03 STEAL TIP
「あぁぁぁぁぁぁぁもうやだぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!」
最後の一本のティップが2のトリプルリングに突き刺さった瞬間、俺は大声を出しながら崩れ去った。
「2のトリプルだから6…それにさっきの17のシングルと4のダブルを合わせて……2+17+8だから27…301から引いて274…」
「うわぁ…下がっちゃったね兵貴君…」
蓮子先輩が憐れむような目で地面に倒れ込んだ俺を見る。身長差はあるが、倒れ込んでいる俺を見下すには十分な立ち位置だった。
やめてくれよ……。
蓮子先輩から投げられる視線は俺のHPをゴリゴリ削っていく。
晴海は先程のカウントアップに使った紙とは別の裏紙を取り出すと、それに先程までの2人の好成績を書き出した。そんな輝かしい結果の下に、274という俺の成績が記された。
「今の所のトップは狩露先輩の204点、次に私の243点で最下位は兵貴君の274点!」
「へっへー!どうだー!」
「お見事ですね…」
俺は机を杖代わりにしてゆっくりと立ち上がると、蓮子先輩への素直な称賛の言葉を言った。「えっへん!」っと、蓮子先輩はほぼ無に等しい胸を張って、先輩としての威厳を魅せ
「さぁ、一巡して次は狩露先輩です!」
「よーし!」
蓮子先輩は威勢の良い声を上げると、勢い良く席を立ち上がった。鼻歌を歌いながらダーツケースから三本のダーツを取り出すと、蓮子先輩はスローイングラインの前に立った。
俺は蓮子先輩を眺めながら、先程まで蓮子先輩の座っていたパイプ椅子に腰掛けた。
「兵貴君兵貴君」
と言って、晴海が俺の肩を突いてきた。
「ん?どした?」
俺は身体は蓮子先輩に向けたまま、首だけを動かして晴海の方を向いた。
「これを見てくれる?」
そう言って晴海は肩から掛ける形の学生鞄から一冊の雑誌を取り出した。俺はその表紙に見覚えがある。
その雑誌は15年前のダーツブーム到来の際に、大手出版社が刊行を始めたダーツ専門雑誌『STEAL TIP』、通称『スティープ』だった。それも、つい今日発売されたばかりの7月号だ。
スティープは初心者から熟練者までもが愛読しているダーツプレイヤー専用雑誌で、戦略やオススメのスローイング、ダーツを専門に扱うメイカーの広告が掲載されている。その中でも、『変態』と名高い名物編集長の『イチオシ!ルーキープレイヤー!』のコーナーは凄まじい人気を誇っている。
勿論、俺もスティープを愛読しており、ダーツの世界に入った四年前からお世話になっている。
恐らく、晴海は登校中にこのスティープを購入したのだろう。流石は晴海だ、と心の中で感嘆の声を上げた。
「今月号のスティープか…何でまた?表紙の梁蘇選手がキレイだって、そういう事か?」
今月は先月の大会で見事優勝に輝いた期待の新星、梁蘇 暮伊という女性選手が表紙で、その端正な顔立ちは俺の好みにドストレートだった。
どうやら、今月号には冨士咲選手へのインタビューが載っているようだ。後で自費で買って読むのが楽しみだ。
「確かに梁蘇選手はキレイだけどそれは違うよ……私が見せたいのは…」
晴海は俺の手からスティープを奪い取ると、ページをペラペラと捲って何かを探し始めた。
「ほら、ここ!」
「え?」
そう言って晴海が広げたのはスティープ巻末にある、開催される大会の告知ページだった。
このご時世、ダーツ大会は最早全国各地で行われるようになった。それも、かなり大規模の物が。
そんな大会が開催されるのを告知し、日本中から腕の立つプレイヤーを求める為に設けられたのがこのコーナーだ。これにより、日時と優勝特典が一目で分かるようになり、大会に人が参加しやすくなっているのだ。
今月も大量の告知と宣伝でページはギッシリと埋まっている。そんなページの右下の広告を晴海の白い指が指した。
「『ダーツバー“ホワイト”にてダーツ大会を開催』?」
「そう、気になるでしょ?」
ダーツ大会は日本ダーツ連盟が主催する他にも、こういったダーツバーなどで行われる小規模な大会などもある。
公的機関に属していない個人、または団体で開催される大会を総じて『ナイター』と呼ぶ。個人の事情で公的大会では参加の出来ない者や人前が苦手な者が気儘に投げる。それがナイターだ。
反対に連盟からの直々な許可が出ている公式大会は『デイゲーム』と呼ばれ、名声を求める者や初心者は其方に集うのだ。
ナイターはランキングが左右する公的大会とは大きく違い、負けたとしてもランキングは変動しない。その代わりに、ナイターでは優勝者に『賞金』が与えられる。
それは参加者からエントリーの際から徴収する1000円前後の『参加費』から支払われており、まさしくギャンブルのような要素があるのだ。
誰が初めに言い出したのかは知らないが、恐らく“連盟を嫌悪する日陰者が集まる大会”として皮肉交じりに呼び出したのだろう。
まったく、いいセンスだこと…。
『デイゲーム』の告知も『ナイター』の告知も両方やってのける。それがスティープが大好評な要因の一つだろう。
「ダーツバーホワイトって……杉並通りの脇にあるあの店か?」
「うん、あのオンボロダーツバー」
「オンボロて…辛辣だな…」
晴海の言う通り、ダーツバーホワイトの外装にはとても年季が入っている。30年の歴史を持つ為か、“White”という白電球のネオンが切れかかってたり、外に飾っている植木鉢に植えられている観葉植物は枯れるを通り越して朽ち果てていたりする。
しかし、ホワイトを経営するダーツの元日本代表のマスターの人望のお陰か県内は勿論、佐賀などから客が来る事もあるらしい。その為、腕利きのプレイヤーが集まる知る人ぞ知る穴場スポットとなっていた。
「それでね、この大会に行ってみたいと思ってるんだよ!」
「…………マジで?」
「マジで!」
俺は苦笑いを浮かべて、爛々と目を輝かせる晴海を見た。
晴海は一度もナイターに出場した事がない。デイゲームでのプレイの経験も浅いだろう。晴海がいくら腕が立とうが、経験とカンがモノを言う現在のダーツ業界だ。
「やめとけ」という言葉を口にしようとした瞬間、
タァァンッ!
という快音が理科準備室に響いた。俺は首を動かして、音がした方向を見た。
「やったやったー!」
そこには、中心、ダブルブルに真紅のダーツが刺さったダーツボードと、はしゃぐ蓮子先輩の姿があった。
「「ナイスワン(です)ッ!」」
1ラウンドでブルが一本入った際の掛け声を晴海と同時に蓮子先輩に投げ掛けた。
よーし…さっきは言い忘れたけど、今回はちゃんと言ったぞ…。
「5のダブル、17のシングル、今のダブルブル!はい計算!」
「10+17+50、67点ですね。204-67で137!流石です…!」
「おったまげましたねぇ…」
俺は好成績を叩き出し続ける蓮子先輩に感嘆の声を上げると、視線を落とした。机の上に無造作に置かれていたスティープを手に取って、先程の大会の開催告知のページを開いた。
この開催告知ページは地方ごとのブロックに分けられている。これにより、プレイヤーは自らが居住している県の近くで開催される大会に参加する事が出来るのだ。編集部の気遣いと読者を魅せる編集力には頭が下がるばかりだ。
「さて…九州の欄は、と……」
俺達が在学するここ、公立輝田河高校は熊本県熊本市の西端、つまり熊本港付近にある。交通の便としては電車やらバスがあり、そこまで不便はしていない。
近所の熊本港にはフェリー乗り場もあり、其処から有明海を横断して島原へ行く事が出来るのだ。運賃も比較的安価な為、偶に一人旅として日帰りで行ったりしているのだ。
まぁそんな事するのは俺ぐらいしか居ないだろうけれどな。
「へぇ……」
今月号の告知はそれなりに内容が詰まっている。先程のダーツバーホワイトの告知から福岡で開催される『デイゲーム』の大規模な大会、宮崎で行われる優勝金が10万と民間にしては破格の値段に設定された胡散臭いナイターなど、様々な大会の情報が載っていた。
「ホワイトの大会の優勝金は3万か……平均的だね」
ナイターの優勝金はその規模によってバラバラだ。このように地方で開催される大会では2~3万と極めて平均的な優勝金が出される。これが、何処ぞの大会社の社長やら国会議員などが主催の物だったら40~50万近く出される場合もあるだろう。
政治家などの権力者がナイターを開催しても、別に咎められるような事は無い。それは、日本ダーツ連盟がナイターの開催を認証している為だろう。しかし公式的な形ではなく、あくまで『黙認』という形に収まっているだけなのだが。
マスコミも国会議員がナイターを開催したからといって、批判的に報道はしない。
そもそも、ナイターの報道をする事自体がマスコミの間ではタブーとなっているのだった。
「まぁ、晴海の事だし別に賞金目当てじゃないだろうな…」
あくまで経験の為、だろうか。あの眼を見た限り、別に賞金目当てで行くつもりは無いようだ。
中には気の赴くままにナイターに参加し、それで獲得した賞金で生計を立てるという猛者がいるらしく、その領域まで来ると荒らしを意味する『フレイマー』と呼ばれる賞金稼ぎ、もといダーツの『達人』となるのだ。
「………ハァ…」
俺は溜め息を吐くと、机に突っ伏した。
俺とて、一度もナイターに出場した事が無い。しかし、分かるのだ。ナイターに俺達のような学生が出場するべきではないと。
数年前、東京都で開催されたナイターに参加した都内の中学生に通う数人の女子中学生が参加していた他の男性グループに誘拐され殺害されたという痛ましい事件が起こってしまったのだ。
それ以来危機管理能力の低い未成年、特に強姦の危険性のある女子はナイターには極力参加してはならないという暗黙の了解が築かれてしまったのだ。
晴海は初心者。まだその事を知らないのだろう。
同級生をそんな危ない事に巻き込みたくない、そんな一心が俺の中にあるのだ。
「やっぱり行かせたくないんだよな……」
俺はスティープを閉じると、年季の入った理科準備室の天井を仰いだ。手慰みとして手に取ったマムシの標本が入った大瓶の表面を撫でながら思考を巡らせようとしたが……
デデドン!!デデドデンデン!!
「ん?着信か?」
俺は独特の着信音を鳴らす自分のスマートフォンをポケットから手を出すと、着信画面を確認した。
「先輩?」
俺に電話を掛けてきたのは二年生の先輩、そしてダーツ部の部長である緋兎須 円香だった。緑色の通話ボタンを押すと、俺はスマートフォンに耳を押し付けた。
『あ、兵貴君?今部活中よね?』
まるで鼓膜を優しく撫でるような透き通る声。間違いない、円香先輩のものだ。
「まぁ、はい。今部室には俺と晴海。そして蓮子先輩が居ます。そちらは…生徒会の仕事ですよね?」
『そうなの。それでその仕事が想像以上に面倒でね、今日は部活に来れそうにないの。その事を伝えたくって電話したわ』
「そんな事なら蓮子先輩に掛ければ良かったんじゃないんですか?」
『蓮子ったら、携帯の電源を入れてないみたいで、それで兵貴君に掛けたの』
「成る程……」
輝田河高校は学校生活の間、携帯電話の使用を禁止されてる。まぁ、あくまで学校生活の間なので、放課後は殆どの生徒が電源を入れているのだが。
もうそんな校則有って無いような物だし、別に必要無い……無くない?
『今、何してるの?』
「はい、今集まってるメンバーで持ち点301スタートのゼロワンやってます」
丁寧に浸けられたマムシの樺茶色の鱗を一枚一枚舐め回すように見ながら言った。
『今のトップは?』
「一巡目が終わって、先頭の蓮子先輩が終わった時点のトップは蓮子先輩です。このまま逃げ切られる前に差を挽回したい所ですよ」
そう言うと、円香先輩は電話越しにクスリと笑った。
『ちゃんと活動してるみたいね!安心したわ!』
「当たり前ですよ。香先輩が不在でも僕等はちゃんと頑張ってます!」
まぁ、円香先輩が居た方がもっと頑張れますけど!と、俺は言葉を紡いだ。
媚を売るのも忘れない、これが下平 兵貴流の世渡り術さッ!
『よし、それなら頑張ってね!』
「はい!失礼します!」
「はーい」
プツン、と通話を切る音が聞こえると、俺は赤い通話終了ボタンを押した。
「ふぅ……」
俺はスマートフォンの側面に付いたボタンを押して、待機状態に戻ったそれを再度ポケットに押し込んだ。
「大変そうだよなぁ、円香先輩も」
生徒会の書記と部長の両方をやってのける円香先輩はやはり凄い人だ、と再度認識出来た今日この頃であった。