、困った。暇だった。会えないのが寂しかった。
晴れた日がようやく来ると、ワクワクした。そして、久しぶりに公園にやって来た。
「今日はいるかな?」
「あ、来た来た。」
「どうも。」
「まさか、来るなんてねぇ。」
「あの子、友達がいなくてね。いつも、小さい子に絵を描いてあげてばかりだから。心配なんですよ。」
「でも、よかった。あなたみたいな素敵な女の子がお友だちになってくれているなら、本当に。」
「素敵だなんていわれたことないなぁ。」
「何かあったんですか?」
「あの子、すぐに体調が悪くなるから、止めたんだけどね。行くんだって言うこと聞かなくてね。仕方なくお弁当持たせて、ちょっとだけ行かせてあげたのよ。」
「案の定、ずぶ濡れになって帰ってきて、熱が出て寝込んじゃったの。それでも、行くっていうから。」
「すいません……。あたしが変に期待するから。」
「そんなことないわ。嬉しいんです。」
「彼女、ここに来たんですね。」
「おバカな子……。同級生に比べてちょっと頭がね、悪いから……。何か迷惑かけてないかしら?それが心配なの。」
「とんでもないです。そんなことあったなんて知らずに、いつも、きっと、あたしばかり楽しんでいました。」
「これ、描いてくれたんです。」
「そうなの……。ふふ、目とか、けっこう似てるわね。」
「これ見ると元気もらえます。似顔絵かいてもらったのなんて、いつ以来だろう……。」
「大事にしてくれてありがとね。あの子喜ぶわ。お家でもあなたの話ばかりするのよ。楽しそうにね。」
「じゃあ、ね。ありがとうね。」
「ありがとうございました。」
自分の部屋に似顔絵を飾った。これはいいものだ。
久しぶりにプレゼントをもらった気がする。それも心のこもったプレゼント。
「アカリ!」
母の声に、ふと我にかえる。
「先生から電話かかってきてたよ。早退してるんだって?」
「いいじゃん。別に。」
あたしはこのときが来るのを知っていた。覚悟していた。口論になると。
「良いワケないでしょ?あなたは自分のことばっかり!成績も伸び悩むどころか、下から数えた方が早いなんて、みっともない。」
「こういうときだけ、親みたいに振る舞わないでよ!」
「お母さんだって!そうでしょ!自分のことばっかり!仕事仕事って、そのせいで、あたしまで苦労してるんだから!」
「誰のお陰で食べてられると思ってるの!」
「そんなの……ずるいよ。大人はそうやって子どもを言うこときかせるんだ」
涙がたまるのがわかった。あたしは弱い人間だ。でも、弱い人間をいたぶる大人はもっと弱いと思う。
「もう勝手にしなさい。今日はもう、何も作らないから」
「じゃあ、もういいよ。あたしは出ていく。」
「どこ行くの!」
「こんな家なくなればいいんだ!」
ありったけを叫んでやった。
財布だけ持った。スマホは置いてきた。走って、走って、走った。
電車に乗って、あぁ、なんで、あの子に会いたいんだろう?
「今日は来ないってわかってる。」
わかってるけど、行かなきゃダメだ。あたしはいつのまにか、依存してしまっているようだ。
あそこはとても綺麗な空間だった。とても、綺麗で、とても、美しくて、とても、恋しくて、とても、素敵な空間だった。
もちろん、いない。いつもより寂しい景色に思えた。
「当たり前だよね。」
ぼろぽろと涙がこぼれた。
「大丈夫?どこか痛いの?」
「え?」
困ったような笑顔。手にはスケッチブックを持って立っていた。
まだ、具合が悪いのだろう。少し顔が赤い。
「サヤカちゃん……」
あたしはすがってしまった。すがりたかった。彼女に甘えてしまいたかった。彼女は否定しないと踏んだ、ひどい行動だ。
でも、今だけは。
「何があったの?」
サヤカは受け入れてくれた。
ベンチで語った。今までのこと。
「そうなんだ……。」
「わたしは出来損ない、って呼ばれていたんだ。少し障害があるから。」
彼女は笑った。
「きっと、わたしはおかしいの。ちょっと頭が悪いみたい。だから、うまく心の整理ができないの。ちょっとしたことでビックリする。あなたが泣いていることにもビックリするよ。言葉遣いも変でしょ?うまく、出せないの。説明できないの。」
「わたしがこんなのだから、お父さん困って、出ていっちゃったんだ。お父さんとお母さん、別れちゃったの。」
「そうなんだ。」
「このまま、一緒にいたい。」
神様、どうか、願ってもかないっこありませんが、聞いてください。
どうして、わたしたちは生まれてきたのですか?
どうして、わたしたちは苦しまなければならないのですか?
どうして、わたしたちは互いに憎しみ合うのですか?
「たくさん、困ることあるかもしれないけど、わたしたちはきっと大丈夫だよ。」
精一杯、笑った。
あまりにも優しいその言葉にまた泣きそうになる。優しい言葉が痛い。
ぎこちなく背中をさすられ、堪えられなくなる。
あたしはなんて、愚かなのだろう。この空間を支えていたのはきっとあたしたち、二人だ。あたしがこんなになっていたら、今がない。
二人で支えるからこそ、そこに安らぎが生まれるというのに。
ここは、心の拠り所だ。あたしの大切な場所だ。世界が消滅しても、ここだけは残ってほしい。この空間を切り取ってほしい。そのまま、時間の彼方へ、連れていってほしい。
「もっといい世の中になるかな?」
「えっ?」
「たくさん問題あるでしょ?わたしたちには、わからないけど。たくさん問題がある。わたしは、うまく話すことができないけど。」
サヤカがあたしの手を握る。
「わたしたち、二人だけでも。こんないろいろ問題を抱えているでしょ?」
「せめて、苦しみをもう半分くらいにしてほしいなぁ。そうしたら、わたし、少しはがんばれるかもしれない。その分だけ、自由になれると思うから。」
この町がなんだか、汚く見えるワケがわかった気がする。彼女が綺麗過ぎるから。
この町を彼女のように綺麗だと思いたい。そうなるようにどんな風にがんばればいいのだろう。
そうなったとして、何か報われるのか?がんばったぶんだけの見返りはあるのだろうか?
あたしは何が欲しいの?愛情がほしいの?友達がほしいの?安心がほしいの?
そもそも、こんな欲望を抑えなきゃならないの?そのためにひたむきにがんばらなきゃならないの?
わたしはわからない。
きっと、みんなわからないだろう。わからないなりにわかった振りをするんだ。
「もういいよ。がんばりすぎないでいこう?」
「いい子いい子、がんばったね。辛かったね。泣いてもいいんだよ。誰も見てないから。」
ボロボロと崩れた。プライド?常識?心の壁?
もうどうだっていいや。
あたしは彼女の胸の中で泣いた。
モヤモヤ、晴れた。清々しい涼風が、心を洗ったみたいだ。
あたしはここのために生きてる気がする。
ぎゅっと手を握った。
「あたしたちは親友だよ。」
「うん!そうだよ!わたし、きっと、そうなれる、って思ってたんだ!」
サヤカがはしゃいだ。
なぜだか、心が落ち着いた。理不尽な世の中だけど、この素直な気持ちはなんだろう?彼女がくれたものなのだろうか?
あたしはここを守りたいと思った。