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狼王のつがい  作者: 吉野
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つがいの引力


「親…友?」


不思議そうな顔をして小首を傾げた結に


「肝心な事を話してないのね、レプスったら」


そう言うと、アンリエッタはクスリと笑った。



「レプスの頼みであなたとシルヴァン殿を迎えに来たのよ、わたくしは。

それに何かあったら守ってあげて欲しいと、そう頼まれたから」



自分がついていってあげられたら…と、今回行くか残るか散々頭を悩ませていたのは知っている。

数日前の別れ際にも涙を浮かべ、互いの無事を祈りあったばかりだ。




——今、ここには居ないし温もりも感じられない。


それでも隣にレプスがいて、抱きしめてくれているような。

そんな不思議な感覚に結はギュッと唇を噛み締めて上を向いた。


そうしないと涙が溢れてしまいそうだった。



「ありがとう…ございます」


幼い頃に母を亡くした自分と、初めて授かった命を産んであげられなかったレプス。

お互いの胸の隙間を…寂しさを埋めるような、そんな関係なのかもあるいはしれない。


それでも…。


胸の奥に満ちてゆく温かいものに、結はそっと両手で胸を押さえた。



自分を観察する、アンリエッタの冷静な視線に気づかぬまま。


 *


この別荘を管理している老齢の夫婦、アルゴーの言葉通り陽が落ちた頃からシルヴァンの熱はぐんと高くなった。


冷たい水に布を浸し何度も絞っては額に当てるものの、一向に熱は下がらない。


「わたくしがついているから、ユイは今夜はお休みなさいな」


「いえ、私がついています。

…ついていたいんです」



“アリシア”でいた頃には感じなかった、シルヴァンへの想い。



無性に慕わしく、どこか懐かしいその存在を強く意識してしまうのは…彼が“つがい”だからだろうか。


“つがい”という不思議な感覚に、結はこのところ戸惑っていた。



「そうね、つがいなら当然だわ。

ごめんなさい、ではお願いね」


ごく当たり前のように引き下がるアンリエッタに軽く頭を下げ、結はシルヴァンをじっと見つめた。


高熱のせいか真っ赤な顔で目を瞑る彼は、心なしかグッタリしている気がする。



父は…とにかく頑丈な人だったので、病人の看護というものを殆どした事のない結は、ついていると言ったものの、額の汗を拭き布で冷やす位しか思い付かなかった。



それでも冷たい布を額に当てるたび、シルヴァンの顰められていた眉が僅かに緩む所を見ると、気持ちいいのだろう。


そう思って冷たい水に浸した布を固く絞っていた結は、ふと視線を感じて振り向いた。



「…っ!」



先程まで固く閉ざされていた目が開いている事にも驚いたが、それよりも虚ろな表情の方が気になり、結はシルヴァンの額にそっと触れた。



「お前はあの時、生きる事を諦めたな。

何故だ?」


問い詰めるでも非難するでもない、単純に疑問に思っただけのような掠れた声。



あの時、というのがいつの事を指すのか結はすぐに理解した。


同時に…。




——やはり、あの時の綺麗な獣はシルヴァンだったのか、と思い返した。




あれは、最果ての砦に保護されてすぐの事だった。


ふと目を覚ますと、そこに見た事もない美しい獣…狼がいた事があった。


銀色の毛並みが美しい隻眼の狼は、ガラス玉のような感情の読めない瞳で威嚇し、あまつさえ怪我していた方の肩を押さえつけた。


あれは自分達に害なす者か見定める為の行為であり、あの砦を守る為の覚悟でもあったのだと、今は結も理解している。



「あの時…神々しくて精悍で生命力に溢れた姿に心を奪われたのと同時に…こんな綺麗な獣に殺されるなら、それも良いかと思ったんです」


ポツリポツリと紡ぐ結の言葉にシルヴァンは黙って耳を傾けた。



「気を悪くされたのならごめんなさい

でもあの時はこちらの事は何もわからず、ただ閉じ込められていて先の見通しも立たなかったし…。

ふっと、これで楽になれると思ってしまいました」


「そう、か」



…すまなかった。



微かな呟きと共に、何かを探るように手が伸ばされ、とっさに結はその手を取った。



深い後悔と苦悩の滲む声に、何故だかジワリと涙が滲むのを振り切るように、結はシルヴァンの手を強く握りしめた。



「それでも…お前に触れたい、お前の全てが欲しい」


「シルヴァン…様」



熱に浮かされたような言葉に、心持ち潤んだ瞳に、結は言葉を失った。


ゴクリと唾を飲み込みながら続きを待つ結に向かい


「しかし私にはそれをいう資格…いや、違うな、勇気がない」


切なさと苦しさの中に諦めの混じった声に、結の胸がツキンと痛む。



けれど、辛そうに目を瞑ってしまったシルヴァンに何か言う事は出来なかった。


 *


夜明け前、まだ薄暗い時間帯にシルヴァンはふと目を覚ました。


見覚えのない景色に束の間戸惑い、ここがアンリエッタの離宮である事を思い出す。

同時に昨夜の自分の醜態がまざまざと思い出され、シルヴァンは頭を抱えた。


いや、抱えようとした。



けれども右手は温かく重い物に包まれ、ぴくりとしか動かない。


頭だけをもたげ自分の腰の辺りに、上掛けに突っ伏して眠る結の姿を確認したシルヴァンは、ホゥと息を吐き出した。



幼い頃から現在に至るまで、側に人が居てこれ程熟睡できた事はない。


暗殺まではいかなかったものの、常に緊張状態を強いられる生活だった為、気配や物音には人一倍敏感だった。

そうでなければ、今までやってはこれなかった。



けれども…。


自分の手を握り、スウスウと寝息を立てる結の横顔に途轍もなく癒され、また彼女が側にいる事がこの上なく幸せだと感じてしまう。




——今の今まで、この手をまだ離せると思っていたのだが…。


それまでの自分はなんと愚かだったのだろうと、唇の端を歪めるようにシルヴァンは嗤った。



この幸福感を知ってしまった今となっては、たとえユイに恨まれようが側を離れる事などあり得ない。


泣かれても、涙よりも沢山の想いと幸せを返すから側にいてくれと、懇願したくなる。

いや、遠い未来そうするだろう。



そんな確信を胸に、シルヴァンはそっと目を閉じた。

傍らに結の温もりと心地よい重みを感じたまま。

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