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狼王のつがい  作者: 吉野
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美しい獣


結局、何も思い出す事が出来ず今後の状況に見通しも立たないまま、レプスの退室を見送ったアリシアはぼんやりと天井を見上げていた。


窓の外は薄暗くなり、室内も闇に包まれようとしている。



急に眠気を感じ、アリシアは何度もパチパチと瞬きをした。

けれども一向に去らない強烈な眠気に、遅ればせながら先程の食事に何か入っていたのかも、と思い至った。




——そうよね、身元の不確かな不審者だもんね。

ウロウロ出歩かれたり問題起こされるよりは、大人しく寝ててくれた方がいいわよね。



やさぐれた気分で睡魔に身を任せようとしたアリシアは、薄暗闇の中ふと風が動いたのを感じた。



半ば朦朧とした目を向けると…そこには美しい獣が佇んでいた。



暗闇の中に浮かび上がる毛並みはよく手入れされているのか白銀に光り輝いていて。

大型犬よりよほど大きな体躯に見合う手足はがっしりとしていて、いかにも力強そうだ。


暗闇に光る目は片方しかないけれど、その眼光は鋭く野生の獣の持つ獰猛な気配と圧倒的な存在感に、アリシアは知らず息を呑んだ。




——おお、かみ?


その名がスッと浮かんできた事にまず驚き、そして神々しく精悍で生命力に溢れた姿に心を奪われた。



 

——…こんな綺麗な生き物、見た事ない。



目、怪我したのかな。

片方の目でも、これだけの迫力だもん。

両目が開いていたらきっと…もっとずっと神秘的で、怖いくらい美しくて近寄り難くて、1枚の絵のようだったんだろうな。



そんな事を考えながら見惚れているアリシアと狼との視線が絡み合う。


狼の全身から放たれる絶対的な「気」に、アリシアは総毛だった。



と…風が動いた。



次の瞬間、音もなく寝台の上に飛び乗った狼の鼻先が目の前に現れ、心臓が止まるかと思った。



前足は丸太のように太く、身動ぎする事さえ出来ないほど強い力で怪我をしている右肩を押さえつけられ。

固い骨でも容易く噛み砕いてしまいそうな強靭な歯と顎から逃れる術は、なさそうに思える。


痛みに歯を食いしばるアリシアにのしかかり、狼は冷たく見下ろした。



理由はわからないし、そもそも理由などないのかもしれない。

けれど、恐ろしい程の威圧感と不審者を排除するという殺気のようなものが、ありありと

伝わってくる。



少しでも気を抜けば…目を逸らしたら、負けだ。

それもただの勝ち負けじゃない。

ほんの僅かでも隙を見せたら、それが命取りになる。


理屈抜きにそう悟ったアリシアは、肌を突き刺すような鋭い「気」に内心怯みながらも狼と対峙した。




——私…何かしたのかな。

この綺麗な獣を怒らせるような、何かを。


鼻先にシワを寄せながらジッと見つめる狼の、真意の読めないガラス玉のような瞳から目を逸らさずに見つめ返す。


両手をキツく握りしめ、意識をしっかり保っておかないとたちまち喉元に喰らいつかれる。

それは危機感であると同時に確信でもあった。




——でも…この綺麗な獣になら、良いかな。


自分でも、何故そんな事を考えたのかわからない。

けれど狼の澄んだ瞳に映る自分の姿が、急にちっぽけな物に思えて。

このままここで生きていても何の意味もないのではないかと思えてきて。

アリシアは無意識のうちにため息を吐いていた。



どうせなら…ひと思いにやっちゃってくれないかな。


痛いのも血がたくさん出るの、嫌なんだけどな。



身動ぎもせず見つめ合うアリシアと狼。


ややあって、覚悟を決めたアリシアは口元に淡い笑みを浮かべ、フッと身体の力を抜き目を閉じた。




けれど…いくら待っても、その時はやってはこなかった。


不思議に思ったアリシアが目を開けると、狼は先程と寸分違わぬ位置で彼女を観察し続けていた。



首を傾げたアリシアと狼の視線が絡み合う。



先程まで表情の読めなかったその瞳に、その瞳に驚愕と戸惑いの色が浮かんでいる気がして…。

しかも、先ほどまで感じていた殺気が嘘のように消えていて、アリシアは目の前の狼をぼんやりと見つめた。



それは時間にすれば10秒にも満たない僅かなものだったけれど、ふいと目を逸らしたのは狼の方だった。


そのまま右肩を押さえつけていた前足を退け、ゆっくりと離れる。



目に見える形での脅威が遠のいた事により、ほんの僅かに気が緩んだのか、先程まで全く感じなかった右肩の傷が疼き出す。

同時に抗いがたいほどの眠気に襲われ、アリシアは意識を手放した。


 *


「……夢?」



ぼんやりと呟くアリシアの声は、掠れて何処か現実離れしていて。


無意識に身体を起こそうとして、右肩に走った激痛に覚醒したての意識が一気に目覚めた。


「…っ!」



先程も似たような事があったなと可笑しくなり、無性に笑い出したい衝動にアリシアは駆られた。


「ふふっ、あは、あははっ、あははは」


最初は小さな含み笑いだった笑い声は、すぐにヒステリックな甲高いものに変わる。

両手で顔を覆い笑うアリシアの両目から、涙がツーっと伝って落ちた。




——これから、どうなるんだろう。



自分が誰なのかもわからない。

ここがどこなのか分かっても、これから先どういった扱いを受けるかも…最悪命の保証すらない。



途轍もない不安と傷の痛みに涙を流すアリシアを、見つめている目がある事を彼女は気づかなかった。


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