軟禁か服従か・前〜アリシア〜
怪我が癒えるまで約2ヶ月の間。
私は「保護」という名目の軟禁状態に置かれた。
獣人達のように骨をも砕く強靭な牙も、分厚く硬い皮を引き裂く鋭い爪も、巨大な岩を持ち上げるほどの力もない。
かと言って鳥のように空を飛ぶ事も、風のように早く駆ける事もできない。
特別な訓練を受けている訳でも、特殊な力を備えている訳でもない。
何の力も持たない、ただのか弱いヒト。
そんな私が、他の獣人達に不当に傷付けられる事のないように。
建前としてはそんな所だが、彼らの本音が別にある事は明らかで。
正体不明の、しかも獣人の世界で唯一の存在である「ヒト」は、余計な誤解と軋轢を生みかねないというのが彼らの言い分だった。
ある程度傷も癒え、起きていられる時間が長くなるにつれ感じたのは、窮屈さと違和感だった。
窓には鉄格子がはめられ、扉の外には絶えず護衛という名の監視がついている。
彼は部屋を出ようとするたびに身の安全が保証できないと言い、人目を忍ぶようにほんの僅かな間だけ外へ出たとしても、すぐに部屋に戻るよう促した。
清潔な服を用意してもらって、飢える心配も寝床の心配も必要なくて。
それは確かに格別の待遇だと理解はしている。
保護してもらった身で、我儘を言ってはいけないとも思うけれど…。
ふらっと気ままに出歩いたり、好きなだけ庭でぼーっとしたり、息抜きに料理をしたり。
そんなささやかな自由すらない生活に息が詰まりそうだった。
*
私の処遇については、最後まで意見が分かれたらしい。
どこの誰かも、誰とどう繋がっているかもわからない「ヒト」など、災いの元でしかない。
獣人の世界になぜ「ヒト」が居るのか。
本物の「ヒト」なのか。
仮に本物だというのなら、そもそもこの世界には「居ない」存在なのだから、始末してもどうという事はないと声高に主張する者もいたらしい。
けれどそれに異を唱えたのは、ほかでもないシルヴァン様だった。
誰と繋がっているかわからないのであれば、泳がせて相手の思惑を掴んでから一気に叩く方が効率が良い。
私が仮に密偵のような役目を担っているのであれば、処分したりすれば相手がより警戒して尻尾を掴みにくくなるだけだ。
それに、もし万が一ただの迷い人であれば、無益な殺生を避け保護すれば良い。
『我が国は、保護した者を理由なく切り捨てる無法国家ではない』
そう言い切ったシルヴァン様は、その代わりに私に監視をつける事にしたのだという。
*
「シルヴァン様の副官で私のつがいのグリスよ。
ちなみに見てわかると思うけど、熊族ね」
つがいという耳慣れない言葉を不思議に思うよりも…。
彼女の年齢を聞いて、正直耳を疑った。
——45歳⁈
…見えない。
いっても30代後半と思っていたのに…。
しかも姉さん女房。
という事は…レプスさんの方がグリスさんより年上ということよね?
半ば呆然と見上げたその人は、大きくて筋肉質でいかつくて。
くすんだグレーの硬そうな髪の毛に、悪戯っぽく煌めくチャコールグレーの瞳。
ニヤリと笑うその顔はまるでガキ大将のようだった。
「よろしく」
恐る恐る差し出された手をとると、痛い位の力で握られる。
もしかして、握手と見せかけて使い物にならないよう握り潰すつもりなの?と勘繰ってしまうほどの痛さに思わず顔を歪めると
「グリス、加減なさい。
相手はか弱い女の子よ」
すかさずレプスさんから指摘が入る。
「おぉ、すまん。
剣だこも血豆もなさそうだな、と思ってな」
食えない笑みを浮かべながら手を離すグリスさんの目は、真剣そのもので。
ここでもまた試されていたのかと、引きつった笑みを浮かべるしかなかった。
「こっちはゴールディ、犬族の騎士よ。
あなたの護衛として1番関わりを持つ事になると思うわ」
「仲間内ではゴルと呼ばれているから、君もそう呼んでくれる?」
続いて紹介されたのは、私と歳の変わらない感じの男性。
生真面目な表情から一転、人の良さそうな笑みを浮かべた彼は優しく私の手を握りしめた。
癖のある金髪は柔らかそうな巻き毛で、細められた榛色の瞳は真っ直ぐに私を映している。
——これはアレだわ、ギャップ萌えとかそういうヤツよね。
咄嗟に浮かんだ言葉に1人で頷きかけ……もえ?と首を傾げる。
「どうかした?」
穏やかな微笑みに、知らず知らず強張っていた心がほんの少しだけ緩んだ…気がした。
「いえ…何でも。
こちらこそよろしくお願いします」
頭を下げた私を見守る温かい眼差しは、裏表や秘めた思惑なんて感じさせない誠実そうなもので。
思いがけず癒されほっこりした私に、傍に立っていた女性が紹介される。
「こちらは猫族のリサ、シルヴァン様の護衛よ。
あなたが実際に会う事はそうそうないと思うけれど、一応覚えておいてね」
「あの、よろしくお願いします」
顎をそらしてこちらを見下ろす緑の瞳は、友好的とはいえない輝きを放ち。
頭を下げた私を一瞥し、彼女はフンと鼻を鳴らした。
その姿はまさに気まぐれで気位の高い猫のよう。
「いいか、ヒトの子。
余計な事をしたら、私は容赦なくお前を斬って捨てるからな」
氷のように冷たい声が、視線が、むき出しの敵意が、じんわりした心から温もりを奪っていく。
同時に獣人の事も、この世界の常識も知らない事が怖くて、不安で。
「…余計な事って何ですか?
何をしたり言ったりしたら、その、まずいのか教えていただけませんか?」
何が禁忌なのか見当もつかない私が、知らず知らずのうちにやらかして、問答無用でバッサリなんて事態は避けたい。
それでなくても、右肩の傷がようやく治ったばかりなのに。
なので冷たい視線にめげずに尋ねると、リサさんはいかにも面倒そうに舌打ちをした。
「そんなの、そこの兎に聞け」
明らかに見下したような言い方に、思わずレプスさんの顔を窺う。
けれどもレプスさんは慣れているのか
「それはまた、おいおいね」
幾分素っ気なく言いながら、肩を竦めた。
女性2人の妙な空気の訳は、後でゴルさんがこっそり教えてくれた。
「元々レプス殿はシルヴァン様の腹心だったんだが、獣人の中でも種族によって序列があってね」
彼曰く、獣人の中で1番上位は狼族。
ついで熊、馬、鹿、犬、猛禽類、狐、猫。
そして最下層は兎など小動物なのだという。
「序列に関していえば、猫族のリサは兎族のレプス殿よりも上だ。
ましてリサは猫族の族長の娘。
自尊心の高さは並大抵じゃない。
けれどレプス殿はシルヴァン様の昔からの腹心で、グリス様のつがいである。
自分より下である筈の存在が、誰からも一目置かれている事が気に入らないんじゃないのかな」
——なるほど。
あくまでゴルさんの私見とはいえ、私もリサさんの方がレプスさんに対して何かあるように感じたから、まぁ、当たらずとも遠からずと言った所なのかしら。
でも種族によって上下があるという事は、覚えておかなくちゃ。