愛する者へ〜シルヴァン〜
「っ、バカな!いつの間に…弾はない筈」
ハクの狼狽した声を嘲笑うよう、ノワールは手元を操作し何かをカチリと鳴らした。
その音にユイが息を飲む。
「役立たずの迷いびとも、煩い王妃も、臆病者の王太子も、そして目障りな弟も、愚かな民も私には必要ない!」
高らかに笑うノワールの声が、ギラついた目が、どこか常軌を逸していて。
奴は手にしていたそれを、真っ直ぐにユイに向けた。
ブワリと全身から冷や汗が吹き出し、焦燥感にも似た危機感に目の前がチカチカする。
——まずい、奴は本気だ。
「苦しめ、シルヴァン」
咄嗟に割って入り、つがいを抱きしめた私の背後で、さらに空気が動き…。
耳を劈くような轟音が響いた。
雷にも匹敵する音に全身の毛が逆立ち、その直後苦痛に呻く声が2つ聞こえた。
——…って、2つ⁈
ユイを抱きしめたまま振り向くと…。
そこには何故か全身から血を流したノワールと…そしてユイを庇った私を更に庇ったリサが、胸から血を流して倒れていた。
「リサ!」
抱き起こすとゴボリと口から大量の血を吐き出しながら、リサは虚ろな目で私を見つめた。
「…何故だ?」
「好きな人に好かれたい、そうであったのなら…」
急激に目の焦点が合わなくなり、呼吸が荒くなったリサが手を伸ばしてきたので、咄嗟にその手を掴む。
「つがいで、ない、私は…愛されな…。
疎まれ、蔑まれ…て、生きる、より…」
「リサ!」
「愚か、な、わた…し、許し…」
戦場で幾度も聞いた、命の尽きる瞬間のヒューという甲高い呼吸。
もう助からないと悟った私は
「許す、お前の全てを許すぞ」
思わずリサを抱きしめ、その耳元で叫んだ。
「う、れし…」
力なく綴じられたリサの目からスーっと涙が一筋流れ落ち、そしてその手が力なくパタリと落ちた。
*
「バカっ!」
血で汚れた服を着替え、ついでに髪や腕も洗い流して部屋に戻ったところで、俯いてるユイに気が付き、顔を覗き込んだ瞬間…
頬に衝撃が走った。
「なんで銃の前に飛び出すの!
う…撃たれたかと思って、心配したんだから!」
縋り付くユイの手も、私を怒鳴りつける声も震えていて。
真っ赤になった両目から、隠しきれない動揺が涙となって溢れ出た。
「良かった…良かったよ。
貴方が無事で本っ当に良かった!」
——あの時、つがいを失うのかと心臓が鷲掴みにされたあの恐怖を。
ユイもまた感じてくれていたのかと思った途端…顔がにやけてしまったのは、不本意ながら仕方のない事だと思う。
…のに。
「もう!なんでそんな笑顔なの?
心配してたって言ってるのに!
ちょっとは反省してる?」
涙ながらに詰め寄るユイを膝の上に抱き上げ
「反省してる、すまん。
でもまた次もユイに何かあったら、同じ事をする」
耳元で囁いた。
「ちょっ…!それ、反省してないよね?
てか、なんで膝の上?おろして」
「すまん、無理。ほんとごめん。
でももう少し…このままで」
ユイの華奢な身体を思いきり抱きしめ、彼女の顔を肩に押し付ける。
「謝りながらこのままで、とか…ずるい」
ボソリと呟くユイの耳が、真っ赤に染まっていて。
そのくせ、私の服の裾をキュッと摘むのだから…まったく。
——こんな可愛いつがいの姿を、他の奴に見せてたまるか。
実際、この部屋には私とユイの2人きりな訳だが。
それはそれ、これはこれ。
どうやら、ようやく想いの通じ合ったらしいつがいと触れ合いたくなるのが、獣の本性というもので。
「ユイ、私も奴の拳銃がそなたを狙った時は、同じ思いだったのだぞ」
「う…でも、それは私のせいじゃないというか、私が無茶をした訳じゃないというか」
モゴモゴと口の中で言う彼女の言葉は、確かにもっともなのだが…。
「あの時は肝が冷えた。
あんな思いは…もうたくさんだ」
拒まれないのをいい事にユイの後頭部に頬をすり寄せると、遠慮気味に腰の辺りを掴んでいた手がおずおずと背に回される。
——あぁ…。
つがいとの触れ合いが、これ程安らぎを感じるものだったなんて。
大袈裟でなく、魂が震えるというか胸の奥底の深い所が満たされるような、そんな気がしてくる。
深々と息を吸い、そして吐き出すとユイが頭を上げた。
「シルヴァン様、聞いてほしい事があるんです」
「何だ?」
私をじっと見つめるその瞳が、どこか吹っ切れたように見える…のは、気のせいだろうか。
「私の名前、です」
「…良いのか?」
思わず聞き返してしまった私に、少し拗ねたようにユイは
「私だってちゃんと好きですよ…多分、リサさんよりも」
と目を逸らしながら、呟くように小さな声でそう言った。
「何か、色々と…すまん」
「謝らないでください。
それにリサさんの事、なんか憎んだり恨んだり出来ないです」
結構な事、言われましたけどね。
とほろ苦く微笑むと、ユイは遠くを見る目をした。
「でも、好きな人に愛されたいって…リサさんが本気だったの、わかるから。
何て返せばいいのかわからず、戸惑う私をじっと見つめ
「愛とかつがいとか、ホントのところはよくわからないです。
でも私のここに、確かに暖かくて大きくて力強いモノがあるんです」
そう言うと、ユイは大切そうにそっと自分の胸を押さえた。
「あなたと一緒にいれば、それが何かわかる気がする。
ううん、多分あなただけがここにあるモノから花を咲かせる事ができるんだと思うの」
ふんわりと花が綻ぶような、柔らかい笑みを浮かべるとユイは囁いた。
「だから、私の名前を受け取ってください。
私の真名は姫川 結です」
「ならば私もそなたに、そなただけに真名を捧げよう。
シルヴァリアーノ・ド・ウォルフだ」
そう告げた瞬間、細胞の1つ1つが塗り替えられてゆくような、荘厳な鐘の音がどこかで鳴り響いているような。
まるで、この世界に新しく生まれ直したような厳かな感動に包まれた私は、感情のまま震える両手をユイの頬に添えた。
「ありがとう、ユイ」
心もち濡れた目で見上げるユイの瞳の奥にも、私と同じ「欲」を見つけ、ひっそりとほくそ笑む。
「シルヴァン…様」
喉に絡んだような囁き声が耳に心地よく、つがいが自分の名を呼んでくれていると思っただけで身体の奥から力が湧き起こる。
「様は要らぬ、そなたは我がつがい。
私が全てを捧げるのも、この上なく大切で愛おしく想うのも、この世でそなたただ1人だけだ」
この上なく真剣な愛の告白、のつもりだったのに…何故かユイは俯きハラハラと涙を流し始めた。
「な、どうした?」
「いえ…」
黙って頭を振る結を抱きしめると、大人しく腕の中に収まるのに、涙が止まる気配はない。
「え…と、私が、何か?」
「違うんです。
私…誰かの1番になれた事が、嬉しくて」
小さい頃から大人しくて人見知りで、友達の少なかったユイには向こうで待っていてくれる友も、心配する家族もいないのだという。
母を亡くしてからも父は可愛がってくれたけど、父の1番はやっぱり母で。
けれども、死で分かたれてもなお互いを想い合う両親は、憧れでもあり。
涙ながらにそんな事を言うユイがいじらしくて、愛おしくて。
思えば、初めて会った時から随分と辛い思いもさせてしまったと、申し訳なさが募る。
「たくさん我慢したからな、たくさん泣いても良いぞ」
「…甘やかさないでください」
今まで、あまり甘える事もできずに1人で頑張ってきたであろう事は、想像に難くない。
が…
「あいにく、私はつがいを甘やかす主義なんでな」
そう微笑みかけると、ユイの額に自分のそれをくっつけて、ごく至近距離で見つめ合う。
「これからは私がいる、ずっとそばに居る」
「…ん」
甘えたような返事にまた、愛しさが募るだなんて…。
本当にどうしてくれようか、この可愛すぎるつがいを。




