理不尽と達成感
「ここでは基本、隊服などの支給品は洗濯当番が、それ以外の私服や下着などは自分で洗うの。
洗い場は2ヶ所あって、ここは支給品やシーツなど大物を洗う場所よ」
山と積まれたシーツにげんなりしかけ、今日からこれが仕事なのだとアリシアは気合を入れ直した。
「栗鼠族のメイアよ。
よろしくね、新入りさん」
「アリシアです。
よろしくお願いします、メイアさん」
おそらく自分よりいくつか年上だろうと思われる、栗色の髪と同色の目を輝かせた小柄な女性に頭を下げる際、アリシアは彼女の頭部に目を止めた。
「あぁ、これ…」
アリシアの視線に目ざとく気づいたメイアは、苦笑いを浮かべる。
「これでもちょっと前までは斥候として前線に出ていたんだ。
これはその時に、名誉の負傷って奴さ」
歪にちぎれた右耳と女性にしては短すぎる髪に触れ、メイアは当時を思い出したのか少しだけ遠い目をした。
「ごめんなさい…今は、痛みは?」
「レプスが手当てしてくれたから今は大丈夫。
アンタのおばさんは大した医官だよ」
ニッと笑うとメイアは徐に腕まくりをし
「さ、これを片付けてしまおう」
と洗濯物の仕分けを始めた。
目立つ汚れは手で揉み洗いをし、大物はたらいに入れて踏み洗いをする。
誰かに教わった訳ではないが、黙々と片付けていくアリシアの手際の良さに、遠くから伺っていたレプスは胸を撫で下ろした。
——今日のように日差しのある日なら、洗濯物もよく乾くだろう。
それに気心の知れたメイアなら、アリシアの面倒を見てくれる筈。
そう思いながら踵を返したレプスの耳に
「何をやっているんだ⁉︎」
シルヴァンのどこか焦ったような、それでいて怒りの滲んだ低い声が届いた。
振り向いた先には…。
丈の長いスカートが濡れるのを避けるため、スカートをたくし上げ洗濯物を踏みつけたままきょとんとするアリシアと、ピリピリした様子で彼女を睨みつけるシルヴァンがいた。
慌てて駆け寄ると同時に、離れた場所で洗濯物を干していたメイアも戻ってくる。
「何をやっているんだと聞いている!」
抑えた怒声にアリシアはビクリと身体を震わせながらも
「洗濯をしています」
と答えた。
アリシアも、レプスもメイアも、シルヴァンが何故怒っているのか見当がつかず、互いに顔を見合わせた。
「洗濯は見ればわかる!
それよりもみだりに足を晒すな、みっともない」
——足…って。
ふくらはぎが見えるくらいで、太ももまで露わにしていた訳じゃなし。
それに、こうしなければお仕着せが濡れて、かえって洗濯物が増えるだけなのに。
そう思いながらも、アリシアはシルヴァンの剣幕に押され黙り込んだ。
「配慮が足りず申し訳ございません」
その場を収めるためにメイアが頭を下げたが、シルヴァンは不機嫌そうに鼻にシワをよせたままだ。
頭ごなしに怒鳴るなんて…とレプスは呆れたが、アリシアはメイアに頭を下げさせてしまった事に青ざめた。
——ついスカートをたくし上げてしまったのが、はしたなかったのかしら。
ここでは、女性が足を出す事はみっともない事なのかもしれない。
「申し訳ございません、以後気をつけます」
自分が何かしでかせば、レプスとグリスに迷惑がかかる。
その思いで頭を下げたアリシアに、シルヴァンは
「ここは手が足りている。食堂へ行くように」
と告げ、そのまま立ち去った。
「なんなの?あれ」
呆れ顔のメイアに、アリシアはもう1度頭を下げる。
それに対してメイアは
「アンタは何も悪い事はしちゃいないよ。
確かに若い娘が足を晒すなって、あの方の言い分も分からなくはない。
けれど、ああでもしなきゃお仕着せの裾が濡れてしまうし、私だってそうするさ。
もっとも、そう若くはないけどね。
まぁ、今回はたまたま虫の居処が悪かったんだろ、気にしない気にしない」
と笑い飛ばした。
けれどもシルヴァンの剣幕と、何よりもいきなり怒鳴りつけられた事で、アリシアはすっかり落ち込んでしまった。
——ダメだなぁ。
こんな事でいちいち落ち込んでちゃ、レプスさんにもメイアさんにも心配かけちゃう。
何よりも…。
シルヴァンに、何も知らない愚かな娘だと呆れられてしまったのではないか、としょんぼりするアリシアの様子にレプスとメイアは顔を見合わせた。
メイアがさり気なく目配せをし、レプスが小さく頷き返す。
「さぁさ、アリシア。
こっちは私がやっておくからズボンを干してちょうだい。
あの木からこっちにロープをかけてね。
結び方はわかる?
あぁそう、それでいいよ。
それが終わったら、次はリネンをお願い」
パンと手を叩き、重苦しい空気を払拭するよう明るい声で言うメイアにアリシアも気持ちを切り替え従った。
——何も考えず、ただ黙々と手を動かすのは嫌いじゃない、かも。
頭を空っぽにして目の前の作業に集中する事で、大抵の事はどうでもよくなってしまうのだとアリシアは気づいた。
ひたすら手を動かし続けたおかげか、先程感じた戸惑いも理不尽さも、微かな胸の痛みも綺麗に吹き飛んだ気がする。
山のようにあった洗濯物が全て片付き、風にはためくのをアリシアは清々しい気持ちで見上げた。
「さっぱりしましたね」
「ようやく片付いたよ、ありがとう」
たらいを適当な木に立てかけてから腰を叩くメイアにアリシアはにっこりと微笑みかける。
その笑顔にメイアは少しだけホッとした。
「落ち着いたようだね」
「え、あ…そうですね。
手を動かしていたら何か…忘れてました」
正直なアリシアの答えに、メイアはクスリと笑みをこぼした。
「単純な作業だけど人のためにもなるし、何より綺麗になるのは気持ちがいいからね」
「えぇ」
ついと視線を空に向けるメイア。
アリシアもメイアに倣って、真っ青で雲1つ浮かんでいない空を見上げる。
山から吹き渡ってくる涼しい風が、2人の頬を撫でた。
「アンタみたいな素直な子が一緒だったら楽しかったんだろうけどね…残念だよ。
まぁ、でも何かあったらまたおいで。
話くらいは聞いてあげるからさ」
「はい、ありがとうございます」
律儀に頭を下げるアリシアをメイアは妹を見るような優しい目で見つめ、それから我にかえったようにその手を取った。
「大変、急いで食堂に行かなきゃ!
お昼食いっぱぐれるよ」
「そう思って2人の分はほら、ちゃんと包んでもらってきたよ」
近づいてくる足音も気配もまるで感じなかったのに、すぐ後ろから声がしてアリシアは文字通り飛び上がった。
「ご、ゴルさん⁉︎」
メイアも気がつかなかったのか、目を丸くしてゴールディを見つめている。
「アリシアはともかく、メイアは気を抜きすぎ」
ボソリと言い放ったゴールディは、次の瞬間ニコリと人好きのする笑みを浮かべ
「さ、あったかいうちに食べて。
干し肉のサンドイッチに、スープもつけてもらったから」
と中身のギッシリ詰まったカゴを差し出した。
「あの、ゴルさんはお昼、もう召し上がったんですか?」
受け取りながらアリシアが尋ねると、ゴールディはさらに笑みを深め
「ありがとう。
でも僕はもう食べたし、これは君達の分だから気にしないで食べて。
あ、カゴは食堂に返しておいてね」
と手を振りながら立ち去った。
——わざわざ持ってきてくださったのかしら?
それにしても…やけにいいタイミングで現れたな、ゴルさん。
一瞬もやっとしたアリシアではあったが、美味しそうな匂いに空腹を自覚した途端、もやもやした感情は意識の片隅へと追いやられてしまった。
「ゴールディと知り合いだったの?」
「え?えぇ、何かと良くしていただいています」
見張り兼護衛と正直に話す訳にもいかず、アリシアがお茶を濁すと
「え?なになに?
あいつまさか、アリシアの事が気に入っちゃったとか?
ヤダ、アンタ可愛いからね、気をつけなよ」
メイアは先ほどよりも目をキラキラさせて、1人で納得し1人で相槌を打ちながら猛然と食べ始めた。
その横で呆気にとられながら、アリシアもそそくさと食事を済ませたのだった。