その6.重量物をぶん回す攻撃を人は頭脳戦とは呼ばない
「ここでいいか」
恩戸くんがバイクを停めたのは、とある居酒屋の前。まだ早い時間なのに、やけに混み合っている。
僕はヘルメットを返しながら、周囲の人通りを見回す。
「ここ? 先輩来たらヤバくない?」
「先輩、人目は気にする人だろ? 入学当初のあの大騒ぎは事故みたいなもんだと見た」
「うん、まぁ、あってるけど」
「ここなら、なんかあっても酔っ払いってことでごまかせるしな」
がらりと引き戸を開けて入っていく恩戸くん。
「そうかぁ」
うーん、ごまかせるかなぁ。
まぁ、ここは大人しく首席の戦略に従うことにしよう。
席に着くなり、新米バイトっぽい茶髪女子がやってきて、おしぼりと二人分のお通しを置いて速やかに去っていく。
「え? あのこれ注文ミス」
慌てたようにそう言って廊下に出て行こうとする恩戸くん。僕は去りゆくTシャツの端を掴んで引き止める。
「違うよ恩戸くん、これはサービス」
「え、そうなの?」
「そうなの。居酒屋は大抵こう」
「ふぅん。樫月って浪人生?」
「ううん、未成年だけど。高校時代から先輩に居酒屋連れこまれ放題だったから、そこそこ慣れてる」
「ああそう。なら注文任せてもいい? 俺、食えないもんないから、なんか適当に」
「分かった」
タッチパネル式のメニューを充電器から取り外す僕の向かいで、恩戸くんがウチの大学のエンブレムが入ったクラッチバッグからMacBookを取り出した。テーブルに乗っけて開く。ローズゴールドの金属板の中央で、齧りかけのリンゴマークが僕の前で優しく灯る。かっこいい。
僕は食べたいものを適当に注文して、旧式のやたらと重いタブレットをスタンドに戻した。
恩戸くんの静かなタイピング音がしばらく続いて。
「さてと。作戦会議しよーぜ」
パタンとパソコンを閉じてから、僕に向き直る。
齧りかけのリンゴマークがしょんぼりと消灯するのがちょっと惜しまれる。それを目で追っていたら、僕の目線に気づいた恩戸くんが「これ?」と言いながらまたトップカバーを開けてくれた。優しい。
「作戦? こっからどう逃げるか?」
でも、どーせ明日も講義あるしなぁ。
ていうか僕は家まで割れてるし。
「いや、先輩に勝つための作戦。どうしたらいい?」
「……ううん?」
運ばれてきたジンジャーエールで乾杯して。
「なら、まずさ、先輩が仕掛けてきそうな攻撃教えて」
「そう言われても……」
顔をしかめて黙り込む僕に、身を乗り出す恩戸くん。
「心配しなくても、これ、ただの俺個人の興味であって、別に悪用したり誰かにバラしたり各種メディアにリークしたりしねぇから。あ、念書書こうか?」
「ううん。そういうんじゃなくって」
何と言ったものか。
僕は赤いストローをくわえて、氷の溶けてきたジンジャーエールを掻き回す。
「僕、先輩が暴れるの、まだ一度しか見たことなくて。そのときのことなら話せるけど、それだけの情報で勝てるかって言われると分かんない」
「まじ? まさかの未知数?」
「うん。お役に立てず」
うなずいて、来たばかりの枝豆に手を伸ばす僕。
「ていうか、何でそんなに先輩にご執心なの? 恨み?」
恩戸くんが軟骨のからあげをもぐもぐしながら答える。
「高校の試合の帰りに偶然見かけたんだよね、先輩が空き地で黒猫連れて黒コート着て、手から雷みたいな電撃出しながら縄跳び振り回してんの」
何してんだ先輩。
「そういう人とは、ぜひともわたりあいたいじゃん?」
「いや意味分かんないけど……」
何その戦闘本能みたいなの、さも当たり前みたいに。
初めて見た、リアルバトル脳の人。
ああいや、先輩もそうか。
「……あ、じゃあ先に僕と一戦やる? たぶん僕のほうが先輩より強い気がするんだよね、分かんないけど」
「ええ、あの人そうとうヤバイだろ」
「うん、だから僕はそれ以上にやばい奴」
「……ああそう?」
気の抜けたような返事をした恩戸くんが、ちらと天井を見上げる。
「うーん、いや、やめとく」
「そっか」
ちょっと残念。先輩より先に恩戸くんの本気、見てみたかった。
「あ、先輩からめっちゃ電話きてた。あ、今かかってきたけど」
「出て出て」
何でそんな楽しそうなのか。わくわく顔の恩戸くんを眺めつつ、僕はスマホを耳に当てる。
「もしもーし」
脳天気に出た僕の声にかぶせるようにして、地を這うような重低音。
『速やかに現在地を述べろ』
「えーっと、人目のあるところです」
『速やかに移動しろ』
「樫月、貸してー」
ひらひらと手を揺らす対面の恩戸くんに、僕はスマホを手渡した。
「もっしもーし、先輩? そーっす、さっきの奴っす。
で、人生で初めてバナナの皮ですっころんだ感想は?」
なんだそれ。
僕の困惑をよそに、ニヤニヤ笑ったままの恩戸くんが言う。
「待ち合わせしよーよ。15分後に、今から言う住所に来て」
てきぱきと段取りを整え、通話の切れたスマホがぽいと返ってくる。
僕は聞いた。
「ねぇ、バナナって、なにしたの」
「ちょっとね、トラップ的な? 時限装置的な?」
ウインクをひとつ、かたわらのリンゴマークを指さす恩戸くん。
どんなトラップだ。
「それ食べ終わったら行こう。作戦会議はもういーや。充分あおれたっぽいし、あとはアレコレ考えるより、力押しだな」
「……あのさ、頭、いいんだよね?」
「頭回る奴がいつでも合理的な言動をするのかと聞かれたら、全力で否定する」
「うん?」
「俺はね、無思考の非合理性を愉しむタイプなの」
えーっと。
「……あえて考えナシに手を出すタイプ、ってことであってる?」
「そうともいう」
からっと笑う恩戸くん。
***
そうして恩戸くんに連れられていった集合場所は――
音楽スタジオだった。
「うわぁすごい、なんかテレビで観るやつだ!」
僕は水族館のような巨大なガラスに張り付いて、部屋の中をのぞきこむ。びっしりと並べられたレコーディング用の機材を順に見て行く。
「あっちに、閉じ込められたら発狂する部屋もあるぜ」
『無響室』と書かれた扉を指さす恩戸くん。
「ええ何それ怖い。あ、あのマイク!」
「楽しそうで何より」
けらけらと恩戸くんが笑い、防音扉の重いノブをガコっと引き開ける。
「ここ、丸ごと借り切ったから、どんだけ暴れても大丈夫」
案内されるままに足を踏み入れた「スタジオA」で、僕はぴたりと動きを止める。
「……え? 屋内で大丈夫?」
「え。建材壊すほどなのか?」
僕は壁に近寄って、その防音壁をコンコンと叩く。確かに普通の壁と比べたらかなり頑丈そうだけど……
「うん、たぶん」
岩壁作るとか火ぃ飛ばしたりしたわけだし。
まじかよ、と額を押さえる恩戸くん。
「出よっか」
「おう、急ぐぞ」
腕時計を確認した恩戸くんの隣、先輩に場所変更の連絡を入れるべく僕はスマホを取り出し、
「あ、ここ圏外だぞ。上行かないと」
「ほんとだ」
防音扉が外側から勝手に開いた。
「あ、せんぱ」
先輩の姿が目に入ったとたん、
ごうっ、と謎の轟音。
何を知覚したわけでもないけど、本能的に右に跳んだ僕の横、間一髪で床のカーペットがビィッと一直線に裂けた。
おお、と恩戸くんの歓声が聞こえるが、それに答えるのは後回しだ。
「――なんで、真っ先に僕?!」
「寝返ったほうが重罪なんだよ」
まっすぐに僕を睨みつけ、握りしめた拳からごきりと変な音を鳴らす先輩。
「僕がいつ先輩の味方だったことがありましたっけね」
「え」
「え」
「恩戸くんまで!」
「まぁいいや。そこのソイツも、覚悟できてんだろうな」
先輩が恩戸くんをびしりと指さす。
恩戸くんはニヤリと勇ましい笑顔でそれを見返す。
おもむろに持ち上げたギターケースを軽々とぶん回し、飛びかかる恩戸くんを、
「フン」
白けた目の先輩がひょいと避け――
恩戸くんがニヤリと笑った口元が、僕のところからはっきり見えた。
大きく踏み込んだ右足にぐっと力が入る。ギターケースから両手が離れる。
ぐん、と急に進路を変えた巨大な鈍器が、至近距離にいる先輩の側頭部に迫る――
先輩は目線だけを動かして、ついと眉を寄せた。
それだけで。
ぱぁん、と盛大な破裂音。
先輩に触れる直前のギターケースが粉々に砕かれて、破片が飛び散る。
「ノーモーションなしって、自分で言ってたのに……」と僕。
「よく見ろ、目ぇ光らせてるだろーが」
先輩が僕のほうに顔を向ける。
「あ、ホントだ赤ーい。うずいてるうずいてる」
破片の降る中、赤い目の先輩が腕をブンと大きく振り、
「うっわ!」
恩戸くんがマヌケな声を出して吹っ飛ばされる。
どこのザコキャラだってくらいに、紙切れみたいに。
「ぐわ!」
そのまま、背中から壁に激突した。ドカン、とものすごい音が部屋中に轟く。
壁際に積まれていた段ボールの山が崩れ落ちて、中からライブのチラシとギターの弦のようなものが飛び出す。
なおも腕を振り上げる先輩。
段ボールに埋もれたままの恩戸くんが両手をあげて、あわてて叫ぶ。
「降参降参!!」
「え、もう?」と僕。
「弱っ」と先輩。
がさごそと段ボールが音を立てる。
「痛ってて。はー、やっぱ無理かぁ」
後頭部を押さえてのそりと身を起こした恩戸くんは、相も変わらずへらへら笑っていた。どっかのネジが飛んだのか、それともドMなのか、とにかく。
「あっ血ぃ出てる。先輩、回復魔法!」
「自分から突っかかって来たんだろ」
「なんで防がなかったの?」という僕の質問に、
「あんなん防げるかよ」と苦笑する恩戸くん。
「ああ、恩戸くんバリアだせない人?」
「まじかよ見して! どんなん?!」
にわかに食いついてくる恩戸くんを見て、僕はようやく違和感に気づく。
「……そういえば、恩戸くんはちりちりしない」
そう呟いただけで、僕の言いたいことをすぐに理解したらしい恩戸くんは、からりと笑って、
「ああ、俺はあんたらとはちげーよ。高校時代、野球部でね」
先輩を指さした。
「さっきの空き地の話?」
「いや、確かにケンカふっかけたのはそれキッカケだけど。最初に気づいたのは、何回か試合で見かけて、なんか変な動きする人がいるなぁと」
僕は唖然と先輩を見た。
「み、翠さんに注意しておいて、あんたもやってんじゃねーすか、スポーツマン!」
先輩は唇を尖らせて、後頭部をぼりぼりと掻く。
「っかしーな、俺あんなあからさまにやってねーぞ。筋力増強とかマウンド整備とかそういう地味めの」
「やってんじゃねーすか……」
げんなりする僕のよこで、まぁな、とうなずく恩戸くん。
「肉眼で見ててわかる人は少ないと思うぜ。うちはほら、試合映像かき集めて何度も観て徹底的に分析するトコだったから。それでもたぶん気づいたの、同じ市内の高校で、同じポジションだった俺だけ」
「げ」と先輩。
「先輩?」と僕。
先輩の目がすうっと細められる。
オイ、と低い声で恩戸くんを呼んで。
「偏差値」
「ん?」
「偏差値」
「えーと、ろくじゅう……」
言いかけた恩戸くんに、首を振る先輩。
「受験期じゃなくて、お前の自己ベスト」
「先輩のガッコのこと知る直前の統一模試は、81だったね」
「ふーん、そんな数字覚えてるのがすごい」
僕は謎の音響機器たちを眺めながら小さく呟く。自分の数字はもちろん、そもそもまず偏差値ってどうやって計算すんだっけか。
恩戸くんのその数字が高いのかどうかもよく分からない。
眉間に深いしわを刻んだまま、ぴっと出口を指さす先輩。
「よし。どこでもいい、今すぐ編入試験受けてこい」
「えぇー入学数日で?」
けらけら笑う恩戸くん。
「つーか先輩、僕のときと扱いが違いすぎません?!」
「アホかお前、こいつあれだぞ! 日本一、大学選び放題の高校だ!」
「なにその言い方ー」と笑いつつも否定しない恩戸くん。
さすがの僕も顔をひきつらせる。
「な、なるほど。先輩がドロップアウトさせたと……」
「ほんとそれ。先輩、まさかの文系学部行くんだもん、俺ばりばりの理系男子だったのにさぁ。大慌てで年号とか古語辞典とか丸ごと頭に突っ込んだんだぜ」
「お前の苦労話は聞いてない。とっとと……」
「あのね、俺追い出したら学部長が黙ってないぜ? いいのかなぁ先輩、就活んときに推薦とかもらえないかも知れないよ?」
「……」
押し黙る先輩。あながち冗談でもないかもしれないのが怖いところだ。私立大は知名度に弱い。
「……で、たかが一般人が俺様に何の用だ?」
話、そらした。
「んー、見ての通り。そのまんまやっても勝てやしないから、だからこうやって頭脳戦けしかけたって訳で」
先輩が変顔を浮かべる。
「……重量物をぶん回す攻撃を人は頭脳戦とは呼ばないぞ、良く覚えておけ」
僕は目をしばたかせて。
「でも、最初会ったときのと、さっきのあれ、すごかったよね。絶対お仲間だと思ったのに。どうやったの?」
「応力とか遠心力とかモーメントとか、なんかそーいうの計算してんだろ」
「まぁ大雑把に分かりやすく言うとそんな感じ。加速度センサとかモーターとか、色々入れてあんだよあれ」
「へぇ」
目を輝かせる僕に、
「お陰様で短期決戦で文系科目詰め込んだから、理系の知識中途半端にすっぽぬけちまったし、計算式含めてほぼ自己流だけどな。説明しろと言われてもできないぜ」
「安心しろ、説明されても分かんねぇよ。……オイその馬鹿にした目はなんだぶっ殺すぞ」
手近なパイプ椅子を引っつかむ先輩を慌てて止める。
「出よっか」と出口を指さす恩戸くんに続いて、僕と先輩も「スタジオA」を出る。
先を歩く恩戸くんが言う。
「ホントは入学してすぐ、声かけようと思ってたんだけどな。あんたらあの一件で結構有名になってたから、人目しのんで話しかけるタイミング掴むのに、ちょっと手間取って」
「あの一件?」
「うん、ほら、女子ラクロスサークルの、あの現代に生きるリアル魔法少女に懸想……いや、欲情して、」
「なんでそこ言い直した?」
先輩のツッコミを無視して、恩戸くんが続ける。
「ストーキングして、男二人でメルヘンなケーキ屋に入りびたってるっていう、伝説の盗撮犯?」
ひどい冤罪だ。
「一回しか行ってないのに……」
ぼやく僕。
エレベータのボタンをカチカチと何度も押しながら、先輩が不満そうにぼやく。
「つーかなぁ、男にモテてもなぁ。俺だろ、お前だろ、あの暴走女だろ、って来たら男女比で言うと、ここは女だろうが」
「先輩、女顔だからちょうどい……ぶっ」
がすん、と僕の額と柱との間から、ものすごい音がした。
後頭部から離れていくのは、たぶん先輩の手。
「おー痛」
額からコンクリの破片を払う。ぱらぱらと落ちる白い粒。
「その一言で済むのは樫月だけだろうなぁ」
うらやましそうに恩戸くんが言った。