お嬢様、雪でございます
ドッキリは心臓に悪いですよね。
しんしんと降る、冬の雪。それが地上を覆った時、窓の外には一面の銀世界が広がる。
「ねえカルロス、森の中はさぞ美しいだろうと思わない?」
森に囲まれた、どこか中世の王城を思わせる屋敷の一室で、彼女は言った。
艶やかな黄金の髪を腰まで伸ばし、サファイアの瞳を窓の外に向けている彼女の姿は、ただソファーに腰掛けているだけで絵になる美しさだ。
洗練された動きでカップを手にした彼女に、ソファー脇に控えていた青年——カルロスは、柔らかい眼差しを向けた。
「そうでございますね。セシリア様には敵いませんが……木漏れ日が照らす雪は、それこそダイヤのような輝きでしょう」
「……カルロス、さらっと私を持ち上げるのはやめてちょうだい」
うっすら頰を赤くした美女——セシリアがカルロスを睨む。しかし、それすらも愛おしいと言いたげな彼の微笑みに、セシリアの方から目を逸らしてしまった。
赤褐色の髪を少しばかり後ろで束ね、漆黒のスーツに身を纏った彼は、セシリアの一家に並び、巷では知らぬ者のない美青年だ。彼の薄緑の瞳に見つめられ腰を抜かした女性もいるとか、いないとか。そんなカルロスは決して、セシリアの恋人やその類ではなく、もっと近しい存在だ。もっとも、手っ取り早く説明してしまえば、彼はセシリアの執事なのだが。ただ、この執事は親バカなセシリアの両親もびっくりな親バカ、もとい執事バカで、ほぼほぼ家族である。
「……カルロス、今から森へ遊びに行けないかしら」
カルロスの執事バカぶりから目を背けるため、そんな提案をしてみる。と、直後に冷静な声で「行けません」と返された。見れば笑顔が一気に作り物めいている。
「このような気温の中では、お風邪を召されかねません。お身体を大事になさってください」
「大丈夫よ。お父様が買ってくださったコートは暖かいし、ブーツだって、」
「なりません、セシリア様」
「……どうしても?」
「どうしてもです」
「……」
こうなったら仕方がない。
セシリアはゆっくりと手を合わせ、カルロを見つめながら小首を傾げた。
「ねえ、お願い、カルロス?」
対執事用秘技、「断れないほど可愛いおねだり」だ。この技(?)が失敗したことは数えるほどしかない。
今回も秘技は効いたらしく、カルロスの目の奥が揺れた。
「……お嬢様、その技は卑怯でございますよ」
「せっかくの機会に、頼める人があなたしかいないのだもの。ねえ、少しだけならいいでしょう?」
ね、と駄目押しの一回とばかりに微笑んで見せれば、彼は呆気なく降参した。
「森にいらっしゃる時間は、一時間まででございますからね。……用意してまいります」
「ありがとう、カルロス!大好きよ」
セシリアの満面の笑みに微笑みを返し、部屋を出たカルロスは、セシリアが紅茶を飲み終えるまでに戻ってきた。その手には、いかにも高価そうなコートやマフラー、手袋がある。
「さあ、万全のご準備を」
サッと広げられたコートの袖に、席を立ったセシリアが腕を通す。その瞬間の暖かさは、少しばかり、カルロスの愛情に思えた。
*****
森に入って早数分。セシリアは木漏れ日が照らす雪の眩さに、微笑みとともに目を細めていた。
「綺麗ね、カルロス」
「ええ。セシリア様、寒くはございませんか?」
「平気よ。……あっ、今キツネが見えなかった?」
「キツネでございますか?それは危ない。さあ、お屋敷に戻られ、お嬢様!」
執事が止めるよりも早く、セシリアは雪の上を走っていた。キツネなど、こんな土地に住んでいても滅多にお目にかかるものではない。執事に、森行きを阻止されるから。
カルロスに捕まらぬよう全力で足を動かし、雪の上を駆ける。これでも運動神経はいい方だ。優秀な執事を寄せ付けない程度には。
少し後ろで、「セシリア様!」と必死に呼び止める声が聞こえる。しかし、それで止まるお嬢様ではない。
「どこに行ったのかしら」
走りながら首をめぐらし、キツネを探すが、姿はどこにもなかった。
キョロキョロと辺りに目を配り、足を動かす。
その時だ。
「っーー!?」
突如頭上から襲撃され、セシリアからは声にならない悲鳴が漏れた。
「わーい、びっくりした?」
えへへ、と呑気な笑い声が聞こえ、セシリアの体が固まる。
今の声、頭上からしなかっただろうか。
頭にかかる重さがなくなり、目の前の雪上に何者かが飛び降りた。
晴れ渡った空と同じ色の毛、鳥のような羽根、狼のような顔……。
「ふ……」
認識した途端、プツンと意識の糸が切れ、視界が霞んだ。執事の悲鳴のごとき叫び声が聞こえる。そして、意識が消える直前、セシリアの身体はしっかりと彼に支えられた。
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