極秘の接触・前
「何者だ?」
シルヴァンの誰何の声に
「怪しい者ではありません」
涼やかな声が応える。
聞き覚えのない声に、執務室に緊張が走った。
あちこちに視線を走らせ、気配を探るゴールディ。
何かあらば斬るとばかりに剣に手をかけるグリス。
そして庇うように結を抱き寄せたシルヴァンと、その前に立つレプス。
——なんか…。
つがいだと告げられた後よりも、ゲイルの娘だと告げた後の方が、触れる事に躊躇いが無くなってない⁉︎
それまでのよそよそしさも、どこか遠慮していた感じも、今は全くもって感じられないんですけど。
大人しく抱かれたままでいるものの、結は目を白黒させながら辺りを見渡した。
——私を守る為だと分かってはいる。
さりげなく、けれどしっかりと抱き寄せられると、どうしても意識してしまうのは…。
シルヴァン様だからなのか。
それとも男性経験が乏しいからなのか。
妙にドギマギする結とは対照的に、厳しい顔をしたシルヴァンの前に、どこからともなく1人の若者が姿を現した。
直前まで全く気配を感じられず、忽然と現れたように見えるその若者を、室内にいた全員がまじまじと見つめた。
「お初にお目にかかります、千猿国のハクと申します」
優雅な仕草で一礼したその若者は見た感じヒトと変わらず、名乗られなければ結はそうとは気づけなかった。
「猿の国の王太子が何の用だ?」
油断なく辺りを窺うグリスにハクと名乗った猿人は
「本日はこちらの誠意を示すため私1人で参りました」
と頭を垂れた。
「単身と…。
確かに他の者の気配は感じられないが。
それにしても、明確に敵対している訳ではないが、それでも小競り合い程度は日常的に行われている国にお忍びとは言え単身乗り込んでくるとは…」
肝が座っているのか。
それとも、何か思惑があっての事なのか。
考え込むグリスにチラリと目をやりながら
「失礼ながら王太子、こちらは招待した覚えはないが」
殊更ぶっきら棒にシルヴァンが言い放つ。
「こちら様のご迷惑も省みず乗り込みました事、お詫びいたします」
そんなシルヴァンに、ハクは慇懃に頭を下げた。
その仕草も言葉もどこか芝居がかっていて…要は嘘くさいとレプスは思わず眉を潜めた。
ハク。
その名の通り、髪の毛も体毛も真っ白なその若者は表向きは下手に出ているけれど、どこか緊迫したような目をしている気がした。
「で?わざわざ人目を忍んでやってくるとは、何の用だ?」
グリスにレプス、ゴールディ。
シルヴァンにとって側近中の側近しかいない所を見計らって来たのなら…さすがというべきなのか。
そもそも気配に敏感な獣人の、特に厳重な警備を掻い潜って辺境伯の執務室まで辿り着くなど、
——あり得ん。
隣国の王太子だからなのか、それともこちらに手引きをした人がいるのか…。
痛み出した頭に手をやりながら、シルヴァンは目の前に立つ隣国の王太子を改めて睨めつけた。
「用ですか、用ならそちらのつがい様に」
まるで邪気のない、噂話程度の軽さで言い放たれた言葉に、全員が臨戦態勢をとる。
「この者に何の用だ?」
「別にとって食いやしません。
無理やり連れ帰ろうとも思っていません。
言いましたよね?誠意を示したと」
あくまで飄々と笑うと、ハクは両手を上げて見せた。
「丸腰の私を斬ったとあらば、困った事になるのはそちらの方では?」
「なに、忍び込んできた不審者がたまたま王太子の名を騙っただけの事」
シルヴァンとハクの間に目に見えない火花がチリリと走った。
全員が警戒態勢を解かないまま、油断なくハクの言葉を待つ。
「つがい様にお願いが。
どうぞ神狼国のものにも、千猿国のものにもならないでいただきたい」
人懐こそうな笑みを浮かべているのに、目だけがいやに切羽詰まったように見えるハクの言葉に、みな顔を見合わせた。
「…と、いうと?」
代表して結が問いかけると、ハクは意外にも悲しげな顔をした。
「こちらの国王も我が父、猿王も同じ夢に取り憑かれておるのです。
“ヒト”になりたいという、途方もない夢に」
その言葉に、シルヴァンは国王の真意がうっすらと理解できた。
「ヒトの持つ知識、あるいは迷いびとの存在自身が覇権の象徴となるか」
シルヴァンの言葉に
「いかにも」
全く愚かしい事ですが…とハクは苦々しく吐き捨てた。
その言葉にシルヴァンは、レプスは何やら考えこむような仕草をみせた。
「私の存在自身が、象徴?になるのですか」
ただ1人、結がキョトンとしながら問いかける。
「かつて世界の頂点に君臨していたヒト。
そんな存在が王のそば近くにいるとなれば、それは他の国にとって途轍もない脅威となるでしょう。
少なくとも、我が国ではそう信じる者が多数おります」
それに返されたのは、あまりにも…現実味のない話で。
戸惑いよりも恐れにも似た表情を浮かべる結の、気持ちはわかるとシルヴァンは細い肩を抱く腕に力を込めた。
「でも…あっちの世界で私はまだ大学を卒業したばかりの、半人前でした。
たかが小娘1人の持つ情報など、どれ程のものだと言うんですか。
専門的な知識もなく、何の力もないただの学生にどうしろと言うんですか?」
不安げな問いかけにハクは澄ました顔で
「そちらの事情は存じませんが、迷いびと様が何の力もお持ちでない事は百も承知」
と言ってのけた。
「では何故?」
探るようなレプスの問いに
「迷いびとがどちらの陣営に居るか、それが重要であり、端的に言えば居るだけで他国への牽制となる…らしいのです。
単なる物珍しさ、そんなもので猿王が迷いびと様を望むとお思いか?
迷いびとにはその価値がある。少なくとも王はそう思ってらっしゃる。
あなた様にはそれだけの可能性があると」
結の目を見つめ、ハクは確信をもって言い切った。
* *
長くなりそうなので一旦切って、視点を変えます。




