お嬢様、お気を確かに
しばらくぶりの更新となります!
「うんん……」
眩しい光に誘われ、思い瞼を開いたセシリアは、いの一番にカルロスと見つめ合うことになった。
「カルロス、私……」
「セシリア様、ご気分はいかがですか」
流石は一流執事と言うべきか、カルロスのセシリアを気遣う様は冷静だ。ただ、その目にはたしかに、憤怒一歩手前の色が浮かんでいる。
「ごめんなさい、迷惑かけて」
「いいえ、セシリア様がご無事であればよろしいのです。ただ、“あれ”からセシリア様をお守りできなかった我が身が情けない」
「そんなことないわ。倒れる前に支えてくれてありがとう。……それで、あの生き物は今どこに……?」
首をめぐらしても、どこにも謎の生物がいない。逃げてしまったのだろうか。
「あれでしたら、慌ててどこかへ飛んでいきました。そのようなことよりも、セシリア様、お屋敷に戻りましょう」
カルロスに支えられながら立ち上がり、森の出口へと足を踏み出す。と、反対の方角から騒がしさが近づいてきた。
その場で声の持ち主を待っていると、現れたのは先程の生物と青年だった。
「早く、ジュセ!ここにお姫様がーって、もう起きてる!」
ガーンという擬音語が脳裏に浮かぶような顔で生物が項垂れる。
そんな生物を相手にせず、青年はセシリアの方に目を向けた。
「連れが迷惑を掛けたみたいだな。悪かった」
動きやすい長さに整えた蘇芳色の髪を揺らし、容姿端麗な顔立ちに真紅の瞳を宿す彼は、にこりともせずに言った。あまり言葉に感情がこもっていない。
その雰囲気に危険を感じたようで、執事が咄嗟に、セシリアを背に庇った。
「それ以上、こちらに近づかないでください」
「はっ、初対面でそれか。気を使うだけ面倒だな」
そう言い放った途端、彼の雰囲気はガラリと変わった。感情を読み取らせない異様な雰囲気から、気だるさ全開の親しみさえ感じる雰囲気に。
「あー、お前は怪我とかねえか?」
「おまっ!? あ、あなた、私が誰か知った上で言っているの!?」
セシリアはこの国有数のお嬢様であり、生まれてこのかた一度も、父や兄以外から「お前」などと言われたことはない。故に、得体の知れぬ男に「お前」と呼ばれることには、驚きと共に悔しさやら嫌悪感やらがあった。
とはいえ、そんな彼女の事情など、初対面の男には分かるはずもなく。
「はあ? 初対面なのに知ってる訳ねえじゃん。馬鹿かお前」
「ばっ!?」
だめだ、屈辱感が過ぎて意識が再度飛びそうだ。
足元がふらつき、視界が霞む。しかし、結局意識は飛ばなかった。すぐそばで、滅多に聞かない絶対零度の声が聞こえたからだ。
「お嬢様を侮辱するな、下郎が」
「っ、カルロス!」
彼が口を悪くするのは、怒りのボルテージが頂点に近い証拠だ。その感情を爆発させてしまった後のカルロスは、いかにセシリアであっても簡単には宥められない。
「カルロスっ、私は大丈夫だから! 落ち着いて!」
その一言で平静を取り戻すあたり、本当にこの執事は優秀である。
カルロスは一息ついてから、青年を殺気立った目で見据えた。
「……今回は目を瞑る。が、不法侵入の罪には問わせてもらう。ここはお嬢様のお庭だからな。ということで名を言え」
敵がい心が拭えていないカルロスの台詞は、殆どの人間が震え上がるものだろう。ところが、カルロスを気だるげに見据える青年の口元には、一拍おいて笑みが浮かんだ。
「お前に、〝お嬢様〟の台詞をそのまま返したいよ。まあいい、自己紹介くらいはしておいてやる。……俺はジュセだ」
「あっ、ボクはロノンだよー。ヨロシクね、オジョウサマ!」
きゃっきゃっと可愛らしい姿で足に戯れてきた生き物……今彼が、カルロスの卓越した気配探知網を軽々とかい潜ったことは無視しよう。
「ロノン……?」
「そう! ボクはね、聖獣なんだー」
「聖、獣……」
たしかに、彼は不思議な姿であるものの、聖獣などいるわけがない、と一蹴したい気分ではあるが……色々考えるのは面倒くさい。一回意識を失って疲れた。
「そう、聖獣なのね。……あ、私はセシリアよ。セシリア・クレハート。よろしくね、ロノン」
「うん!」
えへへ、と顔を綻ばせるロノンを抱き上げ、自分と目線を合わせてみると、彼の目は黄金の輝きを放っていた。中々に神秘的だ。その輝きを見てから、彼の飼い主らしき青年の方に目を向ける。と、彼は不満げにこちらを睨んでいた。
「自己紹介するなら、先に俺に対してが礼儀ってものだろうが」
「貴様如きがお嬢様のご配慮を望むなどおこがましい」
「あぁ? そういやお前の名前、聞いてなかったな。死ぬ前に一度聞いておいてやるよ」
「カルロス・ノーウッド。誇り高きクレムレア家の執事だ。冥土の土産に覚えておけ」
そう言うや否や、カルロスの手に手品のごとくナイフが握られた。見れば青年の手にも短剣がある。二人ともやる気だ。
「カルロス、やめなさい!」
「セシリアの前でやめてよジュセー」
……止める側の温度差は一体何なのだろう。
何はともあれ、ロノンの気の抜けた制止に両者とも興が削がれたらしく、不本意そうに得物を仕舞った。
「……お見苦しいところをお見せ致しました。申し訳ございません、セシリア様」
「気にしないで。……ジュセさん、でしたわね。我が家の執事が失礼を。申し訳ございません」
「なんだ、お嬢様の方がよっぽど理性的で賢明だな」
「ふふふ……」
うちの執事を馬鹿にするこの人、一発殴ってもいいかしら。
そう思い拳を握った、その時。ジュセの顔面に向かい、ロノンが頭突きを繰り出した。ゴンッといういい音がしたことからして、かなり痛そうだ。
「セシリアにカッコ悪いトコ晒さないでよ、ジュセ!」
「ロノン……お前石頭だってこと忘れてるだろ……」
額を抑えて睨むジュセから、そっとロノンが視線を逸らす。自分の頭の硬さを忘れていたに違いない。
ジュセの殺気から逃れる為か、ロノンは軽く飛んでセシリアの腕の中に収まった。
セシリアがそっと頭を撫でるだけで、気持ちよさそうに目を細める。
「可愛い……」
「にゃ~」
「おい馬鹿、その鳴き声は猫だ」
ジュセのささやかなツッコミも意に介さず甘え続ける姿に、セシリアがぞっこんになるのは一瞬だった。
「ああもう、かわいい! ねえロノン、私の邸にいらっしゃいな。何日でも泊まっていけばいいわ」
「えっ、いいの? 宿がなくて困ってるところだったんだー! ジュセ、セシリアのお家に泊めてもらえるって!」
「マジか。でかした、ロノン」
「セシリア様、お気は確かでございますか! このような不逞の輩を神聖なお邸に招き入れるなど……」
執事がなんと言おうと、ロノン最優先の頭に切り替わっているセシリアの意思は覆らない。飼い主は気に入らないが、ロノンは是非家に引き止めたいのだ。
「カルロス、私が泊めると言ったのよ。文句があって?」
「……いえ、セシリアの仰せのままに」
カルロスは納得のいかない顔でジュセを一瞥し、セシリアに向かい頭を垂れた。
そう、お嬢様の決定は絶対だ。
「さあ、案内いたしますわ。こちらへどうぞ」
セシリアが自らジュセを導く。その腕の中では、ロノンが蕩けきった顔でぬくぬくしていたのだった。
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