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狼王のつがい  作者: 吉野
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受け入れるしかない現実


ほんの僅かに緩みかけた空気を破ったのは、アリシアの腹の音だった。


本人の意に反して。



「…っ!」


咄嗟に腹に手を当て恥ずかしそうに俯くアリシアを、シルヴァンは呆れた様子で眺めやった。




「食事を用意する。

話を聞くのは一旦休憩としよう」


それでも、アリシアが何日も眠ったままで食事も取らずにいた事を思い出し、立ち上がると同時にレプスが顔を覗かせた。


「そろそろ頃合いだと思ってスープを用意させたわ」


中の様子を窺っていた事を隠そうともせず、サラリと言うレプスにシルヴァンが苦笑いを浮かべる。



「何もしていないぞ?」


「えぇ、勿論、信じておりましたとも」


言いながら、レプスは野菜がくたくたに煮込まれたスープの器が乗ったお盆をアリシアの膝の上に置く。


「わかっていると思うけど、ゆっくり食べるのよ。

何日かぶりのまともな食事なんですから」


優しい言葉にアリシアは微かに笑みを浮かべ、スプーンを取る。


いや、取ろうとした。



けれども利き手である右の肩を怪我している為、薬湯をもってしても抑えきれない痛みと痺れにスプーンをとり落としてしまった。



「あ…ごめんなさい」


青ざめたアリシアにレプスが声をかけるより早く



「痛むのか?その…酷く?」


シルヴァンが低い声で尋ねる。



「痛みは…薬湯のおかげで我慢出来ないほどではありませんが、痺れが少し。

指が動かしにくい感じはあります」


躊躇いながらも正直に答えたアリシアにスプーンを手渡すと、レプスはシルヴァンをきっと睨みつけ


「そんなにじろじろ見つめられていれば手も滑るというものです。

とりあえずこの子は休養が必要ですから、続きは夕方にお願いします」


アリシアが口を挟む間もなく部屋から追い出してしまった。

…ように見えた。


少なくとも、アリシアは部屋を出る瞬間交わされた2人の目配せに気づかなかった。



戸惑いながら、シルヴァンが出て行くのを見送ったアリシアにレプスはにこりと笑いかけた。


「大丈夫よ、アリシア。 

とりあえずはこれを食べて、もう少し休みなさい」


久しぶりの食事をゆっくりと平らげる頃には痛み止めも効き、アリシアは落ち着いた気分でレプスと向かい合った。



「顔色も随分とマシになったようね」


優しく目を細めるレプスにつられ、にっこりを微笑むアリシア。

そんな彼女をレプスは表面上はにこやかに、その実冷静に観察していた。




「ところでアリシア、今はそう呼ばせてもらうけれど…あなた何者なの?

その怪我はどうしたの?

崖から落ちたらしいと聞いたけれども、何か覚えている事はないの?」


「それが、私にもわからないんです。

どこから来たのかも、自分自身が何者なのかも…名前すら。

崖から落ちたというのも、ピンとこないというか…その、ごめんなさい」



申し訳なさそうに目を伏せるアリシアの表情は、心底そう感じているようで。

もしこれが演技なら、なかなか迫真だとレプスは感心しながら話を続けた。



「一応あなたの怪我の状態を説明させてもらうと、まず頭部の打撲ね。

後頭部に大きなこぶができてはいるけれど、裂けたり切れたりはしていない。

それより酷いのが右肩の傷。

それは明らかに剣による切り傷よ?

一応傷口を洗って止血はしたけれど、炎症を起こして熱が出たのね。

熱も下がったからもう大丈夫だとは思うけれど…あなた一体何したの?」



剣による傷、という説明に理解が追いつかないアリシアは懸命に思い出そうとしたが…頭の中に霧がかかったようで何も思い出す事は出来なかった。



「…わかりません」


言葉を絞り出すアリシアに、レプスも困惑した表情を浮かべる。



何も思い出せない、わからないという不安からアリシアは眉をキュッと潜めた。 


自分自身、何者なのかわからない。

聞かれても説明のしようがないという事は、他の者に信じてもらえないという事だ。




——これでは不審者として扱われても…仕方がないのかもしれない。



そんな諦めと不安と怖れのないまぜになった目で見上げるアリシアに、レプスは1つため息をついた。

途端にビクリと身体を震わせるアリシアに、安心させるよう微笑みかけ


「今すぐあなたをどうこうする気は、こちらには無いわ。

それよりも、聞きたい事があるんじゃないの?」


と小首を傾げてみせる。


その仕草が小動物…ウサギが首を傾げているように見え、その愛らしさにアリシアも思わず表情を緩めた。



「では…そうですね、ここはどこですか?

最果ての砦というのは聞きましたが、その…ここの人は皆、あなたやシルヴァン様?のように耳をはやしているのですか?」


「私達は…そうね、ここは獣人の国。

私が兎族なのは先ほど話したわね?

シルヴァン様は狼族よ。

その他にも犬族、猫族、鹿族、鳥族などが居るわ」




『獣人の国』


と言われても、そもそも獣人の何たるやを知らないアリシアは首を傾げた。

その様子を見てとり、レプスは1つの仮説を立てる。


「今は人型をとっているけれど、私達は基本は獣。

本来の獣の姿に戻る事もあるし、咄嗟に獣化してしまう事もある。


獣人が獣化するにも段階があってね、今は耳だけが元の形で後は人化しているけれど、もう一段階獣化すると尾や角が、そしてその次の段階では手足が、最後な完全な獣の姿に戻るの」


「…」




——この国…いや、この世界ではごく当たり前の事が、彼女にとってはそうではないのか。


目を丸くしたまま黙り込むアリシアにレプスの確信が強まってゆく。



「その中でも貴女は異質な存在なのよ。

どの獣にも属さない、どの獣の特徴も受け継いでいない存在。

まるで…ヒトのよう」




「ヒト」とはどの獣にも属さない存在。


この世界も、かつてはヒトが席巻していたが己の愚かな行為により滅び絶え、今は人化した獣達の世界となっている。



そんな事はまるで知らないアリシアにも、己の存在の危うさだけは何となく察する事が出来た。


ここ、獣人の国では異質な、恐らくそう数もいない…もしかしたら自分だけかもしれない存在。




——自分が思っていた以上に、私の立場は危ういものなのかもしれない。



目に見える形での畏怖の対象シルヴァンが去った事で緩みかけた気が、一気に引き締まるのをアリシアは感じた。


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