その8.空飛ぼうぜ!
僕と恩戸くんが同じ講義を受け終えて、二人で中庭に出てくると。
「風に……乗る!!」
芝生の上で腹ばいになって、両手を広げてじたじたしている先輩と、
「ぎゃん!」
尻もちをつく翠さんがいた。ラクロスのユニフォームを着ているけど、ボールもラケットも見当たらない。
「…………えーと、何してんすか?」
「空飛びてーからその練習。うおー、風の声を聞けー!!」
果たしてその厨ニ台詞は必要なのかどうか。
あれ? と僕は浮かんだ疑問を口に出す。
「翠さん、初めて会ったとき4階まで飛んできたじゃん」
先輩もうなずく。
「そーいやそうだ。なんでできなくなってんだ、翠」
「まっじで?!」
恩戸くんが異様に食いついた。なるほど、理系は事実に弱い。
「あれは壁駆け上がっただけだから、こう支えがないとねー」
「なるほ、ど?」
分かるような分からないような。
「よっし、分かった! こうだ、飛べ翠!」
翠さんの両腕を後ろ手にがっしりと掴んだ先輩が、いきなり走り出す。
「わあああい!」
先輩に引っ張られて、浮かびあがった翠さんがふよふよと前に進む。先輩は真っ赤な顔で走り続ける。
おお、と恩戸くんが歓声を上げた。
「飛べてるじゃん。凧揚げの要領だな」
「……え、で? まさかこれで完成形?」
僕は恩戸くんと顔を見合わせてから、
「せんぱーい、それ見た目すっげーダサいよー」
運動会の組み体操のような状態の二人に声をかけた。
恩戸くんがぽんと手を叩く。
「あ、先輩、そっから手ぇ放して、翠んこと飛ばせば? 紙飛行機みてぇに」
「それだ!」と先輩。
「何言ってんの待って無理無理!!」
翠さんが悲鳴をあげて先輩の腕にしがみつく。
「そうですよ着地どうすんすか、って、あ」
「うわ」
先輩がけつまづいて、コケた。
「ぎゃん!」
翠さん、先輩を越えて、顔面から墜落。
「だ、大丈……」
僕が駆け寄る前に、翠さんはがばりと起き上がって、すぐ後ろで身を起こした先輩に掴みかかる。
「ポイ捨て禁止ー!」
「仕方ねぇだろコケたんだから!」
「わたしの下敷きになるとかいう奉仕の心は?!」
「ねぇよ!」
小学生のように取っ組み合いのケンカを始める二人。
思案顔の恩戸くんが、あごに指を当ててうめく。
「なんかこう、ホバークラフト的な要領で衝撃和らげれば良かったんじゃね」
「ホバーってなに! わかるように言いなさい!」
先輩の捕獲に成功した翠さんが、先輩のほっぺをむにむにしつつキレ気味に怒鳴る。先輩は何だかふごふご言ってる。
恩戸くんが視線を宙に投げて。
「だから、あー、そうだな、ペットボトルロケットとか、噴水を逆さまにするとか、なんつうの、蛇口目一杯ひねって床に近づける、とでも言えば分かるか?」
想像したらしい翠さんが眉を寄せる。
「縦に飛ぶスーパーマンなんて見たくないよ気色悪い!」
「ちっげぇよ飛び方じゃなくて今の墜落の話だよ! ……あぁわかった、俺の装備貸してやるから。それでちょっとマシになんだろ。ヘルメットもバイクんとこにあるし」
言いながらしゃがみこんだ恩戸くんが、自分のズボンのすそを捲りあげた。黒い金属製の膝当てを外す。
「……なにそれ」
僕はそれを凝視する。
おおよそ、ただの大学生が大学来るときに着けるものじゃない。
「ほら、いつでも先輩に挑めるように?」
「よーし、ならそれ今すぐ割ってやろ」
にんまり笑って手刀を構えた先輩が、恩戸くんに近寄ってくる。僕の目の前を通り過ぎようとしたその襟首を引っつかんで「どうどう」とあやす僕。
「大人げないですよ先輩」
僕の奇襲につんのめって、おっとっと、と数歩戻ってくる先輩。
「そゆこと言うなら、お前こそ俺のガキ扱いどうにかしろな?」
先輩の頭部を撫でていた手をぱしんと払いのけられる。
「ほどよい長さに切りそろえてる先輩が悪い……」
いつも短めに切ってるから良い感触がするのだ。
つい、わしわしと撫でたくなる感じに。
例えるなら、そう、犬か。犬だ。
「おお本当だ」と恩戸くん。
「わぁほんとだ!」と翠さん。
「押すなバカ縮む!!!」
ごう、と先輩を中心にして突風が巻き起こる。恩戸くんと翠さんの二人を向こうの芝生まで吹っ飛ばした。
はぁはぁと赤い顔で息を吐く先輩。
「いやいや俺らと樫月との扱い、違いすぎね?!」
恩戸くんがベンチの向こうから叫んでくるのに、
「死活問題だからね」
僕はしたり顔でうなずいた。
僕は出来る限り体重をかけないように撫でているからね。優しいから。
「……過去、なんべん、ブッ飛ばしたことか……」
地を這うような重低音で先輩が答える。うん、懐かしいなぁ。
「いやー、もう丸刈ってしまえよお前さん、それは撫でてくれと言わんばかりだよ、そりゃみんな撫でるよ縮むよ仕方ないよ、天命だよ」
翠さんがひょこひょこ戻ってきて、同情じみた目で言う。もとい、追い詰める。
先輩は頭を守るように両手を置き、翠さんからじりじりと遠ざかりつつ言う。
「俺は、ネオ野球部を、貫く……ッ!」
「意味分からーん」
同じく元野球部の恩戸くんは、面影もなく伸ばしている自身の黒髪をがしがしと掻いた。
「おい恩戸、早くヘルメット持ってこい! 翠はいいから俺にかぶせろ!」
翠さんから一定の距離を保ちながら叫ぶ先輩に、
「大丈夫、二人分あっから」
恩戸くんが答えるなり、その意味に気づいて盛大な舌打ちを鳴らす先輩。
「これだからリア充は……」
「この前、樫月とも乗ったけどね」
「うん」
「……避妊はしろよ」
「怒るよ先輩」




