その4.浮くのやめない?!
「――あのさ、余計目立つから、浮くのやめない?!」
耐え切れなくなった僕は、背後に向けてそう叫んだ。
大学構内を駆け抜けて、なるべく人通りの少ない道を選んでしばらく走ったあと。
依然として人目が気になる気がして、不思議になって振り向けば、そこには僕に手を引かれて宙に浮いたまま前へと移動している、つまりなんていうか、エア水上スキー状態の女子がいた。
そりゃどんだけ走ってもざわめかれるわけだ。
ぜーぜー言いながら通りを走る男子大学生二人と、その一人と手ぇ繋いで、ジャージ姿でラケット持って、宙に浮いてる女子。
「えーこれ超楽なのにー」
「はーい、手ぇ離すよー」
しらけた目で誘導員さんみたいに言って手を離す僕の後ろで、春色のスニーカーが軽やかに着地。
先を走る先輩が顔をしかめて女子に言う。
「お前よくそんなで、その年まで研究所とかに捕まらなかったな」
「うん。困ったときは、車ひっくり返す!」
両腕をぶんと振り上げる勇ましい女子に、
「「……は?」」
僕らは同時に振り向いた。
「大丈夫、正当防衛だよって、能登ちゃんも認めてくれてるから」
ニッと白い歯を見せて笑い、Vサインをつくる女子。
ピンク色のネイルアートに目がいく。
「えっと、……能登ちゃんって、誰?」
「うちの近所の駐在さん。電話したらすぐ来てくれるよ」
女子は僕の質問にそう答えて、じゃらじゃらと美味しそうなストラップのたくさん付いたスマホを揺らしてみせた。
はあ、と前方から先輩のため息。
「警察のご厄介になってるのかよ……」
「なんでそーゆーふーに言うの。私、悪くなくない?」
むっとして僕に同意を求めてくる視線。僕は眉を下げて。
「悪くはないけどさ……」
「いいや、悪いね」
「先輩?」
「スポーツでは使うなよ、ルール違反もいいとこだぞ」
いつになく語気の強い先輩に、くりっと首を傾げる女子。
「風を起こしちゃいけませんってルール、ないでしょ。いつも協議になるけど、減点や失格になったことはないよ」
「……まぁそりゃあなぁ」
誰が見ても科学的根拠の限りなく薄い現象だ、下手な判断をしたらむしろ審判が笑われる。
とかそんな話をしながら駅前まで来たところで、声がかかる。
「翠ー!」
「あ、来た来た、ありがと楓子!」
ラクロスサークルの仲間らしい子が、通りの向こうに自転車を停めて、二人分の荷物を持って駆け寄ってきた。
頓狂女子は、どうやら翠という名前らしい。
やってきた楓子さんが、荷物の片方を翠さんに手渡す。
「はいこれ、更衣室から持ってきた。でね、私これからバイトなんだけど……」
「平気平気、ありがと」
楓子さんが僕らにくるりと向き直り、恐縮しきったように眉毛を下げて。
「あの、翠、ちょっと……ううん、結構変な子なんですけど、あの、悪い子じゃないんで!」
「ああ大丈夫、分かってるから」
平然と手をひらひらさせる先輩を見てちょっと不思議そうにしながらも、ぺこりと頭を下げて駆け出していく。
その背を見送りつつ、先輩が訊く。
「楓子は、翠のなに?」
「幼なじみー」
答えながら「着替えてくるからちょっと待ってて」と言い置いて近くの公衆トイレに消える翠さん。
「なるほど、幼なじみ」と僕。
「火消し役ってとこか」と先輩。
並んで壁に背をあずけ、黙って同情の目線を交し合ったところで、
「おまたせ!」
ひょいと顔をだす翠さん。
明るい色のブラウスとカーディガン。さらっとした生地のスカートは、白に近いけれどほんのりと桃色がかかっている。足元はレース地のパンプス。
先輩がしきりにうなずいている。
「そうやってフツーのカッコして、市井に紛れてろ」
「カッコのせいじゃないんじゃあ」
言いかけた僕を遮って、
「で、このあとどうする?」
僕らの言葉など聞いちゃいない翠さんが聞く。
「とりあえず、大学には戻れそうにないな」と先輩。
「先輩、僕の時間割」
「あー、飽きた。あとは適当に組んどけ」
「とか言って、先輩の空き時間に講義入れたら連絡取れないって怒るんでしょ」
白い時間割表に、シラバス開く前に真っ先にバツ印入れてってたのを僕はしっかりと見ていた。先輩のカバンからひょっこりとのぞいていた先輩の時間割も。
「ならさ、私のバイト先で続きやる? 私もちょうどなんか飲みたいし。おごるよ!」
「行く」
にわかに元気よく歩きだす先輩の後ろから、僕は甲高い口笛を吹いた。
「あぁ、年下の女子に遠慮なくたかる先輩、くっそかわいいなぁ~」
「ひねりつぶすぞ」
「こっちだよ」と反対側の駅の出口に誘導しながら、翠さんが僕たちをじろじろと無遠慮に眺めまわす。
「ね、後輩くんと先輩ちゃんは、どういうご関係?」
「あーバイト先のー」
つまんない説明をしようとした先輩を遮って、僕が溌剌と答える。
「僕がパシりパシられ下僕です。先輩は俺様ご主人様。ザ・ナチュラルボーン主従関係」
きっぱりと言い切ると、翠さんは眉毛をへの字に下げて。
「ごめん、内輪ネタ分かんない」
「ネタだってさ、良かったな下僕」
ぽん、と先輩の手が僕の肩に置かれた。
翠さんは、ますます訳がわからないという顔をしていた。
……翠さんのバイト先は、とても可愛らしい、男二人にはかなりいたたまれない感じのケーキ屋でした。