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狼王のつがい  作者: 吉野
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昔がたり〜グリス〜


宰相であったシルヴァン様が、王都より追放に近い形で最果ての地へ辺境伯として着任した頃、正直俺も彼を侮っていた。



王弟という、血筋のみで宰相に成り上がった妾腹の優男。

大した実力も無く王の怒りを買って流されてきた半端者。


そんなイメージが覆される事になったのは、シルヴァン様が最果ての砦に来て1年も経たない頃だった。



その当時の彼は覇気も、宰相時代の精悍な面影もない、掴み所のない男でしかなかった。


辺境伯として、そして軍の司令官として最低限の務めは果たしていたが、どこか頼りなく俺も副官として誰より間近で見ていても、苛立つ事の方が多い存在だった。



幼い頃から辺境と呼ばれるこの地で育ち、長じて「灰色の悪魔」と恐れられるようになった俺は、シルヴァン様が来るまでは砦の最高責任者を務めていた。


だからだろうか…。


シルヴァン様の危機感のなさに苛立ち、時に後手に回らざるを得ない対応に苛立ちを募らせる毎日だったのは。



その頃、隣国千猿国との小競り合いは日常茶飯事だった。

その度に最前線で猿どもを蹴散らしてきた俺は、問題の根本的な解決など考えもしていなかった。


ただ、奴らを追い払えれば…この地を守れればそれで良いと思っていた。





——中央に奴らには、この地に生きる者の厳しい現実が見えていないのか。



少しでも気を抜くと、隣国から削り取られ奪われる日常。

猿人達との攻防は一進一退のまま、膠着状態が続いていた。




そんなある日、事件が起こった。


シルヴァン様と共に王都からやってきた兎族のレプス…出会った日から最愛のつがいとなった彼女が猿人達に攫われてしまったのだ。



報せに呆然と立ち尽くしたのは、ほんの数秒だったと思う。


全身の血が一瞬にして沸き立つような感覚と、指先からじわじわと冷たくなり凍り付いていくような相反する感覚。



咄嗟に愛剣を引っ掴み飛び出そうとした俺を止めたのはシルヴァン様だった。


「闇雲に飛び出して時間を無駄にするか!」


初めて聞いた大喝に


「やかましい!じっとしていられるか」


と怒鳴り返す。



「頭を冷やせ、今お前が動けば敵の警戒が強まりレプスがますます危険に晒される。

まずは居場所を特定し、一気に救出するのだ」


冷静な指摘も耳を素通りするだけだった。



「そこを退け!」


彼に殺気(ソレ)を向けるのは筋が違う。


完全な八つ当たりだと分かってはいたが、全身から溢れる気を隠す気もなく言い放つと、シルヴァン様は1つため息をついた。


「落ち着けと言っている」


剣の持ち方も知らないお坊ちゃんだと思っていたので油断した。



あっと気がついた時には鳩尾に拳がめり込んでいて、衝撃で息が詰まる。


「ぐっ…」


素早い癖に妙に重たい一撃に、前のめりになった瞬間、首の後ろにもう一撃。


それでも意識を失わなかったのは…殆ど意地のようなものだった。



「ふむ、まだ意識を保っておるか。

さすが灰色の悪魔、レプスがつがいに選んだだけの事はあるな」


「やかま…しい」




一体いつの間に全軍を掌握していたのか。


そんな素振りなど全く、微塵も感じられなかったというのに…。

隙のない命令に逆らう者など誰1人いなかった。


無駄のない捜索でレプスが攫われたとの報せから2時間もたたないうちに、その居場所を特定したシルヴァン様は


「ついてこい、グリス!」


自ら剣を取り、飛び出した。




些細な事も見逃さない目端の利きと的確な指示。


情報の交錯する中、確かな物だけを見極め選んでゆく勘の良さ。


思いきりの良い決断と、複数の事態を想定し手を打ってゆく隙のなさ。


そして、いかに近隣に住う者も含め被害を最低限に止め、かつ彼女を確実に助け出すかという事に重点を置かれ練られた作戦。



その時悟った。


後手に回らざる対応も、あくまで民のためだったという事に。

成果のみを急ぎ、その時の状況にのみ対応するのではなく、5年10年先を見据え相手との関係を変えてゆく。


そのためにこのお方は、あえて時間をかけていたのだと。




——俺は、この方の何を見ていたのか。


と、忸怩たる思いに駆られ拳をキツく握りしめた俺の背を叩き


「必ず助けるぞ」


シルヴァン様は力強く宣言した。


 *


結果的に、レプスは無事だった。


…彼女の命は。



傷のない所を探す方が難しい、無残な姿のレプスを着ていた上着で包み、かき抱いたまま悔しさに震える俺とレプスに、シルヴァン様は


「済まなかった」


と頭を下げた。



「もう少し早く見つけ出しておれば…このような事には」


後悔の滲む声に、唇をキツく噛み締める。



「つがい」という特別な関係性ではない。

けれど、シルヴァン様が王都にいた頃から側近として支えてきたレプスと彼の間には、俺にも入り込めない絆のようなものを感じる事があった。




——お前が謝るな!

レプスは俺のつがいだ、お前のつがい(もの)ではない。




「グリス、お願い…こんな所にいたくない。

連れて帰って」


けれど、レプスのか細い声が俺の昏い思いを断ち切った。




——今、俺は…何を考えた?


シルヴァン様のせいでこうなった訳ではない。

むしろ…いや、俺のせいでレプスは。



俺がもっとしっかりしていれば。

レプスから目を離さずにいれば。

彼女はこれほど痛めつけられる事も、汚される事もなかったのに。


先程だって、闇雲に飛び出してあてもなく探し続けたとて、こんなに早く彼女を探し出せたかどうか。



「済まん、帰ろう」


最愛の女性を出来る限りそっと抱え上げ、大股で室内を突っ切りながら後処理まで任せる事になるシルヴァン様に視線を送る。


返ってきたのは痛ましげな、しかし確かな意思の込められた眼差し。





——何を考えているかわからない、掴み所のない上官などではなかった。



そこに居たのは、誰よりも先頭に立ち部下のため、そしてこの地に住まう民のため、今だけでなく先をも見据えている指揮官だった。


それに対して1つ頭を下げ、俺は可能な限り急いで安全な場所へと向かった。





執拗で容赦のない暴力はレプスの身体を傷つけた。


しかしそれ以上に彼女の心を苛んだのは、せっかく授かった新しい命をその腕に抱く事なく奪われ、2度と子を授かる事が出来なくなったという哀しい事実だった。


 *


そのレプスが、ユイの前で偽りのない笑みを浮かべている。


その姿に何故か胸が熱くなった。



あの時たくさんの涙と共に諦めた「母になる」という夢が、今叶ったような…不思議な感覚。


ユイの素直な性格によるところも大きいのだろうが、幼い頃に母を亡くしたというユイはレプスを母のように慕い娘のように接してくれた。


血の繋がりはないけれど…ぎこちなくも、多少歪ながらも「親子」の形を成してきた2人を見ていると、妙にこそばゆいのと同時に微かな胸の痛みを呼び起こす。



「…おじ様?どうしたんですか?難しい顔して」


「この人の難しい顔は昔からよ」


最近は特に、軽口もよく叩くようになったレプスの頭をごくごく軽く小突き


「誰が怖い顔だって?」


と凄んで見せると、2人はキャーっと笑い崩れた。




——こんな穏やかな時を、過ごす事が出来ようとは…。


レプスと2人きりでも幸せだと思っていた。



けれど、ユイと3人の暮らしを知ってしまった今は…。




——この子の笑顔を守りたい。


かつて存在すら知らず、守れなかった「我が子」の分まで。


と強く思ってしまう。



それは恐らくレプスも同じだろう。


王都より来ている国王の使者に疎まれようと、国王に悪感情を抱かれようと…。



今、手の届く距離にユイが居るのなら…彼女がそれを望んでくれるのなら。




たとえ代わりでも「父」と「母」として…。


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