迷いびととして〜結〜
襲撃からどれ位の時間過ぎたのだろう。
護衛の人達—リサさんも含めて—大丈夫だったのかな。
そんな事を考えながらしがみついていると、突然視界が開けた。
鬱蒼と木の茂った森の端まで来たのだと気付いたのと、シルヴァン様が何かを感じ取ったのは多分当時くらいだったのだろう。
急停止したシルヴァン様から振り落とされないよう、思わず全力で抱きつく。
背から降りようとする私を制し、何かの匂いを確認するよう鼻をひくひくさせると、シルヴァン様は再び走り出した。
「どこに向かっているんですか?」
返事の代わりにスピードが上がり、ぐんぐん山道を駆け下っていくシルヴァン様に、しがみついているので精一杯だった。
*
「ここ…は?」
森を抜けて山を降り麓にあった瀟洒な建物。
木々に紛れるように建てられたそれは、別荘か何かのように見えた。
シルヴァン様の背から降り、辺りを伺っていると
「何者ですか?」
優しくも威厳に満ちた声がした。
その声に明確な敵意は感じられなかったけれど、だからと言って油断はできない。
とっさにシルヴァン様を背に庇った私を通り越し、女性の視線が伏せていた彼に釘付けになる。
「シルヴァン…殿?」
次いで彼女の視線が、シルヴァン様の足と私の破いたドレスの裾とに注がれる。
「お怪我をなさっているのですか?
ひとまずこちらへ。
手当てをしましょう。
あなたもついていらっしゃい」
——この女性、敵ではなさそうだけど信用してもいいのかしら。
シルヴァン様を知っているのは間違いないみたい。
でもレプスさんにも釘を刺されたし、何よりこの人が誰かも知らないのに…。
2人を交互に見つめ躊躇う私のドレスの裾を軽く咥え、シルヴァン様が足を軽く引きずりながら女性の方へ歩き出した。
——シルヴァン様は知っているんだ、この人が誰なのか。
さっき何かを確認していたように見えたのは、この人の事だったのかな。
理由も何も聞かずに私達を中に迎え入れてくれたその女性は、周囲の様子を窺いそっとドアを閉めた。
「カザリン、お湯を沸かしてちょうだい。
アルゴーは男物の着替えを用意して。
あと、わたくしのドレスをこちらのお嬢さんに」
テキパキと指示を出す、レプスさんと同年齢くらいのアンリエッタと名乗ったその女性が王妃様だと知って驚くのは、それからすぐ後の事だった。
「シルヴァン殿、ここはわたくしの離宮。
踏み込んで来れる者などそうはおりません。
警戒を解いてゆっくりとお休みください」
「すまない、義姉上」
——姉上……義姉上⁉︎
ハッと顔を上げた私を、その女性は優しく見下ろした。
「貴女が迷いびとね?
この国の王妃、アンリエッタです」
「王妃…様?」
馬鹿みたいに口をぽかんと開けたまま見つめる私に、王妃…アンリエッタ様は微かに苦笑いを浮かべた。
「あ、すみません。結と申します」
その表情に我に帰った私は、慌ててドレスの裾を摘んで膝を折る。
砦を出る時に、付け焼き刃で仕込まれたカーテシー。
レプスさんほど優雅にも、リサさんほどカッチリもできないけれど精一杯の礼を尽くしたそれに
「良いのよ、楽にして。
それとわたくしの事はアンリと呼んでちょうだい」
と、アンリエッタ様はにこやかな…けれど有無を言わさぬ笑みを浮かべた。
「ユイ、あなたはまず湯を使ってその汚れを落としてね」
浴室へ案内され、鏡の前で初めて惨状に気がついた。
あちこちにほつれたり破れたり、泥のついたドレスはそれは酷い有り様で。
その上、ありえない事に髪の毛にはクモの巣や小枝まで絡まっていた。
——恥ずかしい…。
緊急事態だったとはいえ、王妃様にお見せして良い姿ではないわ。
ありがたくお湯を使わせてもらい、身支度を整えている間、シルヴァン様の治療が行われたらしい。
お借りしたドレスを身につけ部屋に戻ると、シルヴァン様は半分微睡みながらも私に気がつき、手を差し伸べた。
「怪我の具合はどうですか?」
「大事ない」
そういう割に握りしめた手は熱く、口調もどこか弱々しい。
心配になって振り向くと、側に立っていた年配の男性が
「傷は大した事ないが、それでも矢傷だ。
今夜辺り熱を出すかもしれない」
と教えてくれた。
「レプス程ではないけれどわたくしにも多少心得はあります。
シルヴァン殿、熱さましと痛み止めよ」
そこへアンリ様が入ってきて、シルヴァン様にトロリとした液体の入った器を手渡す。
——このヒトは、レプスさんの事も知っているんだ。
本当にシルヴァン様の敵ではないのかも。
国王の妻が何故こんな所にいるのか、わからないけれど。
でも……。
「おば様の事をご存知なのですね」
「おば様…レプスの事?」
一か八かの賭けだと思った。
あの猿人の狙いがシルヴァン様が砦を離れた事の確認と、あわよくば命もという事であったのなら。
猿の王太子を疑う訳ではないけれど…でも、万が一という事もある。
「王妃様、厚かましいお願いなのは百も承知です。
でもどうかお力を貸していただけないでしょうか?」
「というと?」
唐突に切り出した私の目を見つめ、どこか試すように王妃様は続きを促した。
「シルヴァン様と私が襲われた事、その件に猿人が関わっていた事を砦に…グリスさんに伝えていただけませんか?
相手の狙いがわからない以上、砦の皆に危険が及ぶ事のないように、情報は常に共有しておきたいのです」
お願いします!と頭を下げた私の耳に、ふぅとため息が届いた。
——見ず知らずの人に厚かましい、無理なお願いをしちゃったのかな。
気を悪くされた…?
「さすがレプスの自慢の娘ね」
「…え?」
顔を上げるとそこには、アンリ様の優しい笑顔があった。
「わかりました、最果ての砦に人をやってグリスとレプスに伝えさせましょう」
「あ、ありがとうございます!」
にっこり微笑みながら請け負ってくれたアンリ様に、もう1度頭を下げる。
「良いのよ、私もレプスの事は心配ですもの」




